2015/11/20

施して報を願わず、受けて恩を忘れず  MOVIE

本日の映画は
10月に首都アンカラ中心部での自爆テロ仁続き
日本でも渋谷区のトルコ大使館周辺で乱闘が発生し、
11月にはロシア軍の爆撃機を領空侵犯と見做し
トルコ軍が撃墜と
このところ何かと話題に事欠かない
トルコ共和国との合作映画

「海難1890」

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です。

試写会にて一般公開に先駆けて見てきました。

それ以降も12月1日には
イスタンブールの地下鉄の駅近くで
またもや爆発事件があったりと
トルコ的にこのタイミングでの劇場公開、
興行収入に影響しなければよいのですが、
他人事ながら心配です。

なにしろ日本とトルコの友好125周年を記念して
合作されただけあって
我が国の安倍晋三内閣総理大臣がイスタンブールに赴いた際
わざわざトルコ共和国の
レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領と並んで
仲良く鑑賞したくらい気合が入っているのです。

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安倍首相曰く「両国の絆を、それぞれの国民に語り継ぐための素晴らしい映画だ」。

トルコへの手前、日本でポシャるわけにはいきません。

本作で取りあげられているのは
別の時代、別の国で起こった2つの史実です。

1つは1890年に起きたエルトゥールル号遭難事件、
もう1つはその95年後の1985年に起こった
イラン・イラク戦争テヘラン在留邦人救出事件。

映画はこの2つの出来事を繋げることで
海を越え、時代を越えた絆と真心をつむぐ
感動巨編に仕上げております。

つまりは、どちらか1つの史実だけでは成立しない
2つで一対の奇跡の物語です。
ワンセットでないと意味がありません。

と、エラそうなことをドヤ顔で書いていますが、
私、エルトゥールル号遭難事件のことも
1985年のトルコ政府による在留邦人救出事件も
「もやしもん」の作者である石川雅之が
今年の春、ネット上に発表した
「Teşekkür ederim」

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この作品でも在留邦人脱出に95年前の事件が関わっていることを示唆しています。

という漫画を読むまで全く知りませんでした。

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当時の新聞にもでかでかと出ていたのに…。

特に1985年のニュースを覚えていないということは
日本人として誠に恥ずべき失態です。

なお、私のような世間知らずのため
この2つの史実とその結びつきについては
試写会入場前に配布された
小冊子「〜マンガで読む海難1890〜」

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たぶん、映画館のロビーにも設置されていると思います。

にも詳しくかつ判りやすく描いてあります。

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ここでも2つの史実の因縁をしっかり強調。

こちらの小冊子はこれから見る映画の全容を
たった4Pのカラーマンガで紹介しているという優れものでして
正直これさえ入手できれば特に映画を見る必要がありません。




…大丈夫ですか、こんなの配っちゃって?




………まあ、気を取り直して
まずは発端となったエルトゥールル号遭難事件を
掻い摘んで説明いたしますと、



1890年(明治23年)9月16日
オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)初の親善訪日使節団として
明治天皇に皇帝親書を奉呈した
軍艦エルトゥールル号はその帰還途中、台風に直撃し
本州最南端、現在の和歌山県串本町沖の
紀伊大島付近で遭難してしまいます。

その際、生存者が流れ着いたという通報を受けた
大島村(現在の串本町)樫野の住民たちが
総出で荒れ狂う夜の海に船を出し生存者を救助、
さらには夜通し介抱に当たり
乗員656名中69名が助かることができました。

その後も村民たちは台風の影響で
自分たちの食料の確保もままならないなか
非常用に蓄えていた米や鶏を率先して救護者に与え、
遺体、遺品の回収にも尽力を尽くしました。

見返りを求めることもなく、事故の処理に勤め
黙々と生き残った船員の面倒を見る人々。

彼らにとっては人として当たり前のことをしただけでした。

この出来事が前半となります。

後半の舞台はそれから95年後のテヘランです。

1985年3月17日、
イラクのサッダーム・フセイン大統領が
イラン上空を飛ぶ航空機への無差別攻撃を宣言します。

滞在中の諸外国人に与えられた撤退の期限は
48時間以内。

宣言後、他の外国人が
自国の航空会社や軍が用意した輸送機によって
次々イランから脱出するなか
日本人だけが取り残されることになります。

と云うのも日本大使館からチャーター便の派遣を依頼された
日本航空は乗務員の安全を理由に救援を辞退し、
一方、当時の自衛隊はこのような事態を想定していなかったため
イランまでノンストップで飛行できる航空機が配備されておらず
派遣は不可能だったのです。

脱出に際しなすすべがなくなった日本大使館は
一縷の望みをかけて友好関係にあったトルコに
応援を要請します。

その知らせを受けた当時のトルコ首相のトゥルグト・オザル
(演じている俳優さんがそっくりです!)
の決断で救援のための最終便は2機に増やされ
そのうちの1機に215名の日本人が優先的に乗り込み
無事テヘランを脱出することができたのです。

そのため約500名のトルコの人々が
時刻が用意した救援機を見送ることとなりました。

しかし、彼らは
他に脱出の手立てのなかった日本の滞在者を気遣い
危険を承知で陸路を使って帰国したそうです。

トルコの人々にとっては
これは人として当たり前の行いでした。

そう、かつて遠く離れた日本の人々が
エルトゥールル号の乗組員の命を救ったのと同じように…

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予告編ではいかにもエルトゥールル号事件のお礼のようになっていますが、
本編では説得の際95年前の事故の話には全く触れていません。



という美談と美談をくっつけたのがこの映画です。

95年前に他国から受けた恩を
直接関わりのない子孫が忘れずにいた事を思うと
我が国のように
「あの戦争には何ら関わりのない、
私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、
謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」
などと加害者側が言葉にしてしまうことに
抵抗を感じてしまいます。
(これは談話の一部ですので、全文を読むと
また違った解釈ができます。)

良くしてもらったことでさえ
100年近く経っても忘れない国があるのですから
酷い目に遭った国は何をか云わんやです。

恩や美談は歴史として残し
(同時期に公開される「杉原千畝」とか)
仇や恨みは忘れてほしいと云うのは
ちょっと虫が良すぎるような…。

また、トルコの好意に縋るしかなかった
当時の日本政府のふがいなさに驚かされます。

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嘘だと思うでしょう?でも、本当なんです。

まあ、現在においても
渡航禁止の国でテロリストに拉致された人質が
結果殺害されることでしか解決策を見いだせなかったのに
「自己責任」「テロに屈しない」
と云いきってしまう国ですからね。

そして、私みたいなのはそういう国の方針に
唯々諾々と従ってしまうのですから
我ながらなんともやるせないことです。

と、人としての在り方や真心について
いろいろ考えさせられるストーリーではありますが、
この映画、誰にでもお薦めできる映画かと云うと
そうではありません。

はっきり申しますと、
「シネフィルお断り」
「映画マニアお断り」
映画です。

と云うのも
映画レビューをネット上に載せているような
「(自称)映画ファン」の方々がご覧になると
眉を顰めるような演出がやたら目立つのです。

と云っても序盤は、そんなに悪くはありません。

遭難事件以前、そこに至るまでの
エルトゥールル号の乗員たちの船での生活と
大島村民たちの日常生活の様子が交互に描かれるのですが、
切り替えの際、
前後の映像や科白がリンクするように描かれており
なかなか凝った見せ方をしております。
(あまりやりすぎて多少くどさが感じられますが…。)

お金を支払って劇場に足を運んでもらうための作品ですから、
頑張るところは頑張っているのです。
「おおっ。」と思わせるところはあるのです。

その後に訪れる
ただただ一心不乱にエルトゥールル号の救出にあたる
村民の姿にも涙せずにはいられません。

ところが、
救出作業も一通り終わりを告げ
乗組員も村民もそしてそれを見守る観客も
ほっと一息ついた頃、
それまで流した涙が瞬く間に乾いてしまうような
演出が待っているのです。

無事救出されたものの
生き延びたことに罪悪感を抱く
海軍機関大尉のムスタファ(ケナン・エジェ)と
彼の命を援けた村の女性ハル(忽那汐里)の
言葉を介さない二国間の心の交流が描かれる
映画オリジナルのフィクション部分で
なぜか医師兼通訳の田村元貞(内野聖陽)が
ムスタファ(と観客)に
村の苦しい経済事情も
ハルの悲しい過去の出来事も全部
べらべらと喋ってしまい
ここで一気に興醒めに…。

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彼が事情説明をしたためそれまで映像で積み上げてきたものがいっぺんに台無しに。

口のきけないハルに代わって
これまでの出来事をセリフで説明したい
田村医師と監督(脚本?)の気持ちは
痛いほど判りますが、
それをやっちゃダメだろ!

おそらく私以上に映画を愛するファンの方々なら
そう思われるのではないでしょうか?

私もここでこの作品を見る目が冷めてしまったのですが
この映画を見終わって
座席を立った時私の頭に浮かんだのは

「ああ、この映画は
『映画ファンお断り』
と云うスタンスなのね。」

と云う言葉でした。

邦画、特にテレビ局製作の映画に良く見られがちですが、
この作品もまた
なにも脚本や演出にやたら食って掛かるような
映画ファンのためだけに公開しているわけではなのです。

むしろ
映画として悪いところは悪いと指摘することこそが
真に映画を愛する者の証と考える観客など
端っから想定していません。

作品を見て感動し泣いてくれればそれでよいのです。

ですから、そういった「映画ファンお断り」映画に
あれこれツッコみを入れたり
重箱の隅をつついたり
いちゃもんをつけるのは野暮ってもんなのです。

ここでは
「判る!判るよぉ。そういう演出がしたいのは凄く判る。
でも、それは『映画』としてはNGなんだよ。
(自称)映画ファンとしてそれは心情的に受け入れられないんだよ。」
と云うシーンが続出しても
ぐっと抑えて胸の内に仕舞い込むのが粋なのです。

例え「奇跡体験!アンビリバボー2時間SP」での
後半1時間をまるまる使って放送される再現ドラマで
充分涙できるストーリーに
「折角の映画化だから…」
と云う理由で、キャストを思いっきり豪華にし
さらに
「実話に忠実なだけではドラマティックじゃない!!」
という発想から
「これぞ映画的」(と作り手が思い込んでしまったよう)な
べたべたなフィクションを
これ見よがしに織り込んできてきたとしても。


と思ったらすでに6年も前に放送してましたよ、抜かりなしフジテレビ。

故郷に妻と留守中に生まれたばかりの子供が待っている
ムスタファと
事故で許嫁を亡くして以来声が出なくなったハナ。

お互いを意識しながらも
決して恋に落ちることのない2人の間にできた絆が
95年後のイランに受け継がれる
と云う胸きゅん展開にしたいのは判ります。

作り手とすればそこに「運命的なもの」を
描きたいお気持ちも判ります。

そして、この2人だけは
配役をまったく同じにしたいお気持ちも。

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この2人がまさか後々

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そのまま現代編で使いまわされるとは…。いや、判るんですけどね。

でも、その一方でやっぱり思ってしまうのです。
「こりゃないわ。いくらなんでもべた過ぎるわ。」と。

そんなとき
「この映画は『映画ファンお断り』作品だから」
と思えば、気張ることなく心に余裕を持って
映画を見ることができるのではないでしょうか?

この作品を教訓に
時には「映画ファンお断り」と云う映画もあることを
念頭に入れこれからも映画を見ていこう
と誓う私。

でも、そんな見方をすると
ブログに書くことも無くなってしまうかも…。


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他にもエンドロール後半のこの後の展開丸わかりの演出には赤面しました。

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