公民館活動の大きな行事である「市民体育祭」について館長名で会議を招集しながら、用事が重なって出席できなかった。
実行体制について異論が出て、かなりむつかしい雲行きになったとの報告を受けた。
木曽川町時代は「町」の行事であったものが、一宮市になって「地域」つまり「住民主体」の行事として公民館が実施していくという形に変わった。
そもそも地域の人々の手で地域活動をになっていくという公民館制度そのものが、木曽川町ではまだ定着というには程遠い状況だ。
原因の一つは、公民館長が先頭に立って啓蒙活動をしていないというところにある。つまり‘中途半端’にやっているからということだ。
こんな問題が起こって気がついたのだが、私が「元木曽川町長」であるということが、地域活動について認識を切り替える“妨げ”になっているのではないか?
住民主体のはずがイメージとして「行政主導」的にとらえられているのではないか?
だから今回も“責任の所在”が問題になったという。
各地域に支えられて住民活動の担い手になっていくべき公民館組織が、木曽川町ではまだ弱い。本来、区・町内会という基礎的な地域団体からの人材で構成されていくべき組織なのだが、木曽川町地域にとっては「合併」によってにわかにもたらされたもの。一気に整えるのはむつかしい。
そこで旧体育協会、旧文化協会をはじめ、旧木曽川町以来の住民活動の流れを集約して、とりあえず公民館事業をつくり上げていこうとしてきたのだが、それが区・町内会というまさに“地元”の承認を十分に得ていない・・・ということになる。
こんな矛盾を抱えたままで、私にどれだけのことができるのか?
合併後の新体制の移行にかかるむつかしい状況の中で、
「合併を推進したあんたが責任とらないかん」
とそそのかされて公民館長を受けてしまったアサハカさが身にしみる今日この頃である。
まして以前の肩書きが災いしているとすれば・・・つらいところだなあ。

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