2016/1/11

男と女の不一致な真実  MOVIE

本日の映画は
NYで暮らすひと組のカップルの心のうちを
男の視点、女の視点、それぞれ2作品で映し出した

「ラブストーリーズ コナーの涙」
「ラブストーリーズ エリナーの愛情」

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です。


原題は
「THE DISAPPEARANCE OF ELEANOR RIGBY」
(エリナー・リグビーの失踪)
と云い、これにそれぞれ副題
「HIM」「HER」「THEM」がついて
3部作映画となっております。

ただし、今回DVDリリースされたのは
「HIM(コナーの涙)」
「HER(エリナーの愛情)」
の2本だけです。

「THEM」は「HIM」「HER」を再編集して
1本にまとめた映画だそうなので
上の2本を抑えておけば大丈夫とは思いますが、
そちらも気になりますね。

さて、原題の「エリナー・リグビー」というのは
ヒロインの名前でして
本編の中でもちらっと語られていますが、
ビートルズの楽曲「エリナー・リグビー」からきています。

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エリナーのフルネームを知った大学教授の反応がこれです。

と云っても全くぴんと来ませんでした。

でも、それは私は
「オール・ユー・ニード・イズ・キル」の元ネタが
ビートルズの「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」と
云われるまで知らなかったくらい
洋楽には疎いからであって曲自体は超有名。

youtubeで検索してみたところ
タイトルは知らないけれども何度も聞いたことのある曲でした
「エリナー・リグビー」。


超有名な歌じゃん!!

エリナーに名前の由来を聞いた
美術史教授のリリアン・フリードマンは
「ビートルズを嫌いになりそう」
と感想を述べますが、
今回初めてまじまじと歌詞を見て納得。

wikipediaでの解説なんてこうですよ。
「エリナー・リグビーという身寄りのない老女と、
誰からも相手にされないマッケンジー神父
という架空の人物を悲劇的に書いた物語的な曲。」

…周りもよく止めませんでしたね。

ちょっとした裏話を披露し本題から逸れてしまいましたが、
この手の映画の大きな問題は、
上映時間がきっちり定められている劇場での鑑賞ならともかく
寸分違わないDVD2枚を前にした場合
どちらを先に見るかどこに正解があるか
ということです。

こういう時はとりあえずGoogleへ。
タイトルを途中まで入力したところ案の定
サジェストで「ラブストーリーズ 順番」が出てきたので
それを拝見すると
「女性は『エリナーの愛情』、
男性は『コナーの涙』から見るのが良い」
と書いてありました。

その助言に従い
まずは「エリナーの愛情」から再生してみることに…。



ある日のこと
エリナー・リグビー(ジェシカ・チャステイン)は
サイクリング中にハドソン川へと身を投げます。

真っ昼間に加え公衆の面前での投身だったため
あっさり助けられ自殺未遂に終わったエリナーは
妹に付き添われ担ぎ込まれた病院を無事に退院。

ウェストポートにある実家に戻り、
大学教授で精神科医の父親
ジュリアン(ウィリアム・ハート)

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ステキなおじい様になりましたね、ウィリアム・ハート。特に風になびく白髪が。

フランス人で元ヴァイオリニストの母親
メアリー(イザベル・ユペール)、
シングルマザーの妹
ケイティ(ジェス・ワイクスラー))と
その息子のフィリップとともに暮らすことになります。

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幼い甥以外の家族は自殺未遂したエリナーを腫れ物に触るように見守ります。

暫くして気持ちも落ち着いたエリナーは
何かを吹っ切るかのように
これまで伸ばしていた髪をバッサリ切り
両親の薦めで大学に復学します。

父親の紹介で受けることになった
リリアン・フリードマン(ヴァイオラ・デイヴィス)
の講義にも慣れた頃、教室に
エリナーの前に夫コナー(ジェームズ・マカヴォイ)が
前触れもなく現れます。

しかし、自殺未遂以降、コナーとの接触を
一切合財断っていたエリナーはここでも彼を拒みます。

自殺未遂以前この夫婦の間に何があったかは
「エリナーの愛情」にも
これに続く「コナーの涙」にも詳しく描かれていません。

数少ない情報から判るのは、
とても仲の良い夫婦だったことと
2人の間に生まれた息子が
生後数か月で何らかの理由で亡くなり
エリナーもコナーとも立ち直れないでいることです。

問題は、同じように子供を失くしながら
2人の受ける心の痛みも悲しみ方も
同じではなかったということです。

少なくともエリナーはそう思っています。

考え方や価値観の違うコナーと
同じ悲しみを分かち合うことに耐えられなくなった
エリナーはコナーの元を去り
一方、夫婦で悲しみを乗り越えたいコナーは
エリナーが立ち直り自分の元に戻ってくることを
待ち続けているようです。

そのすれちがいを時間をじっくりかけて
徐々に修復していく様を描いたのがこの映画です。




一旦、「エリナーの愛情」をおしまいまで見てから
間髪おかずして「コナーの涙」を鑑賞。

同じストーリーをだいたい同じドラマ内時間枠で
今度は夫(男性)側の視点で描いているわけですが、
全てが同じように構成されているわけではありません。

映画「コナーの涙」は、
コナーにとってエリナーとの大切な思い出話から始まります。

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コナーの楽しかったころの思い出は「食い逃げ」の思い出。

一方「エリナーの愛情」では
エリナーは思い出に関して父親にこのようなことを語っています。

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まあ、ここで云っているのは幼い日家族で観劇した「キャッツ」のことですが…

どこの夫婦でもあることとは思いますが
この「思い出」=「人生の輝ける瞬間」が
夫婦間で全く違っています。

テレビのクイズ番組の一幕であれば
「いちばん思い出に残ったデートは?」という問題に
夫婦のフリップに書かれた答えが一文字も合っていなくても
会場は温かい爆笑に包まれ、
答えた夫婦もぎこちなく微笑みあって
それでおしまいになるのですが、
これはシリアスなラブストーリー。

コナーの「人生の輝ける瞬間」は
(飲食業に就いているコナーにとって)「食い逃げ」と云う
普段は絶対しないちょっとした悪事を
エリナーと共有したという思い出でした。

一方「エリナーの愛情」に出てくる
エリナーにとってのコナーとの大切な思い出は
コナーのものとは全くの別物で
しかもコナーはその思い出をすっかり忘れています。

エリナーにとっての2人の大切な思い出は
真夜中のドライブでラジオをガンガンかけて
ふざけ合ったことです。

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ラジオでかかっている曲が最悪でも楽しかった思い出。

このそれぞれの思い出は夫婦別居後
別の形で再現されます。

エリナーの思い出は彼女自身が再現します。
「人生の輝ける瞬間」を再現することによって
膠着したコナーの関係を変えようと思ったのかもしれません。

これまで頑としてコナーと逢おうとはしなかったエリナーが
決意を固め、コナーをドライブに連れ出したもの
一度掛け違った心のボタンは戻りません。

ていうか、コナーときたら
その時のことをひとつも覚えていませんでした。

覚えていないので意図せずして
エリナーのお膳立てを台無しにしてしまします。

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あの時食べたのと同じ食料を買い込んでドライブに誘ったのに夫には伝わりません。

しかもドライブに誘ったエリナーの真意も汲み取れず
云わんでも良いことを告白して
さらなる追い打ちをかけてしまうのです。

すっかり落胆したエリナーは
コナーをレンターカーに残すと
土砂降りの雨の中、その辺の地下鉄に乗って帰ってしまいます。

その後、コナーは自分の店で
かつての自分たちを同じように
若いカップルが「食い逃げ」する現場に出くわすことに。

ただし、結果は違います。

逃げおおせたコナーとは違い
追いかけた店主(=コナー)に捕まってしまう
カップルの男の方。

同じなのに全く同じものなんてどこにもない世界。

違いは「価値観」や「状況」の違いだけではなく
もっと映像として判りやすい形でも現れます。

2本の映画を続けて見ることで
同じシーンを扱っていても
衣装やセリフの内容、セリフの順序が
微妙に(ある時ははっきりと)異なっていることが
徐々に明らかになってきます。

最初に私が気づいたのは
大学まで押しかけてようやくエリナーを再会できたコナーが
自分の元に帰ってくるよう頼んだものの、
説得しきれず結局もの別れとなるシーンです。

未練たらたらなコナーに有無を言わせず
きっぱり別れを告げるエリナー。

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同じ会話をしていながら人によってこれだけ違うと云うのが判るシーン。

直後「エリナーの愛情」では
エリナーは一旦立ちあがりかけたところで
コナーに呼び止められて坐りなおし
再び彼の訴えに耳を傾けるのですが

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コナーの目を見て話を聞くエリナー。この時視点の高さが同じです。

「コナーの涙」では
エリナーは立ったままコナーの訴えを聞いています。

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ですので、コナーは見上げる形でエリナーに話しかけています。

その後、怪我を追っていたコナーは
待機していた救急車で運ばれるのですが、
去り際、コナーは

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本当はこのセリフで「あれ?前の(=エリナーの愛情)と違う」ことに気づきました。

と尋ねるのですが、
それに対して「エリナーの愛情」では
エリナーは無言のまま。
対して「コナーの涙」では、「さようなら」とだけ答えます。

これは些細な違いですが、話が進むにつれ
2人の間の「会話」や「記憶」に大きな違いが出てきます。

人は他人が云っていることはおろか
自分が口に出した言葉も意外と曖昧にしか覚えていないものです。

ものによっては
どちらが先に喋りそれにどう答えたかという
会話の順序さえ怪しいのです。

「エリナーの愛情」では「追いかけても?」の前に
「さようなら」と云っており
「コナーの涙」とでは順序が逆になっています。

このくらい人の記憶はいい加減です。
他人の話だけでなく自分の話でさえ「話半分」です。

例えば、「亡くなった息子の顔を忘れてしまった」
と嘆くエリナーにコナーは
「肌の白い子だ。よく眉をひそめてた。
瞳も鼻も唇も君と同じだった。
ほっぺもソックリだよ。母親似の子だった。
世界で一番美しい子だ。」
と教え、2人は微笑みあいます。

でも、これは「エリナーの愛情」でのこと。

「コナーの涙」では
「肌が白い子だ。耳は小さくて鼻は君に似てた。口も。
アゴの形も君に似てた。目は僕に似てた。
愛してたよ。世界で一番美しい子だ。」
と云った後2人は涙をぬぐうのです。

亡くなった息子を
エリナーは「自分似」と信じて疑わず
コナーは「一部は母親似でもあり一部は自分似でもある」
と思っています。

どちらの言葉が正しいのかは判りません。

さらにこの違いを判りやすくするためか
この時の2人の位置も服装も違うものとなっています。

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「エリナーの愛情」ではコナーの体にはエリナーがかけたと思われるブランケットが。

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かたや「コナーの愛情」のエリナーはそのまま放置しています。

「事実(=実体)はひとつで、真実(=観念)は複数ある」
と云う言葉があるそうですが、まさにそんな感じです。

こうした違いは全く同じ場面のはずのラストシーンにも
引き継がれます。

本当に細やかな違いですが、大きく違う2つのラストシーン。

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これはコナーが後を付けてきたエリナーに気が付いて振り返るバージョン。
そうでないバージョンもあります。


「エリナーの愛情」から見ると
自分のことで目一杯のエリナーばかりが強調されていますが、
「コナーの涙」の方でコナーの方も
実はいっぱいいっぱいだったことが判り、
やはりこの順序での観方で正解だったと思いつつ

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レストランの経営の失敗、父親の認知症と男はつらいよ。

もはや絶対に経験することができない
逆の順序で見た場合も知りたくなります。
あと、「THEM」も。



女って欲張りね。


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