去る11日、51歳になった。
例によって誕生日に自分で唄ってまえ、というイベントには、気のおけない仲間が集まり、大騒ぎしてくれました。
本当に感謝しています。
写真は2001年2月、ペーニャでのライヴの写真。
そんで、こないだのベガーズでの写真。
なるほど、この10年で相当に髭も白くなった。
ギター抱えて、テンガロン被った写真を見てると、なんとなく、昔、写真やイラストで見たアメリカの爺さんみたいになってきたな。
歳を食うことにさほど抵抗は感じない。
2月生まれってこともあって、自分の年齢は学年がかわった4月にひとつ歳を食う感覚だ。
だから、去年の4月から年齢を聞かれると大抵の場合、「51です」と答えてた。あと2カ月もすれば「52です」と答えてるんだろな。
高校生2年の頃、一般に交じってローカルな柔道の試合に出ると、「2段以上の部」とかだから、社会人と間違えられた。
「学校行ってます」と答えると「どこの大学?」と尋ねられもした。
15歳で25歳ぐらいに見られてた。実際、学生服のまま柔道着持って飲み屋に入っても、普通に酒を出してくれた。
10代後半の憧れは、映画「波止場」の中でマーロン・ブランドが演じる元ボクサーの“テリー”だった。あるいは、「カッコーの巣の上で」でジャック・ニコルスンが演じる“マクマーフィー”だった。バッファロープレイドのウールシャツや革ジャンにニット帽は、僕の当時の冬場の必須アイテムだったっけ。
幼く見られるよりは、大人びて見られる方がええかな、とも思ってた。
だから、20代半ばも過ぎると「30前です」と答えてた。
早く30代になりたかった。
当時の僕にとっての理想の30代は、三船敏郎演じる黒澤映画の“桑畑三十郎”だった。
腕もたつ。頭も切れる。経験も十分に積み、修羅場も潜って来た。
青臭さのない「大人」の漢だ。
30代半ばになった時、40代に魅力を感じていない自分に気がついた。
「ありゃ、歳喰うことに抵抗を感じ始めたのかな」と自問してみると違った。
僕は早く50代や60代になりたくなってた。そう考えると40代のなんと中途半端なことか…。
僕の理想は晩年のマーロン・ブランド、ジャック、それにショーン・コネリーみたいな爺さんになりたかったのだ。
だから、僕は40代を次の10〜20年を生きる準備期間に充てることにした。
“不惑”だからこそ、自分を鍛えなおそうと思ったんやな。
そして10年経った。2度の転職を経た。
2008年の秋、スコットランドから来た若者たちは、僕のことを「LEJ(レジー)」と呼び、僕の掌にボールペンで落書きをした。
「どんな意味だ?」と尋ねると「LEGEND」と書き足した。どうやら型破りな放蕩爺のことを彼の国ではそう呼ぶらしい。
ショーンの母国の若者にそう呼ばれて、僕は少しは理想に近づけてるのかな、と思った。
これからも這い蹲ってでも生きてやる。
51歳になった。
僕は、今からの自分が楽しくて仕方がない。

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