久しぶりに本を買いましたw
ローレンス・ブロックのマット・スカダーシリーズの文庫版が新しく出ていたのでそれと、
これは今書いているものの資料的な意味も含めて、澁澤龍彦の未読の文庫を一冊。
私にとって、この歳になって澁澤氏の本に手を伸ばすのは、そこはかとなくくすぐったい感慨を伴います。いや、これはまったく個人的な感傷に過ぎないのだろうけれども……。
知ってるつもりになっていることも、いざ書こうと思うと生半可な知識であることが多い。書いているうちに「なんだ、全然知らないじゃん」と気づき、ネットで検索をかける。でも、ネットで得られる情報には引用も多く(私も多分に引用した情報を元にお話だのブログだのを書いてますw)、しかも、引用された二次情報を元に書かれているもの(三次情報)も少なくない。
ちょっと幾つかあたってみると、大筋は同じでも細かい部分が微妙に異なり、つまり都市伝説のように、少しずつ変更が加えられていることも少なくない。
たとえば、ちょっとした言葉の読み間違い/書き間違いで、
テストステロンをテストロンと書いてしまうなんてことが起こる。
あるいは、歳の差が5歳違いの夫婦に関して、15歳違い、と書いてしまうというようなことが起きる。
私が今回調べたかったのは、中世ヨーロッパに実在したある人物のことだったのだけど、もともと多分に伝説を含んだ人物ということもあり、ネットで調べても、どこからどこまでが史実で、どこから先が伝説なのかがわかりません。
そこで澁澤氏の書物に頼ることにしました。
もちろん、その本も多分に引用によって成り立っているもので、史実と伝説、想像の明確な区分はないと思われます。しかし、それが伝説であろうと引用であろうと、引用元を明確にすることはできます。その引用元が明確であるということが、私にとってはかなり大きな安心材料になる気がするのです。
元々私の書く話は、作り話です。
つまり、嘘八百を並べ立てているわけで、事実かどうかが重要な問題になることはありません。
ただ、読んだ人が、その細部に関して「そりゃ間違いだよ」というツッコミを入れたくなるというのは私の望むところではありません。
だって物語っていうのは、たとえ嘘とわかっていても、少なくともそれを読んでいる間は、本当のことのように感じられるから楽しいわけですから。
嘘をつきたいのは物語全体を通してのことであり、そこに登場する人物やギミックは、その嘘を本当らしくするための要素にすぎません。もちろんそんなギミックのひとつひとつに、いちいち検証を加える人は少ないと思いますが、それでもたまたま自分がよく知っている事実に関して嘘が書かれていれば、すぐにそれと気づきます。
「さあ、あなたは今、夏の海辺にいます。真っ青な海に穏やかな波がうちよせ、暖かな日差しが降り注いでいます。あなたは浜辺で日光浴をしながら、ゆったりとリラックスしています。何も心配事などなく、気分も穏やか」
この催眠暗示は、リラックスを促すものとして割とありがちなイメージだと思います。しかし、この後、こう続いたらどうでしょう?
「あなたはとってもリラックスしています。普段の練習で培った能力を十二分に発揮することができる。あなたは自信に満ちあふれ、リラックスしてフィギュアスケートの4回転ジャンプを成功させることができます」
フィギュアスケートの選手に夏の海の暗示はねえだろうw
私だったらそう思ってしまう。
いや、仮にその前のカウンセリングで、「ずっとバカンスもなく走り続けてきた。本当は夏の海でゆっくりしたい」みたいな描写があったなら、少しはマシだとは思います。それでも、いきなりそう書かれていたら、やっぱり無理じゃないか、と気になる。
なんていうか、たとえそういう設定があったとしても、「海」でなくてもいいんじゃないか。あるいは間を繋ぐイメージを増やして、すんなり移行するようにして欲しい。いくらなんでも「夏の海でゆったり」をいきなり「氷上での華麗な演技」に結びつけるのは無理がある、と私は思う。
私が被験者だったら、絶対にそんな暗示にはノれない(爆
……というわけで、専門的な知識がなくても、この展開を読んだら「え?」って疑問が湧くと思うのです。
私がそういったミスを犯していないという話ではありません。
きっと、見る人が見たら、穴だらけでしょう。
たとえば、実際にヒミハコの弓道のくだりで、読者の方に指摘を受けたこともあります。(弓道では筋肉はつかないと指摘され、慌てて書き直したw ……あの時は感謝!)
あるいは音響の専門家の方に、演劇部の描写に関して「気にしだしたらキリがないけど、高校演劇の話だし、許せる範囲でしたよ」wと、優しい評価を頂いたこともあります(あの時は感謝!)。
他にもいくつも、指摘を受け、直した部分があります。
そのように意図しないところで嘘がばれてしまうのは、作者にとってかなり痛いことです。
そこで、物語を楽しんでいた気分はどこかへ消え去り、その間違いが気になってしまうわけですから……。
今回のように、曖昧な情報や伝説・口伝の類の出所を調べるのは困難だし、何が正確なのかを判断することも非常に難しい。
そんな中、澁澤龍彦氏の著書を引用することにしたのは、少なくとも筆者本人だけでなく編集者や出版社の校正・校閲を通過しているということ、さらにはオンライン上にあるいくつかの記事が澁澤氏の本を元に書かれている可能性があるということを加味してのことです。
細部にこだわって物語性を損なうことのないよう、そんなことを一切気にせず読める面白い話になることを願いつつ、その一方で「ダヴィンチ・コード」が語らないマグダラ話にも触れたいなあ、なんて欲を出しつつ。
しかも、あと数ページで読み終わる「姜尚中の政治学入門」も示唆に富んでいて、それにもインスパイアされてたり……。
何書いてるんだ、自分?(爆
エロスって奧深いわぁ……w
とはいえ仕事がたてこんできて、まだローレンス・ブロックにも手を伸ばせない状態。
ちゃっちゃと片づけて、続き書こう……。

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