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2007/3/12  6:03

織田信長の安土城「天主閣」の哲学  文化国家(Kulturstaat)
 織田信長晩年の居城安土城において、常に不思議に思われていることは、通常「天守閣」と言うところを「天主閣」と言ったことです。
 これはきわめて異例なことで、当時キリスト教を天主教とといったことから、「信長はキリスト教に傾倒していたのではないか?」という説から、「安土城にあった惣見寺という寺が神格化された信長を祀っていたので、晩年信長は自らを神として天皇への反乱を企んだのではないか?」という説から、いろいろ憶測が流れました。
 これは私なりの勝手な推測なのですが、「天主」とは、織田信長が晩年につこうとした新しい「地位」の名前ではないか?と思うのです。
 織田信長は天下布武というスローガンや、天正が「天下を正す」という意味のとおり、「天下」ということばを好み、彼の生き方そのものも「天下のために生きる」人生でした。
 天主ということばは「天下の主人」という、きわめて単純な意味で、宗教的な意味はないと思うのです。
 織田信長は天皇から恐れ多くも右大臣の地位を与えられますが、貴族の位を好まずすぐに返上しております。
 源氏の場合「征夷大将軍」という、貴族組織から分離した幕府を開ける治まりのよい地位がありますが、それ以外の氏族にはそれがありません。
 豊臣秀吉は征夷大将軍の地位の望みましたが、源氏でなかったため果たせず、新しく「源平藤橘」と並ぶ「豊臣」という姓を新たに恐れ多くも天皇陛下からいただき、自らを権威づけようとしましたが、結局貴族化してしまい、長続きしませんでした。
 では「天主」という地位がもしあったらどうか?
 おそらく信長は南蛮人から「天主(神)とは王を守る存在である」ということを聞いていたと思います。
 日本人にとって神は人もなれるものであり、死ぬと神となります。
 東西文化が融合すると、「天主とは天皇陛下を守る武家の棟梁の意味」ということではないか?と思うのです。
 源頼朝も死後祀られたところは「法華堂」といったので、「惣見寺」もそれほど不自然なものではないのです。
 たしかに誤解を招く表現ではありますが、織田信長は堕落した延暦寺を焼く一方、武家の象徴であった石清水八幡宮を修理したり、他にも天皇陛下と武家の権威の復活に努めております。「天下のために生きる」織田信長にとって、天下のためにならないものには厳しいのですが、彼も日本精神文化の伝統の上に生きてはいるのです。
 足利将軍家を京都より追放した彼にとって、「征夷大将軍」は古い地位であり、「天主」とはそれに変わる、武家の棟梁の新しい地位の構想ではなかったのか?と思うのです。
 おそらく彼は後で大阪城を建設し新しい天主閣を作り、大阪に天主を中心とした幕府(もしくは天主府)を作ろうとしていたのだと思います。
 その後安土城に「初代天主」として隠居し、日本の天下は大阪に置く長男の信忠にまかせ、自らは海外の貿易に関心を持ち、海外に雄飛したいと思っていたのではないかと思います。
 淀川、琵琶湖水運の最上流に琵琶湖の安土城があり、淀川下流に新しい拠点大阪に幕府(もしくは天主府)が開かれ大阪城がある。
 新しい武家の棟梁の名称である「天主」が北東と南西から京都を守る。きわめて具体的でわかりやすいと思います。
 何も不思議なことはありません。
 「天主閣」とは「天下の主人」の象徴であり、新しい武家の棟梁の地位の名称として織田信長が望んだものものであったというのが、私なりの推測です。
 武家と政党とは違いますが、今でいえば「天主」とは、「天皇陛下を守る武家の棟梁の、今で言えば総理大臣のような地位」であったと私は思うのです。
 「天主」という地位がもしあったら、どのようなものになっていたのでしょうか?想像がかきたてられます。
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