2007/4/27

罪と罰、だが償いはどこに?  ぶっくデイズ


市立図書館で借りた推理作家でもある中嶋博行さんの
「罪と罰、だが償いはどこに?」という本を読んでいます。

今、ちょうど半分まで読みおわったところです。

個人的なことですが、
今年のはじめ、友人がある不幸に見舞われました。
そのことで最近このタイトルと同じ思いを
強く感じており、それがこの本を手にとるきっかけとなりました。

まだ、読み終わっていないので、
この本についての感想は書けませんが、
「刑事司法の究極の目的が犯罪者の更生改善」にあることに
疑問を抱くこの書籍を途中まで読んで
頭に浮かんだのは、昨年の秋、中ノ島で見た
「地上最低のショウ」というお芝居です。




この芝居では、いじめを受けた人物は
いつまでもその記憶に苦しめられるのに対して、
いじめた側はあっさりとそのことを忘れ思い出しもしない、
それどころかその記憶を美化する者さえいる
と云う「いじめを行った側の実態」が描かれていました。
過去、自分たちがしたいじめが
どれだけ相手を傷つけていたか知った後も
なぜか、劇中では一度も謝罪のことがありませんでした。
自分たちへの反省の言葉はあっても、
相手に謝るという頭はどこにもないようです。

その一方で、ある交通事故について書かれています。
これも加害者の側の話です。
その人物は飲酒運転をして人を轢いて
罪の意識から自殺しようとしましたが、
死にきれず逃走しています。
罪の意識とは書きましたが
結局のところ、自殺を考えていた時点で、
轢いた相手に謝罪はおろか償うことも考えていません。
頭にあるのは、自分の犯したことが罪である事実と
それによって両親に迷惑がかかる事と
自分の人生がそれでダメになってしまったこと。
最後には自首するのですが、
多分この人物も社会に戻ってくる頃には
子供の頃にいじめた相手の顔も名前も忘れてしまったのと同様に
自分が轢いた相手の名前も顔も忘れてしまうような
気がしてなりません。

「罪と罰、だが償いはどこに?」では、
主に兇悪犯罪を取り上げているのに対して、
「いじめ」や「飲酒運転による事故」などは
些細なものかもしれません。
でも、根本には同じことが潜んでいるような気がしてなりません。

劇中、人身事故の加害者は、
事故の経過が気になり何度も新聞に目を通していますが
その行為すらも、被害者の身を案じているというより
むしろこれからの自分(と家族)の身を案じているように見えてしまいます。

加害者は常に自分のことを考えて
被害者の立場に立って物を見ることはできません。
まあ、大体においてそういうものなんですけどね。
結局、他人の痛みは、想像できても
本当の痛さは感じることができませんし。

この作品(「地上最低のショウ」)では
意図的なのか無意識なのか判りませんが、
私もあなたも実のところ
こんな風に他人の痛みには無関心なのだ
と云う事を書いているように思います。
自分が傷つけた相手が目の間にいてその罪を糾弾すれば
「そんなつもりは無かったのに。反省しなくては。」
と、口にするけれども
次の瞬間にはそんなことはすっかり忘れ、
打ちあがった花火を見るような最低な行為を
本当にごく自然にどの人もやっているのかもしれません。
かつていじめをした少年たちも
飲酒運転で人を引いた人物も
ごく普通のひとで、この作品の中で観ている分には
頗る「いい人」です。

THE PLAN9「地上最低のショウ」は、
彼らがこれまで助演した舞台の中でも
最も評価の低い作品だと思います。
たしかに、私も「底の浅い作品」だと思いました。
ただ、私にとってはいつまでも、
こうした問題を投げかけてくる作品となっています。

「地上最低のショウ」のラストに拍子抜けした方は
多いと思いますが、
反省しても謝罪することや償うことを考え付かない人と云うのは
確かにいますし、私自身もそうなのかもしれません。


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