講演のネタでちょっと年金ってやつについて調べてみた。
調べてみると、「なんじゃいこりゃ?」って制度なんですな。
「最後のお一方まで」って言うてたけど、そもそも成り立たんやん、この制度。
「積立式」ってのがそもそもの詭弁。
みんな「積み立てておけば返ってくるもんだ」と思ってるのが大きな間違いやわな。
だって、普通に考えて最初に年金貰った人らは、積み立ててないからね。
わが国の年金制度が始まったのは1940(昭和15)年の「船員保険法」。
船員だけだったものが、1942(昭和17)年に施行された「労働者年金保険法」で民間工場労働者の男性のみに対象が拡大され、1944(昭和19)年に厚生年金保険法に改称された時に対象が女性と職員に拡大された。
おりしも、1937(昭和12)年に始まった日中戦争を経て、1941(昭和16)年に勃発した太平洋戦争と日本が泥沼のような戦争状態にあった時だ。
「一億火の玉、玉砕だ」なんて号令をかけてるときに、老後の年金?
大いに違和感を感じる。
普通に考えて戦費集めの詭弁だったんだろな。
戦後、年金はサラリーマンを対象とした厚生年金と公務員を対象とした共済年金、そして1961(昭和36)年に自営業者を対象とした拠出式の国民年金法が施行されて「国民皆保険」が実現したことになる。
1960年代は高度成長まっただ中。インフレでどんどん物価も上がった時期だ。
ちなみに東京五輪があった1964(昭和39)年当時の民間事業所勤務の給与所得者平均年収は41万円。2012(平成24)年では358万円だから物価の上昇は半端ない。
だから、当時集めた資金は、ただプールしておくだけじゃあ、意味がない。
どうやって運用したんかな?って疑問がわく。
すると、こんな資料が出てきた。1988年に出版された「厚生年金保険制度回顧録」。
1942年当時 厚生年金保険課長だった花澤武夫氏が1986年の座談会で語った回顧録で、第159回国会予算委員会 第18号(2004年3月3日)でも取り上げられていた。
抜粋すると次のとおり。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
それで、いよいよこの法律ができるということになった時、これは労働者年金保険法ですね。
すぐに考えたのは、この膨大な資金の運用ですね。これをどうするか。これをいちばん考えましたね。この資金があれば一流の銀行だってかなわない。今でもそうでしょう。何十兆円もあるから、一流の銀行だってかなわない。これを厚生年金保険基金とか財団とかいうものを作って、その理事長というのは、日銀の総裁ぐらいの力がある。そうすると、厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だと。金融業界を牛耳るくらいの力があるから、これは必ず厚生大臣が握るようにしなくてはいけない。
この資金を握ること、それから、その次に、年金を支給するには二十年もかかるのだから、その間、何もしないで待っているという馬鹿馬鹿しいことを言っていたら間に合わない。
そのためにはすぐに団体を作って、政府のやる福祉施設を肩替りする。社会局の庶務課の端っこのほうでやらしておいたのでは話にならない。大営団みたいなものを作って、政府の保険については全部委託を受ける。そして年金保険の掛金を直接持ってきて運営すれば、年金を払うのは先のことだから、今のうち、どんどん使ってしまっても構わない。
使ってしまったら先行困るのではないかという声もあったけれども、そんなことは問題ではない。二十年先まで大事に持っていても貨幣価値が下がってしまう。だからどんどん運用して活用したほうがいい。何しろ集まる金が雪ダルマみたいにどんどん大きくなって、将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
ふぅ〜〜〜ん。最初っから賦課式に切り替える腹やったんかー。
しかも、天下り組織を作ってね。
その組織は1961年設立の「特殊法人年金福祉事業団」。
この事業団は2001年に「年金積立管理運用独立行政法人」に改組されている。
ん?
「Government Pension Investment Fund (GPIF)}?
聞き覚えがあると思ったら、アベノミクスのテコ入れで外国株式とかの投資にあてる原資とかいうてたやつやんか?
株式投資なんてど素人の人間やろ?
怖いなー。
そもそもね、1960年当時の人口を見ると完全にピラミッド型。
それが2015年では完全に歪になってる。
2060年にはこのありさまだ。
これだけの高齢者の年金を賄うための労働力を確保しようとしたら、日本の人口は6億ぐらいになるんとちゃうのん?
こら、あかん。少子化対策しても年金問題は全く解決せんがな。

0