2004/10/24

映画「誰も知らない」  MOVIE


随分と遅ればせながら、「誰も知らない」を観てきました。

最近、涙もろくて
自分でもこんな映画で泣くか?!というような映画で泣いているので
ティッシュとハンカチをしっかり用意していきました。
でも、この映画では、泣けませんでした。
だって、この子たちが泣くことも誰かを責めることもなく
けなげに生きているのに、大人の私がそれ観て泣くなんてできませんでした。

大人は子供のためにあるんですね。
子供は必ずしも大人のためにあるわけではないけど
大人は子供のためにある、そんなふうに思いました。

たとえ朝から晩まで仕事とはいえ母親がいたときには、
きちんとしていた部屋が、子供だけになった途端
急速に薄汚れ異臭を放つようになってしまうのが
いたたまれなかったです。

彼らが不幸なのか幸せなのか、よく判りません。
彼らにとっての幸せが家族一緒に暮らすことならば、
母親がいなくても4人離れずいることが
彼らに残された幸せなのではないかと思ってしまいます。

それに母親に捨てられる形となった4人の子供たちが不幸なら
大きなマンションに住みおそらく両親も揃っているだろう少女が
学校にも行かず、援助交際に走り、1晩家を明けても大丈夫なのと
どちらが不幸なのか判りません。

大声で笑うこともなく大声で泣くこともなく
子供たちも生きていて、
何かが起こっても、夜が明ければ朝は迎えなくてはなりません。
不幸か幸せかは全く別として。

どうにもこの映画はつかみ所がなくて
子供を捨てた母親が非道かというと
彼女なり子供たちのことを愛していて
子供たちも彼女を愛しています。
ただ、彼女はとても浅はかで、なによりも自分が大事だってこと。
父親のほうも似たようなもので、悪い人ではないのだけれど
自分のことで精一杯。
他の大人たちも、不注意に彼らと深くかかわろうとはしません。
アドバイスや賞味期限の切れた惣菜はあげることはできても
それ以上は、子供たち自身の意思に任せようとします。
彼らは彼らのできることしかできません。
多分、助けを求めてきたら助けようとすると思うのですが
彼らの母親を連れ戻せない以上
それでも彼らが4人でいたいと思う以上
彼らのしたいようにさせるしかないように思えるんですよね。
そういう大人たちを責めることはできないのは
自分もおそらく彼らの側なんですよね。

考えされられることが多い映画ですが、
そこから先へは進めない、そんな思いが残りました。
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