吉田正子さんの『花っこ畑』は、更地のようになってしまった市街とガレキの山を見下ろす高台。
津波で流された吉田さん自身の自宅跡をも見下ろす。

緑のネットフェンスの向こうが巨大な
ガレキの山と分別処理場。
「あっという間にみんな流されて・・・今でも信じられません。
せっかく高台にたどり着いたのに、
大事なものを取って来るといって引き返し、
津波に飲まれてしまった人もいます。
なんにも無くなった町を見ていれば悲しくなるだけ。
なにか自分でできることをしなきゃと、
夢中で花畑作りをはじめました。」
著名な外国人園芸家のレポートなどで注目されるようになり、今ではおおぜいのボランティアの協力を得られるようになったとのこと。JTBも一役買っているわけだ。
「おしゃべりはしろうとだから・・・」と前置きし、ぽつり、ぽつりと
“その日”の出来事を話される吉田さん。花づくりについても、
気負いもなく謙虚に話される。
この後の行程で気づくことになるのだが、
未曽有の被害に遭われたみなさんの控え目で謙虚な姿勢・・・なんといったらいいのか、感心する、と同時に、遠巻きにして
「がんばれ」なんていってることの無益さをつくづく感じる。
さて私たちのささやかなお手伝いは、
「今ちょうど新しいお花を植え終わって、
全体を整えたところだから、
目につく草をとっていただければけっこうです。
遠くから来られたみなさんお一人お一人が、
手を加えてくださったということだけで、
私たちはうれしいんです。」
そんな言葉にこちらこそ泣きそうにうれしくなってしまって、みんな真剣に草とりに励む。
中尊寺の仏像の前で
「カミサマホトケサマ、ナンマイダ〜!」などとふざけていて、私に
「こういう場所で馬鹿な真似をするな!」と怒鳴られた
ボウズどもも、
改心した様子だ。
「被災地にお花を!」という被災者自らの行動・・・こういう形での「復興」もあるのだ。そしてそれを手伝うという支援もあるのだ。
そしてもう一つ、忙しい中吉田さんたちがせっせと作られた
花の形のアクリルタワシ。
お花の種になったり苗になったりするのだろう。よし、ママさんバレーOBの
おっかさんたちへのおみやげに買っていこう。これで彼女たちも吉田さんの
『花っこ畑』とつながることになるのだ。
「被災地のあちこちに、こんなすばらしい花畑が広がっていきますように!」
そんな思いを(きっとあのボウズどもも)残して、次は
釜石へ。
バスに乗り込むや、すぐにこんな光景を見ることになる。
決壊した
防潮堤だ。


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