2011/8/5

それ、落ちてないよ!!  わらいデイズ

書籍「東京ポッド許可局から文系芸人が行間を、裏を、未来を読む〜」
の16Pにこんな文章があります。

「『すべらない話』って、やっぱり西の文化だと思うんですよ。大阪の文化。ちゃんとマエフリがあって、話があって、きれいにオチがある。僕やマキタさんは同じ時期に関東圏で過ごしているから、正直、あんなにオチって大事なものなのか?と思うんだよね。コレは布袋ではなくて、すごく新鮮だったの。」(第1章「すべらない話」論)



twitter等で「月刊コント」の感想を拝見していると
よく目にするのが
「最後のコントで(編集長の久馬さんが)上手くまとめている」
という言葉。

他人のコントを数本披露した上で最後のコントで
全てのコントにつながりを持たせ
上手くオチをつけているということで
いまやお〜い!久馬さんのお庭芸となっているわけですが

あれ?でも、久馬さんの作風って

コントでも芝居でも
「それまでの話が何だったの?的な(大阪の笑いでは考えられない)締めくくり方をする」
じゃなかったっけ?

DVD化されている本公演
「サークルS」にしかり
「西暦二〇〇X年四月一日、禁洒法ヲ施行スル。」にしかり
「The Ten-Show」にしかり
ラストで
「え?そんなオチ?」
と、あっけにとられたって観客が多かったのではないでしょうか?
まあ、「こわがり」は微妙に違うかもしれませんが
「編集者 竹一平の苦悩」も未だにラストシーンの意味に悩んでいる方もおられるのでは?

この「え?そんなオチ?」が
他の大阪の笑いにはない久馬作品の魅力の一つじゃなかったのかな?

それがいつから
「上手くまとめることに突出した作家」になっちゃったんでしょう?



【追記】
8月7日「第191回“最終回” 論」でもちょっと語られていますが
「上手くオチをつける」と云うことが重視されすぎているようです。
「月刊コント」もラストコントまでの
過程(=それぞれのゲストのコント)も大事なのに
イベント後のツイートなどを拝見していますと
「ラストコントで上手くまとめてある」が
このイベントの最大の評価になっているようです。

その辺が
そのイベントの構造上
ラストコントを書く久馬さんだけが「いいとこどり」になっている
ように見えてわざわざ見に行く気になれないのかも。<「月刊コント」



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