"Leo"という大きな一歩!  2018 "LEO"

今年は、上野雄次さんが彫られた木像との出会いがすべてでした。

まだ10月ですが、間違いないです。

≪動かないもの(木像)と血が通う肉体。そして、どちらにも宿る魂≫

さらにイメージを膨らませ、

≪儚く消えていく太鼓の音。ダンスの残像。それこそがライブ。いのちであること≫

このような世界観に創作の思いを向き合わせてくれた上野さんの作品群に感謝です。

そして、今回も私のイメージにダイブするが如く、アイデアを提供してくれて、仕込みから片付けまで完璧なまでの仕事っぷりの舞台監督、照明、音響のスタッフには頭が上がりません。

世界に誇れるチーム・レオの力が結集した "Leo"(赤坂BLITZ)

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共演してくれたダンサーやミュージシャンには、どうにかこうにか都合を付けて、これからも付き合ってもらいたいと思いますが、若ければ若いほど、明日からの新しい経験に影響を受けるでしょうし、私も人のこと言えないほどたくさんの影響を受けながら活動してきたので、それぞれの活動を尊重しながら引っ張りこめていけたらと思います。

京都公演メンバー

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ご来場いただいた方々もいろいろな感想やご意見があると思いますが、Yahoo!ニュースのインタビューに掲載された「新しいアートフォームの確立へと向かう大きな一歩」という書き出しの通り、そのスタートを見届けていただけたことが何よりです。

ありがとうございました。

公演翌日、脚本家の高階經啓(つねひろ)さんが感想を書いて下さいましたが、これぞレビューでございます。Facebookですが、ご一読いただけたらと思います。

台風の影響で機材が届くか分からないまま京都へ向かった朝。

結果、無事に公演をすることができましたが、リスクを最大限に抑えるため、演出も機材も絞り込んで京都公演に臨みました。

海外の公演ツアーでもないくらい神経をすり減らした経験を忘れることはないでしょう。

関係者一同が怪我することもなく、"Leo"京都&東京公演を終えられたこと。

守ってくれた大きな力に感謝します。

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次世代型祝祭パフォーマンス“Leo”  2018 "LEO"

Yahoo! ニュースにインタビューが掲載されました(記事はこちら)

今回は振付けと踊り手の視点と言うことで、前田新奈さんと田所いおりさんにも参加いただきましたが、このような場は日頃のリハーサルでは聞けない話も引き出され、作品を客観的に捉える上でも面白いなと思いました。

また、掲載にあたってネタばれ写真もありましたが、それはそれでご来場いただくまで想像を膨らませていただけたらと思っています。

自分で選択した写真が、インタビューとともにレイアウトされたページを見ながら思いました。

この公演に向けて数々のアフリカ体験が大きかったことは何度も書いてきましたが、これまで旅してきた体験を「体験していない人」と共有できるところまでそぎ落として、音楽や舞台という形にしていること。それが、自分のアートフォームなんだと改めて感じました。

分かりやすく言えば、影響されたことをそのまんま模倣して再現していないということですね。

このインタビューの最初に「新しいアートフォームの確立へと向かう大きな一歩」と書いて下さったことは本当に嬉しかったです(山崎さん、今回もありがとうございました!)。

さて、先の京都公演では台風の影響もあり、当日朝まで機材が到着するか分からないという状況の中、出演者の高い集中力で初演を飾ることができました。

そして、個性的なダンサー陣の踊りの幅に呼応するように太鼓の音もフルカラーになってきて、「踊りの中に出したい音があった」ことを実感しています。

太鼓奏者からの視点で作るから面白い!というのも決してマニアックな視点ではなく、本当にそう思っています。

口を開けていれば飴玉を放り込んでもらえるようなステージではありませんが、大騒ぎするだけではない「祝祭」の誕生をご覧いただきたいと思います。

ご来場をお待ちしております!

http://leoeto.com/news

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太鼓奏者の視点で作るから面白い!−"Leo"へ向けてのプロセス(4)  2018 "LEO"

自分が振り付けて踊れるわけではないので、自分の作った音がダンスという目に見える表現になっていくプロセスは楽しいものです。

創作にはいろいろなプロセスがありますが、私がダンスと創作する時は音と身体表現のエナジーの行方=ベクトルにすごく着目します。

大太鼓が象徴的ですが、力強いパフォーマンスとその音のベクトルは下へ向かうイメージが似合います。大地ですよね。

あくまでもイメージなので「似合う」という言い方をしましたが、全く決まりはありませんし、大太鼓はいろいろな音のベクトルを引き出せる素材だと思っています。

ダンサーのベクトルが下へ向かう2番プリエ💦



また、音だけでなく、叩くという行為によってもベクトルを変えられるので、私もいろいろと試行錯誤しながら太鼓と向き合い直しているところです。

ところで、ダンサーに振りを渡すという作業は、スコアを見て音を出す音楽とは違って手間のかかる作業です。

その作業に立ち会っていると、ダンサーの動きを見ながらいつの間にかイメージの再構築を始めてしまい、振り付けられたダンスに触発され、音楽を変えてしまうということもあります。

ダンサーたちは黙っていますが、折角、振りが身体に入ってきたのに〜〜〜!と思っているはずです💦

でも、その衝動は抑えたくないですし、これこそ自分で音を作って、自分で演奏する者の視点で作る面白さだと思っています。

そんなこんなで即興の要素も多くなってきて、イメージを作る作品性とライブ感が良い緊張感を醸し出してきました。

今回、初めて男性のダンス・アンサンブルも加わる東京公演。



海外はもちろん、国内でも振付家が音楽家と組んで創作するケースが増えてきましたが、現状は振付家がイメージに合う音を探して、探して、振り付けていることが多いと思われます。

しかも、生音で踊る機会もまだまだ少ないです。

京都公演まであとわずかとなりましたが、リハーサルの度に音と身体表現がひとつになってきています。

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太鼓叩きの視点で作るから面白い!−“Leo”へ向けてのプロセス(3)  2018 "LEO"

ダンスとの作品で一番難しいのが、どこにどのように太鼓を設置するかです。

簡単に言えば、場所取り。

もちろん、作品性や何を表現するかによりますが、太鼓が端っこに追いやられて、視覚的にも音楽的にも太鼓らしさが活かされていないパフォーマンスは寂しいものです。

しかも、太鼓演奏は大きな動きを伴うので、それがダンスの動きと重なるとガチャガチャしてしまいます。

個人的には音楽性を伴っていない視覚的な要素だけで構成されたステージが苦手なので、まずは音楽の流れをきちんと作って、それからシーンごとに太鼓の配置を何度も練り直しています。

また、振付はできませんが、ダンサーの動きの質やフォーメーション、動線のアイデアを出して、踊るスペースに制約が生まれるとしても「そこに太鼓がある」意味づけをしていっています。

太鼓と踊りが一つになる(写真:ミラノ)

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今はやりの映像を駆使することもなく、実にアナログなのですが、「あ、それあり!」というアイデアによって、重々しい太鼓たちがいろいろな表情を見せてくれると思っています。

実は、盆踊りの「櫓の太鼓と踊り」の構図ってすごい装置だなと思っていて、天と地が繋がり、太鼓の波動がセンターから全方向に広がり、その波動の中に踊りの輪ができる。

もう完璧です!

私の公演を「次世代型祝祭パフォーマンス」と銘打っているのも、負けられないぜ!という思いから発したのでした。

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"Leo"チケット絶賛発売中! http://leoeto.com/news

酷暑の夏。叩いて踊って乗り切ろう!

旅は大事だ!んだんだ。−“Leo”へ向けてのプロセス(2)  2018 "LEO"

ダンスと創作していて、振り覚えが早いことは頭と身体の連動が良く、空間を捉える感覚が長けているのだと思います。私も、一先ず、シーンの輪郭を作りたい時は助かります。

でも、先のブログでご紹介した勅使川原さんがキューバでの創作の報告会で仰っていました。

「視覚からの伝承ではなく、言葉による伝達によって、受け取る側が再構築することになる。」

単なる振りの受け渡しではなく、まずは言葉で踊り手に伝えてイメージを創造させるというプロセス。これはとても根気がいることですし、国が違えばより膨大な時間が掛かります。

また、こうも仰っていました。

「知識に対して疑いを持つこと。自分の身体を通すことで過去がある。」

私はこれについては、知識を「情報」、身体を「体験」だとすれば、まんま自分の音楽人生だと思いました。

旅が良い例ですが、いくら訪れる国の情報や国際情勢を頭に入れておいても、私が現地に入ってからは直観や本能的なもので動いていたように思います。

先のイタリア滞在中、最も直観が働いたのがこれ!オレンジと燻製したお魚のマリネ。

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南イタリアではオレンジがお料理に使われますが、これはシーズンだったこともあり、衝撃的なおいしさでした。

事前に得た知識(言葉)と実体験(感性・本能)。このギャップが旅の醍醐味であり、その後の再構築が私の創作そのものだなと改めて感じました。

その旅の中でもアフリカだけで12か国旅した体験が私には強烈だったわけですが、10月の”Leo”では、単にアフリカン・ダンスを太鼓でやりたいということではありません。

太鼓のリズム言語とダンスが一体となった祭り(儀式)をアフリカで体験してしまったことで、自分の太鼓からはどういった身体表現と空間が作れるだろうか。

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”Leo”に向けてリハだけでなく、こうして書き留めていくことで自分のイメージをより鮮明にしていきたいと思います。しばし、お付き合いを(*^^)v

王道!

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ミラノでアフリカン−“Leo”へ向けてのプロセス(1)  2018 "LEO"

6月末から7月頭に掛けて、1年半ぶりにミラノへ行ってきました。今回はカメルーンのダンサーと出会うことが目的の一つでした。

実は、イタリアへ行く前に東京で勅使川原三郎さんがキューバのダンスカンパニー「アコスタ・ダンサ」とコラボを行った報告会があり、そこで伺った話がとても印象に残っていて、勅使川原さんの言葉を何度も思い起こしながらミラノで過ごしていました。

「価値が保証されていないものをやる」

もうこれだけで、勅使川原さんのアーティストとしての生き方を感じさせるメッセージとして受け取りました。

私がミラノまで飛んでアフリカのダンサーと作業したからと言って、公演が企画される保証はないのですが、私にはタイミング良くこの言葉がど真ん中にあったので、そのプロセスからたくさんのイメージを獲得できました。

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事実、彼らはこれまでに出会ったアフリカのダンサーとは違う印象やスキルを持っていて、これからどう転ぶか分かりませんが、今の私のフィーリングと音に合っているなと感じました。

アフリカのダンサーというとアグレッシブでリズムに強い動きをイメージされるかもしれませんが、彼らはとてもナイーヴな一面があり、日本の『間』とは違いますが、時間と空間の使い方に柔らかなスペースを感じました。

もちろん、リズムに乗った時(オンビート)の身体の躍動感は「キターーー!」って感じで無条件に興奮します。でも、競ったらあかん!と自分に言い聞かせながら叩いていました。

まさに、”Power and Patience(パワー・アンド・ペイシェンス)”

「俺が太鼓を叩けば、女は踊る。そのうち女は遠くへ行ってしまう(トランスしてしまう)けれど、(一緒に盛り上がってはだめだ。)戻ってくるまで辛抱強く叩き続けなければいけない。」

これは私の亡き友人であり、シャーマンであるガーナのパーカッショニスト、アジャ・アディが教えてくれたメッセージですが、初めて聞いた時は、私自身が人を踊らせるほどのリズムを叩き出せなかったし、若さゆえに自己燃焼に喜びを感じていました。

太鼓は祭り。力強く、日本男児ここにあり。そして、ドヤ顔(笑)

こういったイメージは確かに保証された価値ではあります。自己燃焼系パフォーマンスは観ているお客さんが同調できれば良いのですが、太鼓の(音の)豊かさと音楽的な可能性を知れば知るほど、その狭義な解釈ではあかんなと思っていました。

もうこの迫力はどうよ!?まともにいったら足元を救われますよ💦

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ちなみにこれはドヤ顔ではありません。ドヤ顔はカメラ目線が基本(爆)チケット絶賛発売中!

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私はアフリカから太鼓におけるパワーの質を教えてもらったように思います。パワーはしなやかさであり、しなやかでないとパワーは生まれてこないと思っています。

W杯を観ても海外のプレーヤーのボールタッチが柔らかいこと。足元にスポッとボールが収まりますよね。あれは、足首を柔らかくしていないと衝撃を吸収できないと思う。専門じゃないけど・・・。

数年前におしゃれに入居者募集していたミラノの高層マンション。あっという間にモッサリしとる。これもある意味、価値が保証されていなかった!?(笑)

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バリ島からのメッセージ  22世紀に残る音

また、ひとりの偉大なアーティストが亡くなられました。

スウェントラさん。

インドネシア・バリ島でジェゴグという巨大な竹で作られたアンサンブル、スアルアグン(Suar Agung)の創始者。その重低音から醸し出されるリズムのうねりを体感された方も多いかと思います。

スウェントラさんとは、1980年代から間隔が空きながらも何度か共演させていただきました。

ヨーロッパ・ツアーをご一緒した時は小編成でしたが、「レオさん、僕らはお米を食べないとパワーが出ない」と、本当に寂しそうに訴えるスウェントラさんやメンバーに応えねばと、スーパーにお米を買いに行き、劇場のキッチンをお借りしてご飯を炊いてあげました。

その甲斐あってか、その晩の演奏はあまりに凄くて、プロデューサーが「なにかスピリチュアルなおこないをしたのか!?」とビビッていたのを覚えています。

何のことはない、お米を食べただけだよと伝えましたが、まだまだ、アジアの音楽が物珍しい時代に白い米で神がかり的な演奏をする彼らをヨーロッパの人には理解できなかったと思います。

アジャ・アディ(ガーナ)、ドゥドゥ・ンジャエローズ(セネガル)、ミルトン・カルドーナ(プエルトリコ)、フェラ・クティ(ナイジェリア)、スウェントラさん(バリ島)、そして、衛藤公雄(父・筝曲家)。

僕に本物の音楽の素晴らしさ、豊かさを教えてくれた偉大なアーティストたち。

みなさん星になってしまいましたが、旅をし、共演をし、ご飯を食べ、彼らから受け取ったメッセージはあまりに大きいのです。

例え、自分がネガティヴな状況でも「自分の音楽を信じなさい」という鍵だけはなくさないようにしたいです。どこの扉が開くのか分からないし、開けても誰も、何もないかもしれないけれど。

先人が切り開いてきた道は、もっともっと偏見と差別の中で切り拓かれてきたはず。

来週、5月16日にスウェントラさんの葬儀が行われるとのことです。

まさにその日から16年ぶりにステファン・ケントを招聘してライブが始まります。なので、16日の南青山マンダラは僕の大太鼓で奉納演奏から始めようと思います。

かわいい後輩が「託されちゃいましたね」と言ってくれたけれど、タイミングというものは確かに感じます。

3年前の夏、19年ぶりに佐渡のフェスティバルで鼓童とスウェントラさん率いるスアルアグンと共演する前夜、ドゥドゥ・ンジャエローズさんの訃報が入りました。

演出を担当していた僕は再会を祝う舞を小島千絵子さんに託しましたが、同時にドゥドゥへの奉納の舞になりました。

来週からのブレンドラムス・ツアー。これまでになくスピリチュアルで大切な時間を過ごすことになります。

スウェントラさん、ありがとうございました。

合掌

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祭り体験がないゆえに(4)  祭り体験がないゆえに

日本もそうですが、村や街も成長、もしくは退廃していきます。なので、私が体験したアフリカの村や街の原風景がすでになくなってしまったとしても想像できます。

再び機会があって、アフリカを訪れた時に素晴らしい出会いや体験があるかもしれませんが、ありのままの自然やその当時のままを期待するのは、私のような旅人の勝手だと思っています。

実は、1991年に初めて訪れたアフリカ・ツアーでは写真家が同行しましたが、撮られた写真をまともに見たことがないのです。

アフリカで体験したことが自分の表現や生きて行く糧となっている今、人の記憶は都合よく刷新されるものとは言え、お気に入りに保存しておく今日的な消化では単に凄い思い出にしかならなかったと思います。

ある意味、アフリカ体験を蘇らせてくれた54体の木像たち(花道家・上野雄次作)

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残るものと儚く消えていくもの。

昨年の暮れから膨らましているイメージですが、経済の下で急速に自然界の生態系が破壊されていくアフリカ大陸。それこそ儚く消えてしまったら、人類はおしまい。

「祭り体験がないゆえに」と始めたブログですが、アフリカ体験が自然と人間の営みを気づかせてくれました。

良い意味で地域性や慣習に囚われることのない、私なりの祝祭を創造していくことができたらと思う今日この頃。と言うか、太鼓を始めてからずっとそこにフォーカスしてるやん(笑)

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祭り体験がないゆえに(3)  祭り体験がないゆえに

アフリカはこれまでに12か国を訪れています。サハラ砂漠の北か南で大きく異なりますが、あれだけの大陸なのでたくさんの民族が存在しています。

ガーナでは赤い布を纏ったアシャンティ族の恰幅の良さに、かつて王国を築いた古き良きアフリカの誇りを感じました。

ナイジェリアではヨルバ族のゴツゴツした骨格が印象的でした。残念な歴史ですが、植民地時代は奴隷として高く売買されていたそうです。

弱肉強食はあらゆる生命に存在し、強いものだけが生き残る。そんなシーンを数多く目撃しました。

そう、私なんて虚弱もいいところ。アフリカ大陸に足元から栄養素(エナジー)を吸い取られていくような感覚がありました(トホホ)。

実はこのブログを書くきっかけとなったのは、アフリカの今を伝えるあるレポートでした。過激な経済成長を遂げているガーナや以前よりもさらに混沌としているナイジェリアの大都市ラゴス。

ここ数年でナイジェリアの人口はおよそ2億人になり、経済規模も南アフリカを上回ってアフリカで1位となっています。となれば、ごみ問題に端を発し、環境破壊、政治腐敗、そして、テロ。

2013年、文化交流使としてチュニジアへ上陸した時もこんなことがありました。

初めて船でアフリカ大陸へ!イタリアのジェノバから船でチュニジアへ。

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闇に浮かぶアフリカ大陸

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港に着いて、お迎えの大使館員の方からいきなり報告。

「アルジェリアとの国境沿いでチュニジアの警官が5人殺されたので、国は喪に服しています。でも、ここは大丈夫です。現場からかなり離れていますので。」

「・・・・・(今すぐ、この船でヨーロッパに帰りたい)」

このような国の入り方をすると、無意識のうちにキーンと張りつめ、ザワザワと落ち着かない感情が生まれます。

こんなことを書くと、ブログのタイトル「祭り体験・・・」とかけ離れているように思われるでしょう。

実は文化交流使として主にヨーロッパで1年間活動していた時、パフォーマンスの前には必ずお祈りをしていました。

「最高のフィーリングを。そして、これからの旅も無事でありますように。」

カルタゴ・フェスティバル(チュニジア・チュニス)

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心を落ち着かせて集中するための自分なりのお祈りでしたが、そもそも「祭り」の根源的なところには祈りや願いがあり、それぞれの信仰心や土地の風土で発展していったと思います。

自然災害や病気といった脅威から穏やかな日常を取り戻したいという願い。先人はそれを太鼓や舞に乗せて伝えてきました。

エンタテインメント流行りの昨今ですが、アフリカがそのことを再認識させてくれたのでした。

さんさんと降り注ぐ太陽の光と地中海の風。日常は本当に平和(チュニス)

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カルタゴ遺跡(チュニス)

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太鼓も馴染みすぎて同化している(笑)

祭り体験がないゆえに(2)  祭り体験がないゆえに

私達が訪れる前からナイジェリアでは、政治家、教会、弁護士に至るまで賄賂が横行しているという話を聞いていました。

黒人解放運動家であり、アフロビートの創始者であるフェラ・クティは何度も逮捕と釈放を繰り返しながら、バンドのグルーヴに乗せて黒人解放とその闇社会を世界に訴え続けました(58歳没)。

フェラ・クティの人生はミュージカルとなり、ニューヨークのブロードウェーで大ヒットしました。今回は、そのフェラ・クティの家を訪れた時のことです。

* * * * *

ナイジェリアのシュラインー1991年、西アフリカツアーの記憶

コンクリート打ちっ放しの建物にある大きな応接間のような部屋に通されると、そこには十数名もの女性が薬草(マリファナと思われる)を回してくつろいでいた。

私たちにも勧められたがやんわり断ると、ケラケラ笑いながら隣へと回していった。先乗りしていたBBC放送の取材陣に事情を聞くが、彼らもよく分からないままフェラ・クティの登場を待っていた。

すると、隣の部屋のドアが開き、パンツ一丁でフェラ・クティが出てきた。ドアが開いた瞬間、奥のベッドに二人の女性が裸で横になっているのが見えた。

部屋から出てきたフェラ・クティに女性がすかさずそれまで回していた薬草よりも大きなものに火をつけて渡す。満足げに一服した彼は、自分を訪ねてきたゲストの顔を見渡し、また一服。

フェラ・クティは親から虐待を受けた子やレイプされた子たちを引き取る形で自分の家に住まわせており、おそらく、2〜30名は同居していたと思われる。

しばらくして、BBCがインタビューを試みようとフェラ・クティにマイクを向ける。
「今後、ナイジェリアはどうなっていくと思われますか。」

BBCがこう尋ねると薄ら笑いを浮かべてフェラ・クティは応えた。
「そんなことは、外から見ているお前たちが一番分かっているだろう?」

何時間も待たされ、最初の質問で一喝される。素人の私らでもそんな質問をいきなりしたらダメでしょと思った。そもそも、ナイジェリアを植民地支配していたのはイギリスだし。

記憶が定かではないが、フェラ・クティは私たちに「(お前らは)ドラマーなのか!?」
「はい、西アフリカを旅しています。」といった会話をしたような気がする。

そして、彼は自分のシュラインに招待するよと言ってくれた。正直、その寺院を表す言葉の意味が分からなかったのだが、彼が出かける支度を始めたので、私たちも車に乗り込み、彼の車の後を追った。

夜9時を回っていたと思う。シュラインに近づくと、「RIOT! RIOT!(暴動だ!)」と群衆が叫んでいた。どうやらシュラインに入るためのチケットがあるかないかの押し問答のようだった。

確かにやばい感じ。そして、そのシュラインというものが何なのかその時に知る。そこは、彼が本拠地にしているライブ会場だったのだ。

フェラ・クティを乗せた車が到着した時、すでに演奏は始まっており、ファンク色全快のアフロビートに入り口にしてやられた。

会場に入るとステージにはホーンセクションをずらりと揃えたバンドが客を躍らせていた。その時はフェラ・クティの息子のフェミ・クティが仕切っていた。

ステージの前には人ひとりが入れる檻が二つ。その中でダイナマイトなボディの女性が踊るというか、身体をヴァイブさせていた。

3〜40分しただろうか。上下ピンクの繋ぎのようなエナメル衣装を着たフェラ・クティが、部屋で吸っていたサイズどころではない超特大の薬草をくゆらせて登場。

歌うわけでもサックスを吹くわけでもなく、バンドのグルーヴを確認しながら、薬草を楽しんでいた。そして、おもむろにメッセージらしき言葉を発し始めた。

それまでリズムに体を預けていた聴衆は、彼のメッセージを聞き入っていた。時々、相槌を打ち、声を発する様子はまるでアメリカのゴスペル教会のようだった。

この説教の時のバンド演奏が最高で、音量といい、グルーヴといい、決して平坦ではなく、フェラ・クティが発するメッセージの抑揚に合わせてドライブしていく。

延々と続くメッセージは、現地の言葉で発せられ2〜30分はあっただろうか。そろそろ、何を言っているのか分からない私たちは次なる展開がほしくなってきた頃、ダンサー兼コーラス隊の女性陣が登場し、一気に場はピークに達する。

しかし、すぐにフェラ・クティの説教に戻る。さすがに記憶が薄れているが、息子を始め、若いメンバーにその都度ソロを取らせ、最後の最後にフェラ・クティ自身がバリサク(バリトン・サックス)を抱えて、ボリュームのあるソロを展開。

その頃には聴衆もステージに近づこうと前へ前へと押して来るので、身の危険を感じた私たちは午前1時頃にはシュラインを出たような気がする。

1曲4〜50分はある、曲という概念を超えるメッセージ。理解することはできなかったが、ミュージシャンであるとともに黒人解放運動家でもある彼。政治家の汚職を始めとする不正や若者の怒りやストレスを代弁していたことは間違いない。

日本では社会的メッセージを含む表現が敬遠される。私自身、音楽表現が政治的・社会的手段になることは避けたいと思っている。

しかし、ナイジェリアのシュラインで体感したほとばしるメッセージの塊は、圧倒的な大衆の匂いとともに生命力を放っていた。

* * * * *

先のガーナ同様、私の強烈な祭り体験(祝祭)となっていますが、単なるライブレポートのように感じた方も多いと思います。

日本の祭りもそうですが、その熱気や匂い、特にアフリカでは例えようのない生命体のようなバンドのグルーヴは言葉では表現しきれません。

世界平和(photo: Umbria Festival, Italy)

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