2008/5/23
ある程度食べられて、好きなことが出来ていたら良いのかなぁ。 らじおデイズ
TOKYO FM 「DOCOMO 秋元康のMature style」でのなだぎ武さんのお言葉です。
この文だけでは、判りにくいと思いますので、本編をご覧になりたい方はこちらをご覧ください。
(http://www.tfm.co.jp/mstyle/index.php?blogid=45&archive=2008-4-13)
このスタンス、現在のTHE PLAN9にも相通じるところがあると思います。
そういう生き方も好いと思います。
好きなことだけして、贅沢はできないけどそれで十分食べていける。
たぶん、THE PLAN9はそうやってお笑い界から振り落とされることもなくずっと死ぬまでやっていけそうな気がします。
まあ、これはわざわざ書くようなことでもありませんね。
「好きなことをやっている」とは、また意味がちがいますが、
故・ナンシー関さんの本にこういった文章があるそうです。
「好きでやってるんだからいいじゃない」という正論は錦の御旗である。そしてこの一点張りで、すべて切り抜けようとするのが「オンナコドモ」だ。最初の、「オンナコドモの対局に位置するのがダンディズム」という点に立ち返ると、「好きなことだけでやっていかない」のがダンディズムである、ということになる。ダンディズムを貫くには、嫌なこともしなければならないということだ。案の定、ダンディズムは辛いのである。
さて、オンナコドモとして生きるか、ダンディズムに生きるかは自由だ。と結論づけるのは、お茶を濁しているように聞こえるかもしれない。しかし、差別的な言い草でいろんな人から怒られるかもしれないけど、男性はオンナコドモで生きた場合、そこでイコールダメなやつと言われるが、女性の場合オンナコドモとして一生送っても平気だ。そしてさらにこれは男女ともであるが、どちらも選ばないという方法を選択することもできる。よりどりみどりだ。だから、自由だって訳だ。
(「何様のつもり」世界文化社より)
同じ「何様のつもり」から
おもしろくないものを喜んで笑っているやつはバカだと思う。バカにも種類があって、「箸が転んでもおかしい」という言葉で表されるところの「笑いの沸点が低い人」というのが、まずいる。『笑っていいとも!』とか『やまだかつてないテレビ』などの公開番組のスタジオに入ってる客は、まさに何やっても笑う状態だ。テレビを見ているうちに「あんたたちはこんなものがそんなにおもしろいのか」と憤りさえ感じる。もうひとつのバカのパターンに「自分はこの笑いを理解している」ということをアピールするために笑う、というのがある。芝居とか映画の客によくいるが困ったバカである。うるさいんだ。
この2つはたまたま拾った文章です。
もう少しこの意味について考えたいのと
忘れないためにここに残しておきます。

2008/5/24 0:10
投稿者:ひつじ
2008/5/23 17:25
投稿者:ルイ
こんにちは、私はひつじさんの記事を読んで、あらびき団で東野さんが仰っていた言葉を思い出しました。
「ほんまに別れるよね。大衆に迎合するか、ただ、ひたすら、自分の好きなことやってるか。バッファロー一門みたいに。いつも心にバッファロー。」この言葉とともに、バッファロー一門(プラン9さんや友近さん、ケンコバさんなど)の写真が映し出されていました。大きな納得とともに、こんな生き方もあるよなと改めて思わされました。
「ほんまに別れるよね。大衆に迎合するか、ただ、ひたすら、自分の好きなことやってるか。バッファロー一門みたいに。いつも心にバッファロー。」この言葉とともに、バッファロー一門(プラン9さんや友近さん、ケンコバさんなど)の写真が映し出されていました。大きな納得とともに、こんな生き方もあるよなと改めて思わされました。
私もその時の「あらびき団」見ていました。
恥ずかしながら、その時までザ・プラン9がバッファロー一門とは知りませんでした。
「自分の好きなことをやる」にもいくつかパターンがあると思います。
好きなことだけをやるために他の事を全て捨て去り犠牲にしてしまうパターン。
好きなことをするためにそうではないことも行う(下地を作る)パターン。
何も考えず好きなことだけをするパターン。
マンガ「二十世紀少年」の作者、浦沢直樹さんは、自分が本当に描きたいものを描くために「YAWARA!」や「Happy!」などの作品を描き、大きな成果を収めることで、好きな作品が描けるようになったそうです。
「ただ、ひたすら、自分の好きなことやってる」のも素晴らしいと思いますが、浦沢さんのような生き方にも惹かれます。