脱帽したっ!
その強引さと無茶ぶりが、エロ小説、MCというジャンル、さらには現実世界のパロディになっているにも関わらず、まごうことなきMCエロ作品として成立していることに脱帽したっ。
そもそも「さよなら絶望先生」自体が、パロディと風刺、自虐も含むツッコミで成り立っているギャグマンガ(アニメ)である。
そこからさらに引用して、面白い話を書こうというその気概ももちろん凄いが、
ギャグとエロの(ある意味子どもじみた)リピドーをこれでもかと詰め込んで
にもかかわらずひとつのストーリーとして一気に読ませてしまう構築力、それが凄い。
子どもじみた、と書いたが、けっして悪口ではない。
どんなに肩肘はろうが、背伸びしようが、そもそもエロい妄想を文章にするなんて
子どもじみたことじゃないか。
大体、文章にしろ音楽にしろ絵にしろゲームにしろ発明にしろ学問にしろ、
なにかを作り上げるには、なにがしかの子どもじみたパトスが必要だと思う。
でも、すでに歳を重ねてしまった者が
そのシンプルな、本能に近いところにある欲求を
源泉に近いところからすくいあげてきて形にするには
それなりにやっかいな作業がいる。
馬鹿馬鹿しいことを馬鹿馬鹿しいものとして積み上げ、ひとまとまりの大嘘をつくのは
さぞかし大変で、しかし爽快なことだろう。
――え? 何の話をしてるのかって?
永慶さんの「さよならポコチン先生」を「E=MC^2」で読んだのですよ。
その興奮が、未だにさめやらないw
この作品は「問い」に満ちている。
にもかかわらず、直接的な「問い」はどこにも書かれていない。
ただ、斜め45度に3ミリずれた「答え」がこれでもかと詰め込まれている。
現実を凌駕した荒唐無稽な答の数々が、自然と「問い」を浮かび上がらせる、――そのような作りになっている。
いや、作者はただひたすらに、馬鹿馬鹿しくエロく面白い話を、紡ごうとしただけかもしれない。
しかし、少なくとも「性欲」をキーにして、この世界に切り込もうとしているのは
はっきり描かれているし、
それがある種の闘争、あるいは生き残り戦略になっていることも間違いない。
ああ、そうか。
思いや思想や答や問いは、このようにして作品に反映されるのか。
いやいや、そうじゃなくて、このようにして表現すればいいのか。
多分、私には何らかの怒りがあるのだ。
それをどのように発散したらいいのかわからず、困惑していたのだ。
永慶さんの作品を読んだら、お腹の中で何かが少し動いて、
その「怒り」が3ミリほどずれて、なんともいえず愉快な気分になった。
ありがとう、楽しませてもらいました。
そして、やっぱり、脱帽したっ!

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