2010/2/16

「W−MEN〜ウィンピーメン」補足  しばいデイズ

本編には関係ありませんが
東京公演のエンドトークで牧野エミさんが
「劇中面白い顔で固まる浅越さんの姿を見たいがため
いつもとは違う方向を向いて演技した」
と云うことを仰っていました。

それでなくても今回の舞台では、
舞台の上に立つ役者さんが
(役者であることを一旦放棄したうえで)
客席に坐るお客さんと同じ目線で
舞台を見ている時間が結構あったように思えます。

まあ、それはさておき




過去の久馬作品では、
それまで目にしていた世界がガラリと姿を変え、
「今まであなたが見ていたこの世界は
実はあなたが思っている世界とは違うのですよ。」
と云うオチがつくこと
つまり
「世界観の変貌」が「どんでん返し」として
使用されることが非常に多いように思えます。

例えば
「サークルS」 では
それまで私たちの現実とそう変わらない普通の世界の出来事と思っていたものが
実は治が幽霊であった事実が判ることによって
幽霊が存在する霊的(オカルト)世界に姿を変えます。

「西暦二〇〇X年四月一日、禁洒法ヲ施行スル」 では
それまで禁洒法が施行された異世界の出来事と思っていたものが
実は秋鹿の妄想であった事実が判ることによって
クスリが合法となっている上記の異世界とは別のさらなる異世界に姿を変えます。

「The Ten-Show」 では
地球人が宇宙船で過ごす近未来世界の出来事と思っていたものが
実はキョーホが書いた劇中劇であった事実が判ることによって
異星人たちの世界に姿を変えます。

「編集者 竹一平の苦悩」では
編集者が正常、作家が異常と思われた世界の出来事が
実は竹一平の精神が異常をきたしていた事実が判ることによって
編集者が異常、作家が正常という世界に姿を変えます。

「なゐ震る」では
地震予知研究に明け暮れる大学生たちの平凡な世界の出来事が
実は既に大地震が発生していた事実が判ることによって
大震災後の世界に姿を変えます。

「仇男」では
それまで仇男法が施行された異世界の出来事が
実は藤田の復讐計画であった事実が判ることによって
私たちの現実と変わらない世界に姿を変えます。


これらの作品ではどれも最後にある重要な事実が判ることによって
これまで見ていた世界が一変してしまうのです。

ただし、例外もあります。
「こわがり」と「銀行ノススメ」、「室内の人々 a room」は
作中で突然ガラリと世界観が変わることがありません。
この3作品に共通するのは、
記憶喪失者や銀行強盗、猟奇殺人犯という特殊な人物が登場してはいるものの、
特に異質な世界を描いているわけではなく
私たちのリアルな世界と変わらない世界観が描かれているということです。
久馬作品では世界観がガラリと変わる作品では変わる前か後のどちらか、
もしくは両方が「異質な世界」となっていますので、
上記の3作品はその条件から外れているわけです。

それらのことを踏まえて
今回の「W−MEN〜ウィンピーメン」を見ると、
この作品だけがこれまでの作品と違うことが判ります。
この作品では「超能力者が活躍する世界」という異質な世界を
描いていながらその世界観は途中でひっくりかえることはありません。
これまでの久馬作品であれば、
オチとしてそれまで目にしている「超能力者が活躍する世界」とは
違う別の世界を持ってきたと思われるのですが、
この作品では「超能力者が活躍する世界」は終始一貫変わりません。

このことは久馬作品にとっては、
(意識的か無意識か判りませんが)新しい試みだと思います。
ですが、その反面
「久馬作品でオチに『世界観の変貌』がないと意外とつまらないな。」
という気もしないではないです。
世界観が最後まで同じだと
なんだか物語の表面に小さな起伏があるだけで
遠くから見ると平坦にしか見えないようです。
特に今回のような現実にはない異質な世界の話ですと、
余計にそんな感じになるようです。


「W−MEN」がどこかもの足りないように思う
(あくまで私感がですが)原因の1つは
こんなところにあるのかもしれません。

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