「沖縄慰霊の日」、摩文仁の丘で安倍首相がどんな慰霊の言葉を述べられるか・・・マスコミはさほど関心がなかったみたいだなあ。
終戦、原爆投下などの記念日に今も黙とうを捧げる「終戦後派」の私は、注目していました。こんな日にあの摩文仁の丘に立ったら、誰しも真情を吐露せざるを得ないだろうと思ったからです。
安倍首相の視線は、沖縄の海や摩文仁の丘の彼方に向かわず、参列者の方にも向けられませんでしたねえ。
私は町長としてこのような場に臨んだ時(こんな大きな場に立ったことはありませんが)、形式的に式文を持っていても、それに目を落とすということをせず、一生懸命会場を見渡しながらお話ししたもんだから、こんな所作が気になります。
あ、一国の首相というのは、町長なんかと比べりゃ何万倍もの重量の責任を背負っておられるから、比較しちゃあいけないのか・・・
でも言葉としては大変重みがあった。
『戦争を憎み、平和を築く努力を惜しまぬ国民として・・・』
「戦争を憎む」という一言で、沖縄県民の心情まで降りてきておられる。
これが日本国首相の真情であることを、テレビ見ながら願いました。
話は変わりますが、沖縄に行って首里城跡に立った時、嘉手納基地などを見て回った後だったせいか、ほんとにこんな感想を持ちましたよ。
「沖縄は、かつて琉球王国だった時のように“海洋国家”として独立できるんじゃないか」
ノー天気な私の眼にはそう見えるんだけど、見方によっては琉球列島は、はるか太平洋を越えてアジアににらみを利かせる米第七艦隊のような「軍艦の戦列」に見えるかもしれない。
いずれにしても琉球王国の歴史のような「はかなさ」を、沖縄県民には失礼ですが、今も感じます。これはね、日本国の主権が“きちんと”及んでいないからだと思いますよ。
“きちんと”といえば、この言葉で有名だった海部俊樹元首相の回想録が、中日新聞紙上でスタートしました。
私が東海高校に入学した年に29歳で国会にデビュー、学校に来て後輩の前で堂々演説されました。校長先生が「君たちもこの先輩のように立派になりたまえ!」と大きな声で紹介されていたことをよく憶えています。
町長だったころ東海の同窓会に行くと、海部元総理大臣、愛知県知事の神田さん、名古屋市長の松原さん・・・というそうそうたる顔ぶれの来賓席に私も座らされて、縮こまっていましたよ。
同じ一宮地区ということで何かと大変お世話になった大先輩の回顧録、大変興味を持って第1回を読ませてもらいましたが・・・これ「愛知県内版」だから岐阜の人は読めないのかな?
「集団的自衛権」などについてきっと重要なポイントに触れられると思うから、岐阜のみなさんには時々紹介させてもらいます。的確に伝えられるかどうか・・・どうぞお楽しみに。

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