私は大相撲ファンです。年季が入っています。
小学校の頃、友達同士で一番電車に乗って、「金山体育館の名古屋場所」を見に行きました。
国鉄木曽川駅前の「検査場」で行われた「大相撲巡業」、鏡里、松登の太鼓腹に触って大喜びでした。
最初のひいき力士は「千代の山」でした。お大尽の家にテレビを見に行って、一生懸命応援しました。お酒を5勝も飲んで本場所入りしたという伝説を信じて、あこがれていました。
次は「栃錦」でした。栃若時代のあの栃錦、戦後の食うものがなかった時代、若いころの写真を見ると欠食児童みたいだったけれど、技が切れ、若乃花とともに大横綱と言われるようになりました。「ぼくも強くならなければ」と思ったものです。
その次は「佐田の山」。大学受験の日、試験を早々に切り上げて大衆食堂に駆け込み、豊山との決戦を見て必死で応援しました。大鵬の怒涛の寄りを打っちゃりで残そうとして、土俵際で静止画像みたいになった名勝負のあと「気力だけでここまでやってきた。その気力がなくなったらもう勝てないからやめる」といってスパッと引退した。ぼくは泣きました。
町長時代「佐渡ヶ嶽部屋・名古屋場所千秋楽打ち上げパーティー」で挨拶したことがあります。今の親方、当時の「大関琴の若」に「赤ちゃんを東京においてきて、さびしいね」と言ったら「はい,さびしいです」との答え。(この人横綱にはなれないかも)と静かに思いました。
今は特にひいき力士はありません。ベテランファンとしては大相撲全体の栄枯盛衰を見守っています。特に注目して見ているのは、外国人力士に対する日本人客の受け止め方です。大相撲が国際的に発展していけるかどうかはお客さんにかかっているからと、真のファンは思うのです。
日本人力士が白鵬に挑むときにおこる「○○コール」、白鵬が負けた時に起こった「万歳!」・・・ああいうのを見ると、王選手の世界記録を認めなかったアメリカ野球のことを思い出します。
というようなことを乗り越え、さらに賭博とか八百長でどん底に陥った大相撲の状況を乗り越えて大記録を打ち立てた白鵬に、昭和初期以来の大相撲ファンとして拍手を送りたいと思います。
住友林業さんも同じ気持ちのようです。
みなさん、白鵬が憎たらしかったら、強くなりそうな日本人新弟子をみんなで発掘しましょう。

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