2010/2/19

ウィンピーメンとは誰のことか  

こちらは先日までと趣向を変えて
THE PLAN9新春公演「W−MEN〜ウィンピーメン」を
褒めて褒めて褒めまくろうというネタばれレビューでございます。





さて、今回の公演タイトル「W−MEN〜ウィンピーメン」。
ウィンピーとは「意気地のない、弱虫な、ダメな」を意味する形容詞wimpishの副詞形にあたります。
実際、台本のあとがきに「ショボい能力しか使えない超能力モノを書きたい」と記されてありますのでウィンピー=ショボいと解釈して間違いないでしょう。
ところが、実際主人公達の持つ能力は「ショボい」どころではありません。
彼らの能力を「ショボい」などと云おうものなら他のエスパー作品から総スカンをくらうことでしょう。

では、何が「ショボい」のかと云うと、その能力を使う人物が「ショボく」、その使い方、使い道が「ショボい」のです。
この話は「凄い能力を持ちながらショボくしか使えない超能力モノ」なのです。

しかも、そのショボいというか器の小さい人物は能力者である主人公グループだけに収まらず、グループをまとめるボスや宝石を守る警備員までが徹底してショボいのです。

ようするにこの作品にはショボい人間(つまりはウィンピーメン)しか登場しておらず、(作者がそれを意図してキャラクターを描いているのであれば)その徹底振りには感動すら覚えます。

さて、そのウィンピーな登場人物は以下の7名。
飯星(浅越ゴエ)
ナミ(牧野エミ)
丸山(西野恭之介)
四方(お〜い!久馬)
狩生(ヤナギブソン)
瀬名(小林幸太郎)
十文字(なだぎ武)。

その一人一人を見ていくと

まずは飯星(壁抜け能力者)。
W−MENの衣装を身に着けたときの体型のバランスの悪さから出オチ要員として使われています。
能力こそ立派ですが、毎回盗みの際は警備員に変装した丸山が既に内部に進入しておりドアの内側にある暗唱キーを開けることができますし、展示ケースはナミの能力でいくらでも破壊することができるのですからはっきり云って必要のない人物です。
後先について余り深く考えていないのが特徴でしょうか(あ、でもこの後先考えていないのは全員か…)。
その性格から確実に能力が落ちてきているのに仕事の際壁から体が抜けなくなるという同じ失敗を2回も繰り返し仲間に迷惑をかけています。
また、紅一点であるナミのことが好きなようですが、遠まわしな告白しかできず、こともあろうか丸山の能力を使ってナミの裸を見たため(←これを1年経つまでしなかった飯星は紳士かも。まあ、これは十文字の病状を知った後で次の仕事が4人での最後になることを知っていたからかもしれません)結局嫌われてしまいました。
よく言えば気が弱い、悪く云えばうじうじした性格。
十文字のための窃盗を「悪」とは考えていない4人の能力者の中でおそらく彼だけが「能力を悪用している」と云う認識を持っています。


ナミ(念動能力者)
メンバーでは紅一点。
飯星のお世辞もさらっとかわすほどドライな性格。
とにかく男に対してドライ。
自身の裸を見ようとした他の3人の男どもを攻撃する時にはまず急所を狙うほどドライ。
十文字の銃弾から身を挺して守ってくれた狩生に対して冷たく突き放つほどドライ。
あの格好で普段、アジトの外に出ていることからや拳銃で撃ってきた十文字に対しても軽めの復讐で済ませてしまうところからもかなり無頓着な女性に見受けられます。
まあ、こういう女性でないとムサい男性陣のなかで1年も生活をともにできないとは思います。
ただし、予期せぬ出来事にぶつかり一度混乱をきたすと普段のナミからは考えられないほど動揺してしまうようです。


と、ざっとこの2人を比べてみても能力者自身のメンタルが能力に及ぼす影響の描き分けに驚かされます。
ウィンピーメンの能力は話が進むにつれて大きな変化を見せることになるのですが、飯星とナミの性格の違いはもろにその能力の変化に結びついています。
この作品の面白いところは、能力者自身の精神状態がその能力に大きく影響する姿を描いているところです。
例えば、飯星は「力を悪用すると能力が低下する」という根拠のない噂にかなり振り回されているところがあります。
そのためその噂を口にする前までは「能力が弱まっているように思える」程度の状態であったのにその後は自己暗示に掛かったかのように急激に能力を失っていきます。
それに対して、ナミは能力のコントロールができなくなっただけで能力が低下はしているわけではありません。
しかもナミの場合、能力を思いどおり使いこなせなくなったのは飯星から「力を悪用すると能力が低下する」という噂を聞いた後ではありません。
恩人である十文字が不治の病であることを知りそのために最後となった仕事で(4人が獲物である宝石を手に入れた直後から)能力のコントロールを完全に失ってしまいます。
(それ以前のナミは「力は弱まった」と云いつつも3人の男の急所を同時に操ることができました)
十文字の病気を知ってウィンピーメンの仕事が最後となることに一番動揺しているのがナミです。


で、残る能力者のうちまずは丸山(変身能力者)。
彼の場合は犯罪に対しての罪悪感がほとんどありません。
そのことは「盗みは悪」と云う狩生に食って掛かっていることから判ります。
飯星が「能力を悪用すれば力は低下する」と思い込みどんどん能力を低下させているのに対し、「悪用」と思っていない丸山の能力には何の変化も起こっていません。
ナミに変身して狩生の恋心を玩んだことに対しても「あちゃあ〜」とは思っていても、罪悪感は低いのです。
ネガティブに物事を捉えない丸山はたとえ自分や仲間が危機的状況に置かれても能力を使って場を和ませようとします。
どうやら彼は4人のうちの誰よりも仲間意識が強くまた自分の能力を楽しんで使っているようです。


そして、四方(時間停止能力者)。
彼は見た目はオッサン、中身は19歳というメンバー内では最年少の青年です。
しかし、1年もの間その事実を仲間にも打ち明けず、見た目から生まれた4人中では最年長であるという誤解は誤解のまま放置しています。
また、ボスである十文字のショボい嘘を「何でそんな嘘吐くの」と呆れつつフォローしているのも彼です。
4人の中ではもっとも怖ろしい能力の持ち主。
時間さえ止めればボスである十文字を含め仲間の体を自由自在に動かし悪戯することも場合によっては殺すこともできます。
最少年ですが、時間を止める能力を持つ彼にとっては仲間は完全に掌中にあると云っても過言ではないでしょう。
能力が能力だからなのか、あまり物事に動じません。
仲間達の間に起こる出来事をさりげなく「平和的解決」するのが彼の役割です。
昏倒していた瀬名が目を覚ました時も十文字がナミを拳銃で撃ったときも時間を止めて淡々と「後処理」に回っています。
それを仲間にひけらかすこともしません。
「後処理」が失敗に終わっても時間を止めた間にした己の行いは一切口にすることもしません。
年齢詐称や能力詐称といったショボい嘘をつく十文字のような大人、姑息な手を使ってでもナミの裸を見たがる飯星のような大人を見ているとこういう冷めた未成年になるのかもしれません。
実年齢は19でも能力を酷使しすぎて身体だけでなく頭の方も見た目どおりの年齢と云ってもよく、社会人の経験のないまま(つまり大人の自覚がないまま)無為に年を重ねている分たちが悪いようです。
たとえ仲間の前でも本心を見せることのない秘密主義者。そのことを楽しんでいるふしも見られます。
見た目で判断し敬語を使い分ける飯星やショボい嘘をつく十文字、出会いから1周年に拘る丸山よりよっほど大人です。
ただし、成人の中で一人だけ未成年という稀有な立場からか、そういった大人の弱さを呆れつつもバカにするのでもなく反抗するのでもなく意見するのでもなく一人離れたところで達観しています。
また、能力の低下について語り合ったときには自分も止める時間が短くなったとメンバーに告げている四方ですが、その告白後も基本的に能力は彼の思い通りとなっており、特に「能力が低下した」という描写はありません。
同じく能力に低下が見られない丸山とは違い四方は能力を面白おかしく使っているわけでもなく、1周年に拘るほど特に仲間思いというわけでもありません。
しかし、他人に合わせるのが上手く大人の中にいても波風を一切立てることのない四方のことですから性格上、確実に能力が落ちてきている飯星に対して気を遣って同意しただけのことかもしれません。


以上のことから能力の低下は悪用云々ではなく能力者自身のメンタルや性格に深くかかわっており、作者が意図してそれぞれの能力の変化を描いていることが判ります。


この4人はかつて犯罪を犯し罪を問われたところ、弁護士である十文字に助けられた過去があります。
そして、現在は宝石窃盗団として再び犯罪に手を染めています。
この犯罪に対して彼らに良心の呵責が見られないのは、「亡き妻の形見を取り戻す」と云う十文字の願いという大義名分があるからでしょう。
宝石窃盗は十文字の恩に報いる「良きこと」、故人の形見を親族の元に取り戻す「美談」なのです。
ですから、犯罪に手を染めていてもそれが悪だという意識が非常に薄いようです。
ところが、窃盗を始めて1年経ったころ「能力を悪用すれば力は低下する」という噂が彼らの間に出てきます。
それを機に急激に飯星の能力が落ちていきます。
そのことは一見「悪用することで能力が低下する」という噂を実証しているかのように見えます。
亡き妻の形見という大義名分があるとは云え窃盗は窃盗。許されざる犯罪です。
「悪用することで能力が低下する」という話が4人の間で交わされ、それを立証するかのように飯星が壁を通り抜けることができなくなったことを知った十文字はいきなり自らの不治の病であると告白します。
その相手は他の誰でもなく一番気持ち(=能力)がぐらついている飯星でした。


で、その十文字(弁護士)
この作品のキーパーソンにあたります。
一応敏腕弁護士らしいのですが、実は器の小さい人物です。
その場その場のノリで小さい嘘をつくことでその敏腕らしからぬ人間性を表現しています。
終始インテリジェンス且つシリアスな演技で通し、途中ところどころで「こんなにもできた人物がなぜかこんなにもショボい嘘をついてしまう!!」というギャップを見せればかなり面白いキャラクターになったかもしれません。
それだけにアドリブ部分(飯星との「金玉」のやり取り)でキャラクターが完全崩壊したのが残念です。
また、「亡き妻の形見を収集」というあからさまな大嘘をどれだけ観客に信じ込ませるかがこの舞台の最重要事項であるのにも係らず、このキャラクター(の性格)がしっかり地に足を付けていないためストーリー全体まで台無しになったように思えます。
これも演じ手の演技次第でいかようにもなるのですが、演じ手がこの十文字なる人物をどう演じるかより観客をどう笑わせるかに重きを置いたがため舞台上ではグダグダな人物に仕上がっています。
それはさておき、能力者たちを裏切る場面もまた彼が器の小さい人物であることを表しています。
まず毒ガスを撒いて、拳銃で撃って、時限爆弾で爆破。
…どれだけ周到なのかと。はっきり云ってくどすぎるくらいです。
復讐のため4人を殺し、窃盗事件の全ての罪を4人になすりつけるのであれば、警備員ともども「能力者が警備員を始末するため撒いた毒ガスを間違えて自分達も吸って全員死亡」というトリックが使うことができる「毒ガス散布」だけで充分であり、それ以上のことをすれば容疑が自分の身にまで及ぶかもしれないのにこの念の入れよう。
しかもこのくどさで笑いを取るわけでもありません。
そもそも能力者の逆恨みで半身不随にされたうえにその逆恨みで能力者(しかも一部の関係のない能力者)に復讐って何なんでしょうか、この人は?
能力者に復讐したいのであれば、弁護士が得意とする話術で能力者と云う存在を「人類の敵」に祭り上げたほうが良くないですか?というか、普通SFの世界ではそちらの方が一般的(漫画版の「デビルマン」しかり)なのでは。
復讐一つとっても大掛かりなことができず、「宝石窃盗」と小さくまとまってしまうのこの弁護士の器のショボさです。
そもそも「宝石」を窃盗したところでモノがモノだけに当然保険にかかっているでしょう。
保険にかかっていれば被害は最小に留まります。その証拠に特に警備が強化される描写もありません。
しかもその時警備していた警備員が馘を切られるわけでもありませんから、特にこの窃盗事件で不幸になった人がいるわけでもないようです。
事件そのものがとてもショボい事件となっており、そんな事件をマスコミが取り上げているのも犯行に超能力者が係っているからに他ならず、十文字がそれを利用して4人だけでなく能力者全体を糾弾しそれによって復讐を成し遂げても良いのですがなぜかそこまで十文字は働きかけません。
そこまで大げさなことができる器ではないのです。


狩生(警備員)
このストーリー全体のツッコミ役なので7人の中でも極めて常識人。
バカにしつつも先輩である瀬尾を立てていますし、犯罪に対して厳しい目を持っています(その割には最後にあっさりと警備員から窃盗団に鞍替えしようとしますが)。
ただし、警備内容が窃盗団側にだだもれとなっていてもその原因がどこにあるか考えようともせず、約束を破ったナミのいい訳も疑うことなく信じ込み、窃盗団の一員としてナミと再会しても「泥棒」としてではなく「恋人」としてのナミの姿しか見えないといったいささか察しの悪いところもあります。
その空気の読めなさは先輩警備員瀬名に対しても遺憾なく発揮されています。
その分思い込みが激しく、ちょっとしたいさかいで失恋したと大騒ぎした挙句、その後ナミと再会したときにはその失恋をすっかり忘れて恋人気分に戻ってしまうという切り替えの早さも持っています。
この彼が能力者の存在に対して信じているようでありながらスプーン曲げについてはマジックだと否定しきっているためこのストーリー全体の世界観(能力者がどこまで認められているか)が定まらない理由の1つとなっています。


瀬名(警備員)
この人には台本にはなかったとってつけたような美談が追加されました。
終盤に来ていきなり人間関係が上手くいかず引きこもりだったという過去を披露しても違和感を感じさせないのは演じている小林さん自身のキャラクターに負うところが大きいでしょう。
あそこまで大事にしていた警備の仕事をあっさりと捨て「W−MEN」の仲間にしてくれと云うのはご愛嬌?
なんでこの失敗続きの警備員2人にいつまでも宝石の警護をさせるのか、そもそもアルバイトに大事な警備をさせている警備会社ってどうなの?と思わないでもないのですが、これもまたご愛嬌?
ひきこもりだった分、仲間を求める気持ちが強いようです。


とまあ、登場人物が全てウィンピーメンなこの作品。
だからと云って「こいつらみんなバカだぁ。」と笑うストーリーでもありません。
このストーリーの登場人物はどれだけ底が浅くても良いのです。
だってウィンピーメンなのですから。
まさにこれぞ「看板に偽りなし」。

そして、ウィンピーなのは人だけにとどまりません。

ウィンピーメンたちのユニフォーム、私服のショボさ。
アジトのショボさ。
十文字のショボい復讐。
4人の能力者のショボい意趣返し。
警備に当たっているのが民間の警備会社というショボさ。
その警備員がアルバイトというショボさ。
警備システムが警報装置のみというショボさ。
たとえ何度となく宝石が盗まれようとも警備会社、警備員を解雇することにない対応のショボさ。
これらのショボさのせいで盗み出される宝石までがショボく見えてしまいます。
そして、それぞれの登場人物の中に介在するであろう「善悪」の心さえショボく、作品の隅々に到るまで津々浦々「ショボい」。
敢えてなにもかもがウィンピー。


ここまで「ウィンピー」に徹しきった作品はなかなか書けるものではありません。
だからこそ久馬歩さんはえらい!という一席でございました。


ただし、久馬さんの本はこのように緻密な人物設定や巧妙な伏線が張られていてもそれは観客に笑いを起こすための仕掛けではなく、驚きや感動のために使われるため、なだぎさんのような生粋の芸人さんが演じると「笑い」だけが変にストーリーから浮いてしまうような気がします。

見ているお客さんは大いに爆笑されていましたが、「作品」や「台詞回し」を笑っているという印象が薄く、どうしても演者の言動・衣装・体型・アドリブを見て笑っているように感じられました。

作家の作る「演劇」と演者が作る「笑い」の真の意味での融合がこれからの課題かもしれません。


ということでご静読ありがとうございました。



<追記>
実際久馬さんがここまで人物を掘り下げて描かれたのかどうかは判りません。
ただ、いつもどおり人物描写まで演じ手に丸投げしてしまった結果、
「a room」同様「人間が描けていない作品」
になってしまったように思われます。
(特に十文字。十文字のキャラとなだぎさんの演りたいキャラが上手く咬み合ってない感じがします。)

ザ・プラン9のメンバーって
メンバー自身やお客さんが思っているほど
アドリブに強いわけでもないし、
ラジオのフリートークにおいても
会話のテンポや間が絶妙なトークができる方々ではないので
わざわざ演者が自由できる時間を与える必要はないように思うのですが、
ファンの中には
「(素で)グダグダになっているメンバーが見たい!!」
という方も多く
ちゃんと需要と供給のバランスが取れているのかもしれません。

逆に遊びの部分を減らして
台本に添った演技で笑わせる「演劇」よりの舞台になれば
今の観客が離れる怖れもありますし、…難しいですね。


これは個人的な感想ですが
ザ・プラン9の本公演は伏線もあり複数回見て楽しめるほど
緻密にできてはいると思う半面
どこか「幼稚な空気」が憑きまとっているように思えてなりません。
(例えばシティボーイズやラーメンズは「好き」と屈託なく人に云えるのに対してザ・プラン9は見ていることさえできれば親兄弟友人に内緒にしておきたいのはおそらくこの「幼さ」にあるのだと思う。若者に分類される大人が見てもOK。でも、いい大人は進んで見ない類の「幼さ」。)

ただ人を笑わせたいだけなら「コント」や「漫才」で充分です。
でも、ザ・プラン9は最初から「演劇」を択びました。
目当たらしさではなく、
表現媒体に敢えて「演劇」を択んだ意味があるはずと
私は信じています。

0



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ