またまた自分勝手に自分のこと書くぞw
今も昔も、私は女性にモテたいし、
男女とわず、「そこそこいい人」だと思われたいw
どこか変わった部分やアクの強いトコロはそのままに、それはそれとして許容されたい。
強引で押しつけがましく、にもかかわらずすぐ凹むようなところも、
頑固で自分勝手でつきあいづらい部分も、
知恵と勇気と親切でプラマイ0、なるべくプラスに持っていきたい。
できればいつも機嫌よくありたいし、楽しい人でありたい。
結構大変なコトでもグチなんかこぼさずに、
何でもないことのようにこなしたい。
ネガティブな要因よりもポジティブな可能性に光をあて、
明るく元気に暮らしたい。
──って感じのことがかつてはよくあったけれど、
それってつまり、自分自身のネガティブな要因を見ないようにしているだけで、
私の場合、いずれ破綻してしまうことが多いw
ひとりで破綻するならまだしも、
たとえば連れ合いが、そのネガティブな部分に関する不安を述べようものなら
「自分はなんとか明るく前向きに頑張っているのに、なんで伴りょのお前が足をひっぱるようなコトを言うのか!」と
腹立たしいやら、情けないやら……。
で、結局、反論に反論を重ねて暴力的な言論封鎖を行ったり、
機嫌悪くして寝込んだりもしてました。
……ホントは、自分が自分の不安を見たくなくて、抑圧してただけなのに。
結局、自分自身の不安を無視したポジティブは、ネガティブな結果しか招かない。(と思う)
今も昔も私は、いろんな人に称賛されたいし、
面白いこと言うヤツだと思われたい。
クドくて、能書きたれで、頭でっかちなところはあったとしても、
そこも含めて才能だと認められ、デキルやつだと思われたい。
苦手なことはたくさんあるし、デフォルトで締め切り伸ばすのが当たり前でも、
なんとかそれ以外の才能や努力でカバーして、
「やる時にはやるよな」という評価を受けたいw
笑顔とサービスでカバーして、しぶとく粘って、
ホントは責任感強いのよ、ってわかってもらいたいw
クライアントの無理な注文にも、笑顔で
「うわ、困りましたねー、でも、まあ、何とかします」と答え、
実際に何とかし、
必要ならばサービスで気になる部分の代替案を伝え、
受け入れられなくても、笑顔で
「いやいや、単なる思いつきなんで」と答えるような人でありたい。
──って感じで頑張ってしまうことが今でもまだあります。
でも、そんなことを続けていると、他の人からは「あの人は頼みやすいね」ってことになり、
「ま、締め切り伸ばされるとイタイけど、とりあえず無理は聞いてくれる」ってことになり、
限られた予算で荷重な作業が当然になったり、
無茶なスケジュールが前提になったりする。
そして、こちらがかなり激しく出血大サービスした気分の時ですら、
「ああ、気持ちよくやってくれてよかった」で終わることになるわけです。
もちろん、そのせいでしらずしらず恨み辛みが溜まっていくわけだけど、
間違いなく自己責任の範疇だから、馬鹿でアホウでマヌケなのは私自身で、
誰を恨んでいいわけでもなく、結局自分の中に溜め込むしかない……。
で、結局は
「自分一人がわかっていて、世の中わかってないヤツラばかりに思え」たり、
まわりがみんな自分を搾取しているように思えたり、
揚げ句にはウツで寝込むことで復讐するしかなくなる。
……ってわけで、百害あって一利無しw
多分私は、不安や恐れを紛らわせるのが得意な方なんじゃないかと思う。
どうすれば自分が万能感を得られるか、いくつかやり方が身に付いているし、
どうすれば前向きな意見が生まれてくるか、いろんな方法を知っている。
それはスキルというよりも、すでにクセのようなものなわけ。
──なのに、かなり量は減ったものの、今も抗うつ薬を飲みつづけている。
それは「いつも明るく元気でいるため」ではなく。
「前向きに人生を生きるため」でもなく。
「かつての自信や有能さを取り戻すため」でもない。
不安を不安として、焦りを焦りとして、無力を無力として
正直に受け止めるためには、最低限の落ち着きと勇気が必要なのだ。
だけど、そのための体力に自信がないので、
薬でほんのちょっと底上げしている、──そんな感じなのです。
ほうっておくと私は、
いい人になろうとし、
有能な人になろうとし、
常に機嫌のいい人になろうとし、
いつもポジティブな人になろうとし、
明るく元気な人になろうとし、
面白い人になろうとし、
軽々とできる人になろうとし、
実際は、ただ
自分にとって不都合な事柄や、自分の中にある不安や恐れや焦りを
抑圧して、ないことにすることで、なんとか無理やり実現しようとする。
──いや、実現できていないわけですが。
不安を紛らわす簡単な方法は、別の何かに埋没すること。
さまざまな快楽に嗜癖すること。
でもそれは、心と身体と脳と、私と私の家族と友人と、
仕事先にも地域にも、
何の利益ももたらさない。
というわけで、どこかで何度か言った通り、快楽よりも快適を目指したい。
その違いの判別法は、「不安や恐れを無視していないかどうか」。
多分、私にとっての健康は、そんな風に形作られていく気がする。
──ま、そうはいっても、たとえばクラシックのコンサートの帰りには、無性に化学調味料どっさり入ったギトギトのラーメン食べたくなり、
そうやってバランスとったりするわけですがw
身体や精神によさそうなものを摂取すると、反動で逆のものが欲しくなる。
因果だ──w

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