私の人生に重く大きくかかわってくれた友人が亡くなりました。小中学校の同級生で、私に「町長選に出んか」と真っ先に言い出した張本人。
最初は「しろうとにそんなこと出来るわけがない」と断りました。「そうか」とその時は引き下がってくれましたが、彼が仕掛けたらしい動きは止まらず、次から次へと政治家然とした人々が家に来られ、やがて断り切れなくなってついに立候補へ・・・そして当選。
その時友曰く「どんないきさつがあるにせよ、決まった以上はみんなの思いをかなえるべく、お前が責任をもってやるしかない」・・・目の前に黒いスクリーンが現れ「お先真っ暗」になったことを憶えています。
町長3期12年目、「地方分権」に強い関心を持って勉強を続けていた私は「尾張西北部において地域主権を高めるためには(今の言葉で言えば‟地域創生”のためには)3市3町の合併が有効」という結論をもって、近隣市町に合併を呼び掛け、やがて合併協議が始まりました。
友が立ち上がりました。「町長として地域のために働く人間としてお前を担ぎ出した。その者たちの思いをさておいて合併とは・・・」と、反対運動を起こしたのです。
「あと1期やっても64歳、まだ町の人々の期待に応えてやるべきことはたくさんあるはずだ」と直言してくれたのですが・・・合併が動き出しました。選挙を支えてくださった人々の中にも「町づくりから逃げ出すのか」という厳しい意見が・・・そしてついには「住民投票」ということになり、結果は1万6千票中わずか400票余りという僅差で合併GO・・・私と友の間に、しばらく「川」が横たわることとなりました。
その後も友はひたすらに地域の人々のためにと活動を続け、区長、神社委員長などの要職を務めながら、同窓会・同年会をすべて仕切ってくれました。
通夜式、葬儀に訪れる人々の多さが、彼の功績を証明しています。
私にできたことは、同窓会・同年会・恩師に連絡をとり、供花の手配をさせてもらったことぐらい・・・そして「お前みたいに飲んでばっかりおる奴はおおむね早死にだぞ!」と警告してくれていた彼に、ささやかな果物を・・・
やはり私を町長選に引っ張り出してくださり、ともに選挙を支えてくださった日比野大先輩を囲む会が、友とゆっくり語り合った最後の機会になってしまいました。この時友は、病気と向き合う力強い姿勢を大いに語ってくれたのでした・・・
かけがえのない友、川井基弘君の冥福を祈ります。

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