わが父親の末弟佐平叔父の奥方、まさ子叔母の法要が営まれた。享年96歳。
父親方の叔父叔母はみな亡くなられたことになる上、まさ子叔母がその中最高齢であったこともあって、ご家族には失礼になるかもしれないが、実に和やかに法要が営まれた。
それに乗じて参列者中最年長(!)の私は、法要後の食事の席を「お斎」と心得ず、注がれるままにビールをいただき、必要以上に快活(!)にふるまってしまったのでありました・・・
そのうちの一つが「山口家の先祖」談義。
ふと思い出したことがあってお食事中のに御住職に尋ねました。
「ご住職から山口家の先祖は『源氏の落ち武者』と聞いたことがありますが?」
昔々木曽川の本流は今よりずっと北(境川の辺り)を流れており、現在愛知県側の一宮市北方町・木曽川町一帯は、現在岐阜県側の笠松町などと地域として一体であり、山口一統は、つまり一統であった。それが証拠に北方町の山口一統の「お寺さん」は笠松町の福証寺さんなのであります。
そのご住職が「山口一統源氏の落ち武者説」を言われたことがあり、それを確認したわけですが、ご住職は私が古い話を憶えていたことを喜ばれてか、お斎前に一旦帰られた際に、境内の墓碑のに刻まれた建立者名を筆写して見せてくださったのです! それがこれ。
「源広近」「源近義」!
それがどうもお寺さんのご先祖に引き連れられてはるばる九州は豊後から移住してきた・・・らしい・・・それによって「山口家は源氏の落ち武者」説がおぼろげに成立しているわけであります。
なにかこう「ロマン」といいますか、法事の席にふさわしい話題ではありませんか!・・・と、私の場違いなふるまいを正当化して、りっぱに法事を営んでくださった佐平叔父ご長男の直久君へのお詫びといたします。

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