やまさん、おそるおそる審査員室に入る。
長屋とはまずは飛び交う言葉が違う。
「先生、昨日の予選で付点四分音符を表現し切れなかった中学生がいましたね」
(フテン・・・なんでえそりゃあ、それがどうしたってんだ)
「まあ先生、先生はフランスからお帰りになったばっかりなんでしょう、先生ー」
「あら先生、あれはもうずっと前よ。やですわ先生ー」
(なんでえ、先生ばっかりかい。だったら一々先生先生って呼ばなくたっていいようなもんだ)
会話に入れないやまさんは、ふてくされて持参の本を読む。
鯨統一郎『幕末時そば伝』、落語ミステリーってやつだ。
「先生方、間もなくコンクール開幕でございます。どうぞ審査員席の方へ」
(なんだ、おれも先生かい)
客席のど真ん中に紙と鉛筆を持って陣取る。これが審査員のスタイルよ。できるだけわかったような顔してえらそうにしてなきゃいけねえんだ。
それがまたてーへんなんで。なにしろ一日に何十人分という音楽を聴くんだ。
しかも“変ホ短調”なんとかかんとかなんてえしろものばっかしだ。
こちとら、なんだそのう、どこが変で誰がホの字でなにが短けえのかまるっきりわからねえ。
バイオリンやらラッパやら木琴のでかいのやら、そのうち歌まで出てきて・・・油断すると何番目の誰を採点してるんだかわからなくなるよ。
めんどくせえからドレスの綺麗なのに〇つけたり・・・なんてことはしないでおこうと思ったね。そのうち顔のよしあし〇×なんてえことになりかねねえからな。
そんなこんなで第一日目の「弦・管・打・声楽部門」が終了だ。
成績発表・・・何十人が血まなこで集まってきたよ。怖いぐれえだ。
澤脇達晴・岐阜国際音楽祭理事長あいさつ。
審査員席で盗撮!なんてのんきなことやってたら、バチが当たった!
特別審査員のリー・チェン先生のスピーチの「通訳」をやれってんだ、あっしに!
リー先生は中国人だけど国際人で、パリかニューヨークに住んでるんだそうで、英語しかしゃべらねえんだ。
だけどなんであっしなんだい?
付点四分音符とか変ホ短調知ってる先生たちが英語わからねえってのかい。
で、どうなったかって?
あした大家さんに報告だ。もう今日はこんなに暗くなっちまったからなあ。


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