2010/2/8

人間の業の肯定  しばいデイズ

大阪でTHE PLAN9 新春公演「W−MEN〜ウィンピーメン」を見て、その数日後にビデオで大川興業第24回本公演 「サバイバーパンク」を見ました。

甘いもの食べると(塩)辛いものが食べたくなると同じで、何故か私はTHE PLAN9の本公演を見ると大川興業の本公演が見たくなります。

この 「サバイバーパンク」は作品としては決して「良い作品」ではありません。




「サバイバーパンク」は「お互い身も知らずの5人の男が何者かに拉致され、理由も判らないままお互いの体を身動きできないように鎖で繋がれ無人の倉庫に監禁される」というTHE PLAN9で云えば「何かが正解です!」によく似たシチュエーションの芝居です。(この謎の人物の策略によって複数の人間が集められるというのはTHE PLAN9ではうんざりするほど良く見られるシチュエーションですね。)

上演中にかなり試行錯誤されたようで、当時、ファンがお書きになった観劇レポを拝見すると、初日にあった冒頭部分は3日目には全て削られた上、新しくいくつかのエピソードを挿入。各シーンの順序も大幅に変更されたそうです。
さらには東京公演の後に巡業した地方公演では東京公演とは真逆のラストシーンが追加されています。

そういう作品ですが、見終わった後心に深い疵のようなものを残すような作品です。
その疵は消えることなく古傷となり、何かの拍子に痛み出します。
1度見たら忘れられなくなる類の作品です。

最近、落語関連の書籍を読む機会が増えてきました。
そのなかに良く引用される言葉として立川談志師匠の「落語とは人間の業の肯定である」と云う言葉があります。

おそらく落語に興味がある方は一度は遭遇する言葉ではないでしょうか。

その立川談志師匠へのインタビュー本「人生、成り行き―談志一代記―」にはこのような文章が書かれているそうです。

「落語が捉えるのは〈業の肯定〉だけではないんです。人間が本来持っている〈イリュージョン〉というものに気がついたんです。つまりフロイトの謂(い)う「エス」ですよね、言葉で説明できない、形をとらない、ワケのわからないものが人間の奥底にあって、これを表に出すと社会が成り立たないから、〈常識〉というフィクションを拵(こしら)えてどうにか過ごしている。落語が人間を描くものである以上、そういう人間の不完全さまで踏み込んで演じるべきではないか、と思うようになった。ただ、不完全さを芸として出す、というのは実に難しいんですが……。」

師匠の仰っている「人間の業」や「イリュージョン」について理解できているわけではなりませんが、「何かが正解です!」には感じられなかった「人間の奥底にある言葉で説明できない、形をとらない、ワケのわからないもの」が、「サバイバーパンク」にはあるように私には思えます。

ビデオ 「サバイバーパンク」の特典映像の中で作・演出の大川豊氏は「いろいろな笑いがある。」と、語っています。
確かに大川興業の作品には安易に笑うことの恐ろしさや残酷さ、笑った後の悲しさ・虚しさが潜んでいることが多々あります。
笑った自分が自分を傷つけることもあります。
大川氏はこの翌年に「業業業」というタイトルの芝居を書いておられますので「笑い」における「人間の業(または談志師匠の仰るところのイリュージョン)」を意識されているのだと思います。

先日、THE PLAN9のリーダー、お〜い!久馬さんがご自身のブログのなかで「(狂言を鑑賞して)彼にもそういった作品を残して欲しいモノだ。」と書いておられました。

2年前の「彼」の作品「仇男」のラストシーンでは、募金活動に励む主人公の姿が描かれており、舞台では台本になかった募金箱にお金が入るシーンが2回挿入されています。
1回目では主人公は心をこめてお金を入れてくれた女性に感謝の言葉を述べます。
しかし、2回目のときはその直前にある出来事があり、主人公は心ここにあらずという面持ちで立ちすくんでいるだけでした。
その瞬間「人間の奥底にある言葉で説明できない、形をとらない、ワケのわからないもの」が舞台にぬっと顔を出したように私には思えました。

ところが、こういう瞬間が今度DVDで発売される「何かが正解です!」にも、また、新作「W−MEN」にもありません。
(「a room」は逆に「人間の業」を無理やり入れようとしたらストーリーに大きな歪みが出てしまい失敗した感があります)

ただ、観客を笑わせるだけなら後には何も残りません。
残ったとしても「笑った」「面白かった」と云う記憶のみが残るだけです。

もっともTHE PLAN9の本公演は正確には「演劇」ではなく「お笑い」寄りの芝居ですから、「面白ければいいじゃない」「笑えたらいいじゃない」だけでも良いのかもしれません。

そう思っていました。
今までは。

でも、もし本当に「彼にもそういった作品を残して欲しいモノだ。」と思っておられるのでしたら、演者の衣装や体型、パフォーマンス、その場その場でのアドリブに「笑い」を頼るような台本で満足していてよいものなのか…。

落語に限らず、人の心に深く残る「笑い」にはやはり「人の業」が描かれているように思えます。

今回の新春公演作品の先に「彼にもそういった作品を残して欲しいモノだ。」の「そういった作品」が存在すればよいのですが…。

ファンやメンバー、同じ芸人仲間から作家として相当高く評価されている「彼」ですが、タレント本、芸人本がこれだけ出版されてるご時世でまだ1冊の書籍も世に出していないことも気になります。

DVDとは違い他の媒体を通さず思いついたときに手軽に見ることができる本という形で作品を残すことは多少は意味あることだと思うのですが、いかがでしょうか?

少し前まではTHE PLAN9の「(台)本」は文学界におけるライトノベルっぽいと思っていたのですが、最近はなんだかケータイ小説っぽくなってきたように感じられます。
お手軽に笑えてお手軽に泣けるという感じでしょうか。

ちなみに大川興業は数年前からはじめた「暗闇演劇」を登録商標しました。作品としては残ることはないかもしれませんが、この「暗闇演劇」という新しい演劇スタイルはおそらく演劇史上に痕跡を残すことでしょう。

今後、「彼」がただの願望で終わらせず「そういった作品」を残すためにどう動くか楽しみです。


<余談>
以前、このブログで「ダウンタウンは笑えない」と云うコメントを
いただいたことがありました。
お笑い界に「ダウンタウン以前」ダウンタウン以後」と云う言葉があるように
ダウンタウンは「作品」こそ残していないかもしれませんが
芸人の歴史に確実に大きな爪あとだけは残しています。

ザ・プラン9は一体何を残せるのでしょうか?


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