ホセ・クエルボ・ゴールド。
僕が愛飲してるテキーラ。
酒との付き合いは長い。
親父が下戸やったんで、家に酒はなかった。
こっそりトリスを買うてきて、勉強部屋に盗み飲みしてたっけ。
いわゆる“飲み屋”で飲み始めたのは、15のとき。
部活帰りに駅前の路地にあった屋台で生ビールをひっかけ始めた。
きっかけは、ガンガン稽古して、ビール飲んだら身体がでかくなるて言われたからやな。
そのうち、長い長い電車の待ち合わせ時間に、赤提灯で関東煮をつつきながら日本酒を飲むようになってた。
屋台の親父に「チューハイてなんや?」と尋ねたら、「これや」といって出してくれたのが、キリンラガーに宝焼酎を混ぜたもんやった。
数年たって、チューハイブームになったとき、初めてあの親父にだまされた気づいた。
だけど、学ラン着た高校生が一人で店に来て、普通に酒を出す店も店やな。まあ、15のときに25歳ぐらいに間違われたことあるから、大学生ぐらいに思われてたんかもしれんな。
「American Stars'n Bars」ってアルバムが出たとき、「酒場文化」って奴を意識し始めた。
それ以前に親父が見てた西部劇で、バーカウンターに出されたショットグラスに注がれたスカッチやバーボンをクイッと一気飲みする姿に憧れてた。
やがてバー通いが始まった。これは未だに続いてる。
最初は、バーボンやった。アーリー・タイムスはモハメド・アリの生まれ故郷・ケンタッキー州ルイビル産やったから、よく飲んだ。
「American Stars'n Bars」のジャケット写真の影響もあって、カナディアン・ウイスキーも好きやったな。当時はCC(カナディアンクラブ)ぐらいしか目にしなかったけど。
しばらくして、飲む酒はジンに変わった。凍てついたジン。これは最高に美味かった。タンカレーのジンにハイネケンをチェイサーに飲むのも気に入ってた。シーグラムのジンも美味かったな。
ある夜、カウンターで一人で飲んでると、隣にメキシコ系の米軍パイロットが座りよった。ジンを飲んでる僕を見て、「アメリカじゃ、ジンを飲むのは犯罪者だけだ」とほざきよった。「じゃ、お前は何飲んでるんや?」と尋ねると「俺の生まれ故郷の酒、“火の酒”だ」と言って、左手の親指の付け根に塩を一つまみ、それにライムの雫を垂らして舐めると凍てついたショットグラスを一息に飲み干した。
それがテキーラとの出会いやった。
結構バーによって飲む酒を変えてたりしたな。
ホワイト・ラムもお気に入りやった。
当時はええ加減な英語話しながら、外国人連中とよく飲み呆けてたなあ…。
今はやっぱりクエルボが多いかな。
ライヴのステージドリンクとしても欠かされへん。
1973年、ニール・ヤングの「Tonight's The Night Tour」のステージでは、このクエルボ・ゴールドがステージのアイテムやったらしい。
今では、伝説になってるこの“舞台劇”で、ニールとバンドはへべれけになりながら、それぞれを演じたという。
うん、僕らのライヴにも酒は欠かされへん。
と言うより、僕の暮らしに酒は欠かされへんな。
普通に酒は、僕らの暮らしの中にある。
酒や音楽は僕らの日常やから、殊更にいきがる必要もない。
「○○なのに飲んでしまった」なんて反省なんかする気もない。
飲みたいから飲む。飲みたいものを飲む。
酒もロックも女も普通に僕らの暮らしの中にある。

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