2009/6/18

終わりの無い物語  しばいデイズ


昨日、ふと思ったのですが、THE PLAN9の本公演、というか久馬脚本は2006年あたりから微妙に変わってきているような…。




おそらく、「地上最低のショウ」+「銀行ノススメ」あたりから
久馬作品に対する評価が下がってきているようですが、
ちょうどその頃の作品を境にして、
久馬作品は
「なゐ振る」、「編集者 竹一平の苦悩」、「こわがり」、「The Ten-Show」、「西暦二〇〇X年四月一日、禁洒法ヲ施行スル。」、「サークルS」

「仇男」、「室内の人々 a room」
の2種類に分れるように思えます。

物凄く乱暴な解釈をすると、私は
前者が「物語内で提示されている問題が殆ど解決されていない作品」
後者が「物語内で提示されている問題が殆ど解決されている作品」
ではないかと思うのです。

例えば、
「室内の人々 a room」では
大西以外の人物は殺害され、その犯人である大西が逮捕されることで事件そのものが解決しています。
「仇男」では
雑居ビルでの事件が犯人未逮捕なままであり、藤田の復讐計画は完璧な形で成功したことを示唆してます。


過渡期に当たる
「銀行ノススメ」は、
とりあえず、泉州の誤解が解け、銀行強盗事件は不恰好ながら解決しています。ただし、銀行側にとっては事件は解決しているとはいえ、犯人の泉州が黙っていなくなったため東間、八十島、阿川の子供たちの行方は不明のままという問題は残っています。
「地上最低のショウ」では
八千草の復讐計画は今一歩のところで頓挫し、拉致事件は解決しています。また、人身事故を起こした新高は自首することで自分自身にケジメをつけおり、逃げ回っていた粟津も借金を踏み倒した友人に無事再会しています。
どちらもある人物が犯罪を犯そうとしたのもの、失敗に終わりその他多数の人の命が救わる一応はハッピーエンドとなっています。

ここまでの4作品は、少なくとも、作品内で起こった事件・事態が最後で一旦収拾されており、物語は完結しています。
作品の核となる登場人物たちのとっての大事件が終結したところで物語は終わっています。

ところが、それ以前のものになると
「なゐ振る」
主人公たちは5人は死をもって自分達が背負った罪を清算しようとするが、死にきれず失敗。目的を果たせなかった彼らがその後どうするのかどうなるのかは不明。
「編集者 竹一平の苦悩」
物語自体が妄想なのか現実なのか不明。特に竹一平がその後どうなるのかどうするのか不明。原稿を受け取って社に持ち帰るという竹一平の目的は果たされていません。
「こわがり」
野沢が自害したのかどうか、見せず暗転したため不明。そのため、古川が仕組んだ計画が最後まで成功したのかも不明。また、広川、山田、栗田についてもその後どうなったか不明。
「The Ten-Show」
教授を騙して単位を貰うという本来の目的は果たせていません。医務室に運ばれたエイロク、メイワがどうなったかが不明。この話の核となっているキョーホとエイロクの関係がどうなったかも不明。(そもそもエイロクがキョーホに恋愛感情を抱いていると云う話はキョーホが教授を騙すために書いた台本での話となっているので本当にエイロクがキョーホを好きかどうかも怪しい。)
「西暦二〇〇X年四月一日、禁洒法ヲ施行スル。」
秋鹿の目的は果たせず(と、いうか全てが秋鹿の妄想話)、その後秋鹿がどうなったか不明。
「サークルS」
スーサイドの方の「サークルS」の面々の目的(自殺すること)が果たされないまま、わけのわからないオチで締めており、残された置鮎が持っているいじめ問題も治の死によって解決したわけではありません。

といったように、それぞれが目指していた目的は達せられず、問題が充分に解決していませんし、物語も完結していません。

どうも故意に結末をはぐらかされているような感じさえします。

でも、だからこそ久馬作品は面白かったように思います。
見終わった後もかなり長い時間、舞台と台本から与えられた情報だけで、結末の部分や描かれていない部分を想像したり解釈することができ、それが楽しかったのです。

勿論、久馬作品特有の巧妙に隠された膨大な数の伏線を追っていくのも面白かったのですが、これはそのスタイルに慣れてしまったこともあり、「地上最低のショウ」あたりからどんどん話が読めるようになってきましたし、作り手の方も徐々に伏線を判りやすく目立つように張ってくるようになりました。
それと同時に、久馬作品は他の劇団の舞台と同じように上演時間内でちゃんと物語を終結するようになってきました。

そういう舞台なら他にもあります。
前半に伏線をちりばめ、後半でそれをキレイに収拾する作品ならTHE PLAN9でなくても見ることができます。
収拾しきれないからこそ面白かったのに…。

「仇男」にしても「室内の人々」にしても、藤田の高笑い、大西の告白で物語はそこで終わっています。
たしかに、これらの方が、1つの話として収まりがいいでしょう。
でも、「明確な結末がない」のがTHE PLAN9の面白いところだったような気がしてなりません。

それでなくても「お笑い」としてもどんどん他との差別化(違いといえば人数ぐらい?)がなくなってきているのに…。
最近は作品より芸人個人をプッシュしているようですが、私はメンバー個人個人が好きと云うよりTHE PLAN9が作り出す作品世界が好きでした。

と、長々と書いてみましたが
ここまで書いて「じゃあ『怪々々々々』はどうなの?」と、ツッコマれると非常に困ります。
ので、、まあ、読み流していただけるとありがたいです。

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2009/6/25  22:28

投稿者:ひつじ

いさ様

コメントありがとうございます!

以前はファンブログの感想もさまざまな視点から舞台を見ていて解釈もいろいろあり読むのが楽しかったですね。
最近はメンバーのオーバーアクトやアドリブに関して笑えたという感想が多く、肝心のストーリーや演出については「凄いです!」という言葉しか出てこないようです。

もともと、久馬さんの作り出す世界やそれとは違う覚王山さんの描く世界が好きだったので個人のアドリブや芝居とは関係ない笑いだけが目立ってくるようになって淋しいです。

やっぱり巧みな伏線や意外なラスト、そして演出で「あっ!」と云いたいです。

ただ、「室内の人々」で、大阪では判りにくくて判ったときは嬉しかった(杉が勝手に大西のカメラを持ち去るところ、坂本の携帯の着信メロディが鳴るところ等)が東京では判りやすいようにめだたせてあったのを見て、時代の流れを感じました。

THE PLAN9やよしもとに限らず、今は「判りやすさ」が求められるようになってきているのかもしれません。

それでも次の作品に期待してしまうんですよね、まだ。


2009/6/25  0:38

投稿者:いさ

そういえば初期作品は見た人それぞれ解釈が違ってて、ブログ読みに行ったり新しい解釈がひらめいてはDVDで確認して…ってことをしてましたね。

>作り手の方も徐々に伏線を判りやすく目立つように
いつからか見てて気持ちわるくなっていました。
伏線を秘かに埋め込んでしまっては面白いさに気づいてもらえない、すべてが伝わらないと思われたのでしょうか。
結果深みのない=つまらない出来になってしまっているのですが、彼らの居る世界はお笑いで、その中でもネタの瞬発力を重視するよしもとだから、久馬さんなりに考えた結果が
「わかりやすく」だったのかなと。
今になってそうぼんやりと考えてしまいます。
そうだったとしても他にもっとやり方があるだろうがやる気だせよぉぉぉ!!!って気持ちは変わりませんがww

2009/6/20  22:23

投稿者:ひつじ

あいき様

キレイな結末も上手くオチていれば、それはそれで好きなんです。
ですから、早い段階でどう云ったストーリーか判ったとはいえ、「仇男」は大好きです。

でも、前回の「何かが正解です!」を含め、このところの本公演は、前半に後半で明らかになる意外な事実のために用意された判りやすい伏線を並べた上で、後半でその伏線を判りやすく回収したうえで、観客を「あっ!」と驚かすためだけに強引なオチをつけるようになってきているようでそれが残念に思えます。

「なゐ震る」までは、ご覧になった方がどう解釈しているか、どう見たかが本当に気になり、あいきさんをはじめいろいろな方のブログを見るのも意見を交換するのもとても楽しかったです。

演劇の舞台でもそこまで深く考察したはありません。

ところで、この記事を書いたあと、たまたまyoutubeでアニメ夜話「新世紀エヴァンゲリオン」の回を見ました。

その中で、エヴァンゲリオンは敢えて、多くの謎を残したままで終わったのは
見ている人が各々で解釈し謎の部分を(悩んだり楽しんだりしながら)補完することで「自分だけのエヴァという世界」を完成させることになり、それが唯一無二の作品となった理由ではないかという話をされておりました。

それで思い出したのが以前のぶさんに見せていただいたザ・プラン9結成以前の「刑務所」のコントでした。
多くの問題を残したまま、いきなり全員が踊りだすオチがエヴァの最終回とダブってしまったのですが、いかがでしょうか?


2009/6/19  0:11

投稿者:あいき

「綺麗に結末のついた物語なんか、面白くないんじゃー!」ってことですね、わたしのような観客って…(笑)。
本当に、「なゐ震る」から「サークルS」まで見ていくと、確かにその「不明」な部分が、「一体どうなったんだろう?」「こうなったのではないか、なぜなら本編中にこういう部分があったから」と、見終わったあとでも、何回でもその物語を振り返って、ああでもない、こうでもない、と考えていましたね。そして、それがすごく楽しかったです。今まで「お笑い」で、そんな風に考えたことが無かったですし…。答えが用意されていない問題を解く感覚。
こんな面白さはTHE PLAN9の本公演でしか見られない、と思って好きだった…というのもありますし、演者さんの魅力も抜群ですよね、この5+1人って。

「怪々々々々」を見たときの自分の感想は、この公演は、ライブレポをオチまでしっかり読んでいた為、騙されるということはないだろう、と思って見たけれども…、2回目を見たときに、ヒッ!と思わず声が出た、と書いてあります。なぜ気づけなかった!?と、びっくりしています。
「オチの不明瞭さ」と「伏線」、この場合は「伏線」に完敗した、ということですね。

伏線が見抜ける目を持ってしまったことを、誇らしく思うべきなのか、悲しむべきなのか…。
神保町でも、「あれ、ここは伏線のにおいがするな」と思って注意して見ていても、結局終わってみれば、「あっ、あれって全然関係なかったのか」と肩透かしをくらうことも多かったです。このときの虚しさったら…!(笑)かと思えば、いちはやくカラクリを暴けたときは、久馬作品で鍛えられていますから!と、ちょっと自慢げになったりしちゃいます(笑)。

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