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NOV.FALLの雑感・タワゴトなど

 

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投稿者:NOV.FALL
薬飲みながら、それでも毎日会社へ行って働いてるというだけで、物凄いことだと思う。(ご存知の通り)私にはそれができません。

私の父がいなくなったのは高校の時だけど、Natさんは中学。立ち入った想像ですみませんが、もしかしたらダメージはより深刻だったのではという気もします。

ほぼ毎週、グループミーティングにでかけているけれど、それがなかったら、連れ合い以外、一切誰とも口を聞かないことがザラです。
仕事のない時は、ほぼ引き篭もりといってもいいし、私か連れ合いのどちらかが調子悪ければ、結局自分との関係に閉じてしまう。

でも、特に日本人の結構多くの人が、本当は引き篭もりたいんじゃないかという気もします。

他者はよいものを運んでくるのと同時に、やっかいでもある。
濃厚な関係性よりも、薄いが快適な関係の方が長続きしたりするし、それに人間だけが世界じゃないとも思ったり。

私はNatさんが撮る写真が好きだった。
その透明な視線には間違いなく愛があると思うな。

よければ近々、お茶でもしましょう。
投稿者:Nat
僕だけじゃなくて、誰でも感じ方や考え方は社会状況や生育歴の影響を強く受けていると思います。

Novさんには人との関係を強く感じます。
僕は人との関係が希薄で自分自身との関係に閉じているような気がします。

それは僕がサラリーマンで、フリーで仕事をしている人の様に社会や他者と無保証で向き合う必要がなくて、会社から与えられた仕事をしていれば生活の不安はまあない、という立場にいることが大きいと思います。
さらに遡れば中学の時、父が家を出たあと一時期自閉症気味になっていたのも影響していると思います。
また元々他者に対する関心が低いという性格もあるようです。

自分でもこのような性格、考え方、行動パターンではだめだ、もっと他者と関わり合わなければ、と思い、神への信仰もその一つの改善方法と考えています。
他者と関わるにもまず他者を愛せねばならない、しかしその愛は自分にはない。
だから絶対的な神の愛を求め、その信仰により他者とも関係が持てるようになるのではないかと考えています。

http://nathaniel.exblog.jp/
投稿者:NOV.FALL
20年以上前に、「不条理」と「理不尽」の違いについて話したことを懐かしく思い出しました。

たとえば「空気」の存在について疑う人は少ない筈。一瞬前がそうであったように、次に息を吸う時にも空気が存在することは「信じ」られている。

そういう意味で、私はこの世の中を信頼しきっていて、不条理を感じていないのかもしれない。

こうして話してみて浮かび上がってくるのは、私が問題にしているのは常に、「不条理」ではなく「理不尽」、つまりニンゲンやニンゲンの生み出したシステムにおける不平等や不公平、暴力だったりするようです。

私にとって自然(人間以外)は、たとえそれが人に牙を向くことがあったとしても、「不条理」だとは感じられない。
「自然は嘘をつかない」し、「自然は謝らない」。

もしかしたら、生育歴や立場の違いによるものかもしれないし、多分どちらが正しいという話ではないと思う。
切り口が違うという言い方もできるでしょう。

ともかく、私自身の不安や恐怖、それに伴う虚無感やユーウツの全ては「人の作り出したシステム」に起因していると感じられるのです。

たとえば私は、自分の父が失踪し、逃げた先で他界したことで、多くの人がそうとう追い込まれなければ思いつかないだろう「いざとなったら逃げ出す」という選択を、選択肢のひとつとして割とあっさり思いつくw

もちろんこれは父のせいだけではないんですが、どうも、余計な学習をした気がしています。

「踏みとどまって何とかする」という選択とその結果については、残念ながら後追いで学習せざるを得ない。

逆に、その部分に関しては相当疑い深いw

弱肉強食、呉越同舟、万有引力、量子力学、恒久平和、資本主義、──そのどれも多分、ある局面においてのみ有効な理屈であって、事実そのものではない筈。

もしNatさんのユーウツやそれと格闘するための考えが、社会状況や生育歴と無関係なものなのだとしたら、本当に申し訳ない。
私のそれは、間違いなく社会や生育歴と連動しているのです。
投稿者:Nat
任せるというか、意味があるという根拠になるものを信じるという感じかな。
意味はない、全ては不条理という事実に耐えられるほど人間の精神は強くないから。

http://nathaniel.exblog.jp/
投稿者:NOV.FALL
天(神でも仏でもアッラーでもハイヤーパワーでも)に任せる、ということでいえば、まさに「何らかを信じる」ことなのかも。

自分が選択すべきことは、自分がするしかないけれど、それ以外は(他者の在りようも含めて)コントロール不能というか、コントロールしようとすればするほど辛くなるというか。

たとえば私個人の話でいうと、テンションの揺れ幅を狭めるための注意は払わざるを得ないけれど、それでも100%完全な安定は望めないw

だから、いちいちビックリしながら、ヨタヨタと、右往左往して生きてくしかないか、と思ったり。
投稿者:Nat
揺らぐ信頼関係の中で人間が生きていくには精神の安定が必要で、何らかを信じるしかないんでしょうね。

http://nathaniel.exblog.jp/
投稿者:NOV.FALL
「細胞から始まる自他」実に面白い!

代謝における「異化」「同化」を思い出しました。(Wikiで「代謝」を検索してもいいけど、ここの説明が簡単でした⇒『同化と異化』http://contest2005.thinkquest.jp/tqj2005/80064/doukaika.html
あと、「分化」「未分化」についても、考えが伸びていく……。

思えば私たちの祖先も、全く違うDNAを持つミトコンドリアを取り込んで、酸素からエネルギーを得る仕組みを作りだしたわけだし、摂取するにしろ共棲するにせよ、常に「他」を必要としているわけですよね。
というか、身体の中に大量の他者が組み込まれている。

身体や社会が「互いの拒絶と信頼のバランスの上に」形作られているのなら、「恐怖」や「不安」もこの社会や自らの身体に内在することを受け容れざるを得ない。
逆に、消し去ってはいけないのだという気がします。

ちなみに、植物の生存戦略などについて見聞きすると、とても信用できない(動物はいいように利用されているw)気持ちになりますが、それでも信頼はしている。(信用と信頼の違いに関する定義は長くなるのでまたいずれ♪)

……「揺らぐ信頼」を生きていこうと思った次第です。
投稿者:Nat
個は細胞が生まれてから始まったのだと思います。
細胞壁/膜を境とした自分と他者との区別、闘争が生命の基本原理なのだと思います。
生き残るために単細胞生物は複数の細胞に分裂し群れを作り多細胞生物となりました。
植物は細胞間お互いの信頼関係がそんなに密じゃなくて、固い細胞壁で隔てられていて、自由に動くことができません。
動物は柔らかい細胞膜を持っているので自由に動けて、細胞間の信頼関係も植物よりは密なのだと思います。
更に多細胞の個体間の信頼関係というのが発展すると、人間のような社会を作るのだと思います。
互いの拒絶と信頼のバランスの上に、生き物の体は形作られ、社会も同じような原理で成り立っているのではと思います。

http://nathaniel.exblog.jp/
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