レコーディング・プロセス−3  わくわく創作編

クリックすると元のサイズで表示します 7月23日「マスタリング」

最終段階のマスタリングという作業に入っています。配信がメインとなっている今、この作業はあまり必要でなくなっていますが、今回はCD制作なのでとても重要なプロセスです。

具体的には曲によって異なるボリュームや質感をCDというひとつのパッケージに収めて、バランスよく聴きやすくするための作業です。曲間もこのマスタリングで決めます。

※アルバムを聴いていて、音が小さくて聴き取れないからボリュームを上げたら、次の曲が大きな音でびっくり!ということがあると思います。これが音のダイナミックレンジ。小さな音から大きな音までの幅が広いということです。

そもそも、これでこれ聴くって無理がありすぎ。
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今回のマスタリング・エンジニアは、元ドラマーということもあり、私が気にしていた音を同じように感じて、かなりの時間を費やして作業して下さっています。

ダイナミックレンジが広い太鼓は、コンプレッサーというエフェクターを使ってダイナミックレンジを狭くします。けれど、エフェクターを掛けすぎると音の強弱=表現の豊かさが弱まってしまいます。ここが太鼓のアルバム作り、レコーディングの難しいところです。

※さらに専門的になりますが・・・。

ダイナミックレンジだけでなく、太鼓の音は倍音をたくさん含んでいます。「どん!」と叩いた後、太鼓の胴の中で「うい〜〜ん⤴い〜〜ん⤴」と消えていく余韻。太鼓の場合、響きと解釈されている成分かも。

専門的な倍音の説明ではありませんが、太鼓の音の特徴としてイメージしていただけたらと思います。テレビが終わった時のピー音にはないですし、今売り出し中の電子ドラムにもない成分です。

倍音は調律された楽音とは異なるため、多重録音の場合、扱いにくい成分と言えます。なので、デジタル録音の場合はカットされます。また、収録するスタジオも響きをなくした設計になっているところが多いため、今回、完全なソロ演奏はホールで収録しました。

ホールは響きがある分、倍音が際立って聴こえてきます。

クリックすると元のサイズで表示します 7月28日「マスタリング終了!」

通常は1〜2日で済むマスタリングですが、今回は音のこだわり×多忙なエンジニア=2週間以上掛かりました。

コンプレッサーを掛けた時に起こり得る事象がどうしても気になってしまい、それを解消するために時間を掛けました。

また、音楽の聴き方が多様化し、スマホからコンポ、本格的なオーディオ機器まで申し分ない音を提供することは至難の業。

それぞれの再生機器で納得して、聴いてもらえるラインをマスタリングで探し続けました。

今回、なんでCD???と片付けてほしくないイメージがあって、その音楽性と世界観に見合う方法を選んでアルバムを作りました。

アナログ・レコーディングに始まり、それをデジタル化して編集し、マスタリングするまでのプロセスは、今の音楽制作において最高のプロセスだったと思います。

曲を3分前後でまとめている時間軸もちゃんと持たせています(ここ、私らしさ出てます)。

まさにエンジニアの皆さんの職人技の塊みたいな音。音魂と言えるアルバムが工場に入りました。

主流となっている配信は曲ごとに販売されるため、アルバムのストーリー性や世界観が重要視されないとも言えます。音楽の在り方、アルバム作りの時代の変化が如実に表れていますね。

厳しい社会情勢が続く中、私達のように表現活動する者は、テーマや世界観をより大事に、しかも押しつけがましくならないように作品作りを大切にしていくこと。それを今回のレコーディングを通じて、とても強く感じました。

クリックすると元のサイズで表示します クラウドファンディング実施中(8月6日まで)

このアルバム制作にあたりクラウドファンディングを行っています。おかげさまで、7月28日現在で達成率は92%!
事前に商品をご購入して、ご支援いただくスタイルとなっております。森にちなんだグッズもご用意しておりますので、引き続き、皆さまのご支援よろしくお願いいたします。

ソロアルバム”Soloist”制作プロジェクト(専用サイト)

レコーディング・プロセス−2  わくわく創作編

クリックすると元のサイズで表示します 6月26日「アナログ・レコーディング」

今、レコーディングと言えば、デジタル録音が当たり前ですが、今回の私のアルバムはアナログテープで録音。それをデジタル音源にしてミックスを行っています。

このアナログで録音した音が実に素晴らしく、食で例えると、オーガニックのお野菜とそうでないもの。天然ぶりと養殖ぶりの違いとでも言いましょうか。

大変貴重なスイス製レコーダー"STUDER"
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※実はこの頃、その先にどれだけ大変な作業が待ち受けているか、分かっていなかったのです。


クリックすると元のサイズで表示します 7月2日「トラックとミックス、そして定位」

”Soloist”=独奏者というアルバムタイトルですが、ひとつの楽器を演奏して完結している曲もあれば、いろいろな太鼓を一人で重ねている曲もあります。

それを多重録音(オーバーダビング)と言いますが、それぞれ録音した音をトラックと呼び、いくつかのトラックをバランスよく混ぜ合わせることをミックス、もしくはトラックダウンと言います。

多重録音の場合、定位というものを考えないといけません。定位と言うのは今回の場合、太鼓の音の配置のことですが、右左だけでなく奥行も表現できます。

例えば、オーケストラのように太鼓を置いて録音できれば良いのですが、一人で音を重ねていく場合はそうもいきません。

また、私が写真の太鼓セットを叩く時は手前にいるので、左側に@が聴こえるのが自然ですが、アルバムとして聴く場合、お客さんと同じ側になるので@が右側から聴こえます。

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アンサンブルの場合、例えば、大太鼓はセンター奥、かつぎ桶太鼓は左側、締太鼓は右側などの振り分けが必要になります。中央に音が集まってしまうと、すべてが一緒くたになってとても聴きづらい音になってしまいます。

音の定位を整えることは、生で聴く時の臨場感に近づけるということです。

実はライブ空間においても定位はとても重要なのです。

例えば、オーケストラの楽器の配置が変わったら、おそらく、同じ曲とは思えない感じになると思います。残念ながら、太鼓演奏の多くは見栄え重視。音の定位まで考えられていないことが多いです。

クリックすると元のサイズで表示します 7月3日「ミックスと空間」

音を重ねていく多重録音(オーバーダビング)はとても楽しいのですが、音を重ねる分だけその「空間」も収録されるので音が籠ってしまいます。

昔は「一発録り」のアナログ録音だったので、オーケストラやジャズなどのアルバムは、その場にいるような臨場感を感じることができます。

デジタル化が進んでオーバーダブが当たり前になる中、ノイズが大幅に軽減された精密で無駄のない音作りが進み、多重録音もかなり進歩しました。

きれいな音に仕上げるためにズレは修正し、雑音はできるだけ除去。なんでも除菌という社会現象とかぶります。空気感なんてノスタルジックなものになりつつありますね。

今回のアルバム"Soloist"は、収録場所が違う空間の音で構成されています。これがなかなか面白いです!出ている音を録るだけでなく「空間」を録る。

これは映像にも言えることで、デジタルで音も絵も「鮮やか指向」になるのは良いのですが、私は「空間」を大事にしたいです。

※この後、マスタリングという最後の作業で、とっても貴重な経験ができ、ゆるぎない自分の音の美学を知るのです!

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ソロアルバム”Soloist”制作プロジェクト(専用サイト)

続く

レコーディング・プロセス−1  わくわく創作編

クリックすると元のサイズで表示します 6月某日「連日スタジオ通い」

曲作りで連日スタジオに入る時は、スタジオの近くに倉庫を借ります。そして、車を運転しない私はこのようにホームレス的装いでカートに太鼓を積んで、倉庫からスタジオまで2ブロックほど運びます。

このような装いの時、アメリカ国籍の私は「外国人登録証」必携。

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クリックすると元のサイズで表示します 6月某日「ヘッドアレンジ」

今日は一歩も外に出ず、机に向かってアルバムの構成を考えていました。他のミュージシャンがどうしているか分からないのですが、太鼓の曲はどうしてもライブのように構成してしまいがちです。

例えば、構えるところから叩くまでの動きとか、「間」やタメといったリズムの拍を問わない要素が音のイメージにくっ付いてきてしまいます。けれど、音は音でしかなく、知らない人にはそのプロセスは絵として浮かんできません。太鼓の生音は世界最強ですが、音源としてはそれではあかんのです。

明日はスタジオに入って、そのズレを叩きながら確認します。

クリックすると元のサイズで表示します 6月22日「いよいよレコーディングスタジオへ」

レコーディングは、その日の「記録」と割り切ることが基本。
けれど、この1年半があってか慎重になっています。ソロアルバムなので当たり前ですが、自分が叩かなければ何も始まらない。長いお付き合いのレコーディング・エンジニアにも言われちゃいました。

「どうしても意気込むよね〜」。

クリックすると元のサイズで表示します 6月23日「全力でレコーディング!」

まず、総重量300kgを超えるフル機材を搬入することから始まりました。実は2台ある大太鼓のどちらを持っていくか決めきれなくて、朝になって、結局2台持ち込むことに。

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演奏する機会が激減して、しかも、梅雨に入ってコンディションがつかみきれなかったのです。そして、大太鼓は翌日の方がその場の空気に馴染んで音が良くなるので、今日は太鼓セットのベーシックトラックをほぼ録り終えることができました。

これ以上、絞りだせないエナジーを絞り出し、レコーディングできる喜び。まさに今日という記録を残せた一日でした♡

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音楽専門のプロジェクトで事前に商品をご購入いただくスタイルとなっております。
森にちなんだグッズもご用意しておりますので、引き続き、皆さまのご支援よろしくお願いいたします。

ソロアルバム”Soloist”制作プロジェクト(専用サイト)

続く

祝・動物的本能  カテゴリーなし

5月2日に南青山マンダラで人生初のソロライブを行いました。

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この状況下でライブができたこと。それだけで十分だったわけですが、時間が経過していくほど、表現したいことが発揮できなかった自分をもどかしく思います。

ご来場いただいたお客さんの集中力を感じていただけに、今までやったことないことにもっと挑戦したかったと思いました。

でも、あの日を迎えるまでのプロセスでは踏み込めなかったと思いますし、これも初めての経験として記憶しておこうと思います。

そして今、景色が変わりました。

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もちろん、先行きは厳しいままですが、アイデアが自然と湧き出てきて、健全な肉体と精神が戻ってきています。本当にありがたいことです。

不要不急という言葉に始まり、力を発揮できない自分は無力感に襲われそうになりましたし、集中力も欠き、前向きな姿勢で振舞うことすら偽善的で、とにかく、身体の循環だけは良くしておこうと過ごしてきました。

そして、私にとって一番怖いのは、仕事がないことよりも何もイメージが湧いてこないことだと自分を理解しました。

創作意欲が湧くように自分をだますというか、仕掛けるように日常を過ごしていました。

例えば、料理。

元々、好きだったこともありますが、その日の創作頭は料理だけにしか使わなくても、そのことでかなり集中できたし、活力を生んでいました。

ほんの少しずつ挑戦欲やイメージが湧いてきて、ライブをやろうということになり、何たら宣言が出されたことでさらに圧力が掛かるかもしれない中、ライブができなくなることもイメージしてその日を迎えました。

「積極的な妥協」と自分では呼んでいるのですが、これは海外ツアーで何かが起きても、感情的にならず対応できるように自分で身に付けた対処方法です。

iPhoneがあればどこででも仕事ができると豪語していたあるIT系の方も、実はものすごく精力的に人と会い、動いていました。

リモートはこれからも必須ですが、人間が持つ動物的本能を失わないためにも、打楽器の力を身をもって表現し、発信していきたいと思います。

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とにもかくにも無事に公演ができたことで、それは儲け。

制作的に赤でも、それだけで存在価値が決まる人間ではないので、今は創作意欲を取り戻せた自分に「良かったじゃん!」です。

お祝いのお花。ありがとうございます。

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460日ぶりの景色  わくわく創作編

音楽人生初となるソロライブを南青山マンダラで行いました。

ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。お会いできて嬉しかったです。

昨年12月、演出した渋川市の公演がありましたが、純然たる自分の世界を作り上げるという意味では、昨年1月のベルギーのアントワープ公演以来460日ぶりのライブでした。

この1年、何度か森に入りました。

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実際に森に入るとそれはそれは圧倒的で、腐葉土を踏む感触を楽しみながら、目的地があるわけでもない道なき道を歩いていると、テンポやリズムは目まぐるしく変わり、朽ちた大木が横たわり、そこから新芽が生まれている。

目に入る生命の色の豊かさは本当に多様でした。

今回、森をテーマにその情景を描くにあたって、既存曲やリズムを一度解体することから始めました。

2台の大太鼓を使ったGEMINIという曲は、右側の太鼓は実直なリズム(人格)。
左側の太鼓は楽しくやりたいリズム(人格)という設定にして、異なるリズムを小節ごとに打ち分けて、そのうち、お互いが影響し合い、最後は一つになるという作りでした。

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大袈裟かもしれませんが、多様性とか言いながら、どんどん差別化が進み、保身に走る世の中を皮肉ったところもあります。

また、2つの大太鼓のピッチ(音程)のバランスが良く、自分でチューニングできない大太鼓の「今しかできないこと」の一つかもしれません。

他の太鼓セットやチャッパ、かつぎ桶太鼓も多様性とリズムの変容にトライしました。

3拍子と4拍子、もしくは7拍子のリズムを交互に入れたり、3拍子の中に4拍子を1回だけ挟んだり、手法としてはインド音楽やクラシックにもあるのですが、メロディーがない分、マニアックな手法になるのでグルーヴ感をなくさないようにという意図がありました。

恥ずかしながら、アウトプットがうまくできなくて、演奏もMCも反省点がてんこ盛り。

帰宅後、すぐにあかんところはお酒で流して、可能性があるところを膨らまし、もっと!もっと!確実にその色を出せるようにせねばと思った次第。

もしかしたら、構成や流れのイメージを再現しようとせず、イメージを持ったままガン!とインプロで行くべきだったか。

いや、感覚がそこまで上がってきていないから、後半は絶対ガス欠になるとか。

ああ、もっとトライアル&エラーを繰り返して高めていきたい!!!

人が動くことで生まれるコミュニケーションがあってこそ、ネットも価値が高まると思います。

やるべきことをやって、音楽のある生活、日常を切り拓いていけたらと思います。

お花を添えていただき、ありがとうございます。

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鼓童三人狂 セネガル公演1991・超秘蔵映像  1991 鼓童三人狂西アフリカツアー

今から30年も前の話になりますが、私は鼓童で初の少人数編成のグループを作り、アフリカツアーを行うという企画を提案しました。

そして、1991年に当時の鼓童をけん引してきた金子竜太郎さん、栗田完さん、私の3名による三人狂(さんにんぐるい)というグループを作り、西アフリカツアーを実現させました。

訪れたガーナ、ナイジェリア、セネガルの強烈なリズムとダンス、濃密なアートを通じて、アフリカの大地の息吹を目の当たりにし、その地で生きる人たちの魂を心に焼き付けて帰国してきました。

今回、ご紹介する映像の存在を私は知っていましたが、丸30年経った今、初めて観ました。つい2〜3週間前のように鮮烈な記憶がよみがえり、正直、動揺しました。

パソコンがなかった当時、企画立案し、情報をむさぼるようにアナログで探した日々。未知の世界へ挑む不安。そして、信念。

その実体験が私の血となり肉となっていることは間違いありませんが、私は昔を懐かしむような感情を好まないから、今までこの映像を観ようとしなかったのだと思います。

でも、このような旅で培ってきた多様な価値観と時間軸を今、私たちがおかれている状況に当てて、何か新しい視点や発想を見いだせないかともがき続けています。

前置きが長くなりましたが、ビデオからデータ化された映像と音でも十分にその場の熱と空気を感じていただけると思います。

第1部が三人狂。第2部は三人狂とセネガルのスーパースター、ドウドウ・ンジャエローズとの共演です。

編集せず、舞台転換もそのまま。アフリカの空気をどうぞお楽しみ下さい。

「鼓童三人狂」西アフリカツアー1991
セネガル公演

パート1 鼓童三人狂/レナード衛藤、金子竜太郎、栗田完
パート2 鼓童三人狂、ドゥドゥ・ンジャエローズ

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Straight Ahead  祭り体験がないゆえに

インド大陸で学んだことは時間軸。

アフリカ大陸で学んだことは生命力。

自分の旅人生を懐かしんでいると思われるかもしれません。

実はこの1年、自分が体験してきたことから学べることがたくさんありました。

太鼓という素材と向き合うことで100年単位の時間軸を疑似体験し、旅という実体験で今を積み重ねてきたんだと思います。

先行きが見えない今、表現者として本当に辛いです。

でも、自分が体験してきたいくつかの時間軸(物差し)を頭の中で使い分けて、一歩ずつ前に進んでいこうと思います。

そこから先は、自分が持っている元々の生命力次第(運命)と思っています。

まだ、中途半端な生き物であることは自覚しています(笑)

でも、スマホやPCのワンクリックで感情表現?するような代謝がない人生は送らないよ。これからも。

燃焼して、燃焼して、真っ白になって地球に食われておしまい。

Straight Ahead!

ジブチ2011(大地溝帯)
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マダガスカル2004
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マダガスカル2004
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クウェート2004
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クウェート2004
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クウェート2004
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インド2013
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インド2013
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"Straight Ahead" 配信中(宣伝かい!)


曲が生まれる時  わくわく創作編

Facebookの書き込みから、ちょっとした狂想曲のような販売となったCD “Power and Patience”

ご購入いただいた皆様ありがとうございました。

私自身、リスナーとして作品の経緯を探ることはとても好きなのですが、作り手としては送り出した曲は余計な説明なく、自由に感じてもらえたらというスタンスでした。

でも、今のような情報過多の世の中において、曲や作品のプロセスをお伝えすることは押しつけがましいものではなく、むしろ大切にするべきことなのかなと改めて思いました。

先のブログで「族」という曲の成り立ちに多くの方々が関心を持っていただいたこともあり、今回はCD “Power and Patience”の1曲目”KAKUMEI”の動機について書いてみようと思います。

2010年の終わり、CNNか何かの深夜ニュース番組をぼーっと観ていたのですが、北アフリカのチュニジアでデモが起きているけれど暴動までにはなっていない様子。

引き続き、ぼーっと観ていたら突然、群衆の中から火の手が上がる映像。でもすぐに鎮静化される様子を対岸の火事のように観ていた私。

それは、「ジャスミン革命」でした。

9.11のこととダブり、気になって音を消して画面を見続けていました。そうしていたら、シュールに頭の中で音が鳴り始めたのです。

情景描写と言っては不謹慎かも知れませんが、曲を作る動機は高い緊張感とリラックスした感覚が混ざり合って生まれてくることが多々あります。

国内外で旅が多い人生。

旅の道中はキーンと張り詰めたものがありますが、移動中の車中や機内はリラックス。なので、移動中の景色は大好物。私の曲作りにおいて気持ち良いリズムと情景描写は欠かせないものです。

けれど、少し斜(はす)に構えるというか、場合によっては皮肉って創作することもあります。

ヨーロッパなどの文化において、その奥行きを作り出している要素は角度を変えることによって見えてくる影だったりします。

話を元に戻しますが、そういう意味でデジタルと向き合った”Power and Patience”は、私のアルバムの中で最も斜に構え、温度も低い作品かもしれません。

創作の動機が対岸の火事と感じていた「ジャスミン革命」。日本とマッチングしなかったのもそこか!?

今年もあと数日。順調にいけば、1月4日から”DON DEN”を皮切りにデジタルでシングル3曲をリリースしていきます。太鼓の曲でシングルって冷静に考えても変だと思いますが、3〜4分に集約した音を配信に乗せて世界に放ってみます。

今年、最初で最後の公演となった渋川公演。
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2021年の第一弾は、スコーンと明るい"DON DEN"から!
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前向いていこう!

ねっ!


「族」受け継がれていくとしたら  22世紀に残る音

「族」を書いて丸30年が経ちました。

1980年代、超個性的メンバーで構成されていた鼓童にいた私は常々思っていました。

「メンバー全員で叩けるハッピーな曲がない」

アースセレブレーションが立ち上がる前夜だったこともあり、この機会に大地をイメージし、テーマソングとなるような曲を書こう!と、すごい筆圧で一夜で書き下ろしたことを今でも思い出します。

当時、みんなで叩けるリズムと言えば、「ドンドコ」しかない。けれど、テンポが速い「ドンドコ」がみんなの好み。「聴く者を圧倒するリズム」はフェスティバルのテーマとしてどうなんだろう。

リズムと一つになるには、もっとテンポを落としてみようということになり、やってみたけれどリズムが合わない。

そんなある日、ほこりを被っていた平胴大太鼓が鉄枠の台に吊るされているのを見て、前から平胴大太鼓の長く伸びる響きが好きだった私は、佐渡の職人の西須さんにお願いして「この大太鼓を木の幹か何かに載せて大地のイメージを作りたい」と相談。

数週間で切り株を切り出して中をくり貫いた台を製作してくれました。

通称「象脚」と呼ばれる台ができ、さらに近藤克次さんが「レオ、こんなバチがあるよ」と提案してくれたのがバットの形状をしたバチでした。

平胴大太鼓で拍頭を叩くという極めてシンプルかつ、インパクトのあるアンサンブル形態がこの曲で確立されたのでした。

そして、この曲のテーマはベースのリズムとなる「ドンドコ」のうねり。グルーヴです。

その上に乗るリズムパターンも曲を構成する上で大事なのですが、あくまでもトッピング。

ソリストがドラムスのように華麗なるソロを披露する演目にはしたくなかったのです。それでは、みんなで叩くというコンセプトが崩れてしまいます。

確かにシンプルなリズムを繰り返すことで「飽き」が出てしまう可能性があるのですが、私からすれば、「心地よい音。踊りたくなるような音。グルーヴはその先にある。」ということになります。

自己の確立を急いていた20代の私にとって、多様な人たちと共に生まれる重厚なリズムは鼓童の存在価値を見つめ直す機会にもなりました。

この曲を世界中の太鼓ファンが愛してくれることは嬉しいのですが、叩き手はこめられたメッセージとシンプルゆえに奥が深い「ドンドコ」という永遠のテーマを磨き続けてくれたらと思います。

確か1990年前後のニューヨーク公演より(Photo: KODO)
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2015年アースセレブレーションより(Photo: KODO)
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音楽のある新しい生活様式  音楽ビジネスって何だ!?

今なお、活動再開できないミュージシャンの一人ですが、頭の中で「専門家」という言葉がグルグル回り続けています。

一時期のどうなるか分からない状況の時は、世界の学者や哲学者といった専門家の寄稿文をネットで読んだりして、客観的な視点を持つように心がけていたように思います。

違和感を感じ始めたのは、日本で感染症の防止にあたって専門家がまとめた「新しい生活様式」が提言された時でした(今は市民会館等に配布された資料を含め、改善されています)。

それを見て、音楽が娯楽としてパチンコや接客を伴う店と同じ括りにされているように思えてひどく落胆しました。音楽の世界で生きてきた者として辛かったです。

でも、すぐ冷静になって「専門家って何だろう」と考え始めました。専門家とは特定の分野に精通し、専門的な知識や技術を持つ人だと思います。

太鼓を作る職人さんならば、太鼓に使う素材を見極め、道具を整え、製造していくすべての過程を通じて世界に通じる「ひとつの価値観」を形成している人だと思います。

感染症の専門家の方々も一生懸命に考えられたと思いますが、ミュージシャンという立場から再認識できたことがありました。

それは、専門家が一般社会に向けて何かを発表する際、その専門性ゆえに社会との間にはズレが生じやすいということです。音楽やダンスといった表現活動において「なんだこりゃ!?」と思われる作品が多々あるように。

音楽やダンスといった表現活動においては、感情が溢れ、イメージを描き、音を作って必死にリハーサルを重ねてきたのだから、絶対に素晴らしい世界が表現できると思うわけです。また、音楽の世界では社会をつなぐパイプ役として、プロデューサーという存在がいます。

しかし、先に提言された「新しい生活様式」においては、プロデューサー的な役割を担う人がいなかったのか、その方の想像力が足りなかったかも知れません。どなた!?(笑)

写真:自粛中に佐渡が姉妹から送られてきた山菜の下ごしらえ初挑戦!

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ところで、日本も文化に対する支援策が発表され始めましたが、SNSでは「時期尚早」とか「自称アーティストに支援する必要ない」とか、とても辛辣な書き込みが多く見受けられます。一部の人とは言え、私はここでも一般社会とのズレというか溝を感じました。

悶々とする日々が続く中、提言された生活様式を具体的に想像しているうちに、ある記憶がよみがえりました。

それは、ドイツが東西に分かれていた1980年代に東ドイツ側のベルリンで行われた公演。

町を歩いても色はなく、強いて言えばグレー。スーパーに行っても棚には何もなく、パンを買うにも配給のように長い列に並ばなければなりませんでした。当時、経済イケイケの日本から来た私には鮮烈な記憶として残っています。

書き込みをするスマホやパソコン。着ている服。座っている椅子。飲み物のパッケージ。目に入ってくるもののデザインがじわじわとグレーになって、なんの感情も湧かない音が流れ、生気が失われいく日々を想像してしまいました。

音楽やアートは不要不急とケチョンケチョンに言われましたが、今までのように広告代理店が過剰な宣伝費を掛けて注目を集めているだけの、つまりエンタメ化したものにしか反応しない社会ならば、仰々しい演出が色褪せていくのも早いかなと思ったりしました。

視点を変えろ!

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私がこれから何ができるのか分かりませんが、まずは音作りの視点を変えてみてはどうかとチャレンジしています。今まではライブで演奏することを前提に作ってきましたが、逆にライブでは絶対無理!という曲ってどんなだろうとか。

具体的にアイデアが出始めているのですが、もしかしたら「太鼓はやっぱり生演奏」という甘えの構造から脱却できるかもしれない!

そして、前にも書きましたが、配信・レコード・CDそれぞれに相応しい曲を作り、それぞれ異なる再生方法によって「音楽のある新しい生活様式」を提案できたらと思います。

全世界が同じ問題に直面して、これからどうあるべきか(特にミュージシャンは)考える時間が与えられていると思っています。

私自身、もの凄くハードルを上げていますが、元に戻るのではなく、自分と向き合い、良い音を届け、多様な個々と出会い、マジで豊かな音に包まれて生きていきたいと思っています。

うだうだ思いを書いてないで、曲を書けっ・・・てか。

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