集団的自衛権に関して、こんな記述を読んだ。
> 試合前のボクサーが、
>「僕は右からのフック、ストレート、アッパーは防御するが、
>家庭内の話し合いによって、左からのアッパーは防御しないこ
>とにします」とマイクで放送してからリングに上がったらどう
>なる。
> 対戦相手は、対戦前から安心してリングに上がり、左からの
>アッパーを撃ち込んでくるではないか。
いやいや、そもそも我々は戦うためにリングには上がらないのだ。
我々が現在持っているものは、場外乱闘に巻き込まれた場合、せめて身を守るための防御。これが自衛隊だ。
あるいは、場外乱闘になりそうなとき、リング上のファイターが、「ちょっと待て、そいつは戦えへんのやから手ぇ出すな」と制止に入ってくれる。それが日米安保条約だ。
あるいは、ファイターのトレーニングキャンプに付き合ってやる。セコンドについてファイターに水を補給する。それがこの国が行ってきたことなのだ。
肝心なのは我々はリングに上がって戦うことを放棄したのだ。
いつの間に、自分たちがリングに上がって戦うことが前提となってるんだ?
「武」という字は「戈(ほこ)」を「止(とど)める」と書く。
戦う術を持っていても使わない。それが「武」とされるものだ。
木鶏の如く、戦わずして勝つ。戦わないのだ。
さらに言えば、もう70年近くも実戦を経験していないアマチュアだ。
アマチュアはアマチュアらしくすっこんでおくべきだ。
生兵法は大怪我の基。
ヤクザ映画を見れば、自分が菅原文太さんにでもなった気分でいきがる。
そんな幼稚な感情で国民を危機にさらすもんじゃない。

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