2008/6/19

真剣10代 しゃべり場 第3期 13回「『正しいこと』って何ですか?」  てれびデイズ



ザ・プラン9もよくネタに使っているNHK教育「真剣10代 しゃべり場」。
私もこの番組が好きで、第3期あたりまでは毎週楽しみに見ていました。

その第3期でいまでも忘れられないのが、佐野史郎さんがゲストだったときの回です。

その日のテーマは「『正しいこと』って何ですか?」
どういう話の流れからそうなったのかは覚えていませんが、「みんな知識はあるが、経験がない」と云う意見に対して「知識は経験じゃないの?」という反論が出てきた際、その日のゲストだった佐野さんが、「本物の富士山」と「写真の富士山」を例に取り、どちらにもそれぞれ価値がありそれは優劣をつけるものではないといったことを話されました。

人と云うのはどうしても、「本物」がいちばん価値があると思いがちです。

しかし、写真には写真でしか見ることの出来ない富士山があります。
それは時には本物の富士山より感動を呼ぶことがあります。

一個人が経験したことが、唯一無二の真実とは限りません。

しかし、聞き手が10代の若者だったためか、この佐野さんの意見は、一蹴されていました。

ライブや舞台などでもそうです。
CDなどの音源で聞いたり、テレビやDVDなどの映像で見るより、生で見聞きしなくては「嘘だ」と、思ってしまいます。

なぜか、生でないものを「劣っている」と見がちです。

かく云う私も舞台はなるべく会場まで足を運ぶようにしています。
そうして生で見た舞台のいくつかは、公演終了後に映像化されてます。
一度生で見た舞台のDVDを何枚か持っていますが、一度生で見たDVDはただ持っているだけで殆ど見たことはありません。

DVDで見ると、どうしてもそちらの記憶の方が鮮明となるからです。
生で見た記憶が映像にとって食われてしまうのです。

例えば、シティボーイズの初期の作品は東京グローブ座とその数年後に発売されたビデオ映像の両方見ていますが、そのなかで行われたコントを頭の中で思い浮かべると、何度でも繰り返し見ている映像の方が勝ってしまいます。

ですので、一度生で見て、記憶が鮮明なうちは映像で見返すことがありません。

だからといって、映像で見る舞台は嫌いではありません。
生ではそれほどでもなかったのに、シアテレなどで映像で見ると意外に面白かった舞台もいくつもあります。

今は見ていないDVDもこの小さな円盤の中に詰まっているもののことを考えるといとおしくなります。

生で見た記憶も大切なものですし、DVDに収められた記録も大切なものです。

先日見た「春子ブックセンター」は初演は映像で、再演は生で見ていますが、どちらも「春子ブックセンター」です。

まあ、結局何が云いたかったかというと、生だろうが映像だろうが、感動するのに変わり話面白ければそれでいいってことでしょうか?


0



2008/6/22  22:49

投稿者:ひつじ

生で見る舞台と映像で見る舞台を比べて語るときに良く云われるのが「生は迫力が違います。」という言葉です。

「音楽」では確かに迫力の違いに圧倒されたことがあるのですが、残念ながら舞台ではまだそこまで圧倒されたことがありません。
勿論、「迫力が違う」という意味は判るのですが、「映像」と比べて段違いに迫力があるという体験は今のところまだ「演劇」ではありません。

演劇に関してはやはり視覚におっているところが大きいようで、「音楽(のコンサート)」と違い、全身を使って観ていないからではないかと思います。

また、演劇は、やはりそのストーリーや演出で評価してしまうので、私の場合は逆に「生」と「映像」の間では線引きが全くありません。
ザ・プラン9にしろ、ラーメンズにしろ、大人計画にしろ、阿佐ヶ谷スパイダースにしろ、全てひっくるめてその劇団で何が一番好きかを云うことができます。

だからこそ、「生」と「映像」がどう違うのかという疑問が出てくるのでしょう。

普通でしたら「生がいいに決まっている」で終わる話ですから。

結局、私が「生」で見に行くのは舞台そのものよりもそれについて回る付加価値のために思います。

その付加価値に「生ならではの迫力」というものも入るのですが、それはその舞台を語るうえでは、(私にとってはですが)あまり必要でないようです。

2008/6/21  23:34

投稿者:あいき

>人に「生で見た」と話すのと「映像で見た」と話すのでは、明らかに後者の方はレベルが低くとられるのではないか

うーん、確かに…。
神保町の話ばっかりですが(^-^;)、「生で見てきた公演」と、「映像で見た公演」とでは、やっぱりどこか、一線を引いて感想を考えてしまう自分がいます。
「今まで見た神保町の作品で、どれが一番好きか?」とか、考えるんですが、「映像で見たもの」も含めて考えると、結局ごちゃごちゃになって、分からなくなってしまうんです。「生で見た迫力」と、「映像で見た感覚」、この2つを比べようとしても、戦っている土俵が既に違うので、無理なんですね。
だから、「生で見た」と「映像で見た」は、最早、別次元の話なのかなぁ、って思うようになったんです。
でも、プラン9の「サークルS」であったり「禁洒法」であったり、しっかり「映像で見て」おきながら、やっぱり「生で見たかったなぁ…」って思う舞台もあるんですよね。
(あと、誰かに「いつからプラン9の本公演を生で見ているか?」という質問をしたときに、相手の回答が古ければ古いほど、あとから知った自分が、ちょっと負けているような気持ちになるのも、前々から「あれれ?」と思っていました。)

>生の舞台のほうが映像より素晴らしい
うーんうーん…、「映像」の価値が、下がっているのかもしれませんね。
テレビのバラエティ番組の質が低下して、「映像」で見るよりも、「生の舞台」で見る芸人のほうが、生き生きしていておもしろい。
そんなところにも、影響があるのかも?

2008/6/21  17:12

投稿者:ひつじ

この記事は、きっかけになった「真剣10代」の話と結論が幾分離れすぎていて、まとまりがなく、もっと詰めてからネット上に上げようと思っていたのですが、この1週間、ちょっと別のことに気を囚われてて、不十分のままあげてしまいました。


本当は一般的には生の舞台のほうが映像より素晴らしいと思われがちなのはどうなのかな?ということと、生で見ようが映像で見ようが、長く時間が経つうちに記憶の中で大差がなくなって最終的には「舞台を見た」に集約されてしまうのではないかということを書こうと思っているうちに完全に筆が滑ってしまいました。

確かに生で見ると迫力はともかくカーテンコールやエンドトークなどの付加価値がついて回るのでお得感がちがいますし。

>「生の舞台」と「映像の舞台」って、既に「ジャンル」が違うなぁ

そうですね。
あいきさんが仰るように、この場合、完全に別ジャンルとしてみるのが良いのでしょう。
ただ、人に「生で見た」と話すのと「映像で見た」と話すのでは、明らかに後者の方はレベルが低くとられるのではないかと、思います。
今、その意識の違いが何なのか考えています。



2008/6/21  15:25

投稿者:あいき

「生の舞台」と「映像の舞台」って、既に「ジャンル」が違うなぁ、って思いますね。
同じ「舞台」のはずなんですが、「生」と「映像」って、「どっちがおもしろいか」とか、「どっちがどうだった」とか、そうやって比べるっていう行為そのものが、おかしいな、って思うぐらい、「別の種類のもの」に思えるんです。
一週間前、神保町で生の舞台を見た時に、なんかもう、これはこれで「ひとつのジャンル」で、これを「映像の舞台」と比べることは出来ないなぁ、って思って。
あれです、なんか、「イカ」と「タコ」の美味しさを比べる行為みたいな…(例えが驚異的に下手です…orz)
どっちも「魚介類」ですが、「イカ」と「タコ」は別のものなので、美味しさは比べられないというか…嗚呼、なんなんでしょう、この例えorz
「イカ」は「イカ」同士で美味しさを比べなきゃ、意味が無いというか。(ごり押しです。)
つまり、どっちも美味しいからいいじゃないか!ということです(笑)。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ