ドメスティックネタ続けま〜す。
ゆらゆら帝国は当時同じミディのレーベルメイトだった。
一般的には、当時自分がいたMAD3は洋楽的なガレージ/ロックンロールのバンド、彼らはロッキンオン的日本語ロックバンド、といった扱いで、聴いている人や評論家のみなさんは別のものだと思っていたようだが、同じ武蔵野出身、練習スタジオも同じ国分寺のスタジオで、個人的には非常にシンパシーを感じていたバンドのひとつだった。結構仲良かったんだよね、実は。
多分日本のロック紹介本みたいなのだと、彼らの代表作はメジャーファーストの「3×3×3」になるんだろうけど、その後の活動を考えていくと、あのファーストの後、過去の手札を整理しきったこのメジャーセカンドにあたる「ミーのカー」が、自分としては重要な位置にあるのかなぁと思う。
正直どのアルバムも全部いいんだよ、ゆらゆらは。でも強いて一枚挙げるなら、という話だ。ドアーズのファーストは名盤だけど、自分セカンドの「Strange Days」大好きだからなぁ。
ゆらゆら帝国の坂本君の書く歌詞には、意味は、ほとんどない。はずだ。
っていうか散文的に言いたい事をだらだら説明するような歌詞はつまらない。でも世の中の日本語で書かれた歌詞の多くはそういったつまらないものばかりだ。だから自分は一般的な歌モノって嫌いなんだよな。
アタマの悪いライターがそういう歌詞を取り上げて2ページくらいの記事を書く。彼らは音楽的に突っ込んだ事が書くことができないから、歌詞のお話に終始しているだけだ。
このアルバムが出た時にもどっかの雑誌でゆらゆら帝国のインタビュー中「アーモンドのチョコレート」の歌詞について質問していて、聞かれてる側の坂本君が「あ〜、別にそんなんじゃないです」みたいな反応しているのを読んで爆笑したことがある。
多分このアルバムでも言葉で言いたい事なんか、「友達なんて一人か二人いればいい」くらいしかないと思う。だが、それでいいと思う。あとは焦燥感とか空虚感とか浮遊感とか、そういうイメージの断片だ。
詩は歌にして伝えることで別の力を持つ。けれどそこには楽器のアンサンブルがついていて、それらが複合してべつの意味や力を持つ、それがロックという音楽であって、歌詞が全てのものっていうのは「フォーク」なのだ。自分にとってはね。
それにしてもラストの「ミーのカー」はいいねぇ。
(←結局それが言いたいだけかよ)

13