【誕生日考】
夕食中に娘から女房殿に電話がかかってきた。
「なんだった?」と聞くと
「今日は私の誕生日だから“おめでとう”の電話」
「あそうか」
女房殿の誕生日に関して私が発した言葉は、この「あそうか」だけ。
私の誕生日は2ヵ月後。おそらく女房殿が
「今日はお父さんの誕生日だよ」
と言ってくれる。それだけだが、そういってくれなければ誕生日であることにも気がつかない今日この頃である。
でもよけいなことを言うと「飲みに行こう!」などと言い出すかもしれないから、今年あたり伏せているかもしれない。もったいないから。
そうやってたんたんと年をとっていく・・・いつまで続くんだろう?
女房殿も仕事をしているが、「65歳までは働かなきゃ」が口癖である。その年まで付き合うとして、私はちょうど70歳になる。
しかし、働くとは「はたを楽にすること」という名言通り、自分の都合だけで働いているわけにはいかない。世間様の役に立たなければいけないのだ。私の場合、70歳まで働こうと思えば、少なくとも保育園の役に立てるように相当勉強しなければいけない。
脚立に上って蛍光管を替えるとか、逃げたザリガニを追っかけるとか・・・体力の衰えを知恵でカバーする必要がどんどん出てくる。
ということについて、9月8日までに一定の結論を出さなければ・・・。
【選挙考】
近頃、国政選挙がどんどんお祭り化していることにうんざりしている。
テレビのせいだと思っている。
毎日毎日、政治に物申すという人たちがテレビにいっぱい出てきて、何かあるとそれを肴にしてワイワイやる。「人たち」の中にはゲーニンさん、タレントさんまでいる。
いや、ゲーニンさんやタレントさんが政治にものをいってはいけないというのではないが、聞いているとその人たちの発言は「受けねらい」になることが多い。そりゃあそれが近頃のゲーニンさんやタレントさんの‘本質’だから仕方がない。
仕方がないですまされないのが、出てくるセイジカさんやガクシャさんやヒョーロンカさんが、タレント化していることだ。受けないと番組をおろされてしまうのかなあ。
まあ、変形お笑い番組と思ってみていればいいのだろうが、これが政治状況に大きな影響を及ぼすようになっているから、こんなところにこんなことを書かなければならなくなる。
一番大きな影響は、政治に対する姿勢が「性急」になってしまっているということだ。
「理念」とか「体系」とかからはるか離れて、一つ一つのことに性急に結論を求める。その「追求」の仕方が「受け」の大きな要素だ。結果、大騒動になる。
そのテレビの中の大騒動を、政治の主体であるべき国民の多くがまったくの受身で受け入れ、わかったような気になってしまうことは、実は恐ろしいことなのではあるまいか・・・
ワッハハハ・・・じいちゃんとしてはまったく似合わんことをいってしまったなあ。
こんなこと書いてないで、今日も保育園に行こう!

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