2015/1/22

クリスチャン・ベールのガキの使いやあらへんで!!  MOVIE

本日の映画は
御年77歳となるリドリー・スコット監督が
制作費約164億円かけて名作「十戒」をリメイクした

「エクソダス 神と王」

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です。

映画史に残るスペクタル映画の傑作であり、
「ゴールデン洋画劇場」を始め
「日曜洋画劇場」でも腐るほど地上波放送されてきた作品
であるにも関わらず「十戒」は私、未見です。

ですので本来ならば
まずは「十戒」を見ろ!
と云う話ですが、
上映時間が220分と聞きすっかり腰が引けてしまったので
まずは試写会が当選したこちらのリメイク映画の方から
鑑賞させていただきました。
(正しくはリメイクと云うわけはないらしいです。)

しかし、多くの映画好きにとって注目すべき点は
「十戒」のリメイクと云うことではなく
あのリドリー・スコット監督の最新作
と云うことではないでしょうか?

まあ、どちらにせよ
「十戒」のリメイクとして見るにせよ
リドリー・スコット監督の名前で見るにせよ
無垢な状態で本作を見る事ができず
「何か」と比較してしまう映画ファンの方は
少なくないと思われます。

そういう意味では
ちょっと気の毒な映画です。

ちなみに脚本は
「マネーボール」「ドラゴン・タトゥーの女」の
スティーヴン・ザイリアンとなっております。


 





紀元前1300年。

母なるナイル川に面する古代都市メンフィスを治める
セティ1世(ジョン・タトゥーロ)は
後継者問題で頭を痛めておりました。

セティ1世には実子である
ラムセス(ジョエル・エドガートン)と云う王子がおりましたが、
王自身は、この野心ばかり強い禿げた息子より
息子の乳兄弟でしゅっといた美男子である
将軍モーゼ(クリスチャン・ベール)の方が
後継者に相応しいと考えていたのです。

しかし、実の息子を差し置いて他所の子供を
跡継ぎにしたいなどとはなかなか口に出せることではありません。
特にラムセス本人には。

ラムセスの方もそういう父親の胸の内を
どことなく察しているので
兄弟同然で一番(というか唯一)の親友であるモーゼに
対してこれまでのように屈託なく
接することができなくなっていました。

そんな折り、近隣勢力であるヒッタイトとの戦いを
占った女教皇(インディラ・ヴァルマ)が
「一方を救った方が、やがては指導者となる」
と、ひと波乱を巻き起こす気満々の預言を
ぶちかまします。

無神論者のモーゼは全く相手にしませんでしたが、
ラムセスは一応神の存在を信じているので
一気に浮かない顔になってしまいます。

そんな2人を励ますためか
セティ1世は2本で1対の剣を用意し
お互い相手のことを護るようにと
本来ラムセスが持つべき剣をモーゼに
モーゼが持つべき剣をラムセスに分け与えます。

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こんなふうに微笑みあう仲だったのが

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ちょっとしたことでダメになってしまいます。

それぞれ授かった剣を手に戦いに赴く2人。
ところが、戦闘開始早々、
ラムセスはチャリオット(二輪車)から投げ飛ばされ
大ピンチに陥ってしまいます。
もちろん、ここでラムセスの命をモーゼが救うことになるのですが
女教皇が変な預言をしたばかりに
ラムセスはモーゼに素直に感謝できません。

帰還後、すっかりふさぎ込んだラムセスの代わりに
モーゼは自ら買って出て
奴隷であるヘブライ人の集落ビトンへと視察に訪れます。

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「ブレイドランナー」の植民地惑星よりひどいと思われるビトンの町。

そこでモーゼは
ヘブライ人の長老ヌン(ベン・キングスレー)から
自分がヘブライ人であり、生まれた時に
「400年もの間虐げられた奴隷を解放する」
と預言されたことを教えられます。

出生の秘密を聞かされたモーゼは一笑に付しますが、
その情報を密偵から手に入れた
ヘゲップ総督(ベン・メンデルソーン)によって
ラムセスの知るところとなってしまいます。

その頃には、楯となるセティ1世も崩御しており
王位を継承したラムセス2世はこれ幸いと
自分の治世に邪魔となるモーゼを
即日砂漠へと追放してしまいます。

と、云ってもラムセス2世のモーゼに対する思いは
複雑なところです。

「モーゼなんか処刑しておしまい!!」と騒ぎ立てる
母親トゥーヤ王妃(シガニー・ウィーバー)を抑え
去っていくモーゼの荷物の中に
セティ王から贈られた剣をそっと忍ばせるラムセス2世。

砂漠で足となる馬に死なれ飢え死にしそうになっていたモーゼは
このラムセス2世からのせめてもの餞別のお蔭で
トゥーヤ王妃が放った刺客を倒し
まんまと代わりの馬2頭と食糧を
手に入れ生き延びることができたのですから
本来ですとラムセス2世様様なのですが、
その時の(それ以降も)モーゼには感謝する余裕がありません。

たどり着いたミディアンの地で
羊飼いの娘ツィポラ(マリア・バルベルデ)と出会った
モーゼはその地に落ち着き彼女と結婚。
一人息子もできて穏やかな生活を手に入れます。

ところが、ある日のこと、ミディアンの住民が
「神の山」として立ち入り禁止にしている山に
羊を追って迷い込んだモーゼの前に
燃え尽きることのない錦木と
子供の姿をした
神の使いマラク(アイザック・アンドリュース)が現れ
「何いつまでこんなとこで燻ってんねん(# ゜Д゜)
早ようメンフィスに戻って
同胞たちを解放したらんかい!!このボケが!!」
と、叱咤してくるではないですか。

放浪生活はきつかったものの
奴隷生活を体験したわけでもなく
特にヘブライ人に思い入れのあるわけでもない
モーゼでしたが、神の命には逆らえません。

離婚まで持ち出して引きとめる妻や子を残し
一人故郷に戻ります。

そして、ヘブライ人奴隷を扇動し
ラムセス2世に対して反旗を翻したことで
2人の間には完全に亀裂が生じてしまいました。

それぞれに護るべき人々と社会があり
相容れることはもはや不可能です。

さあ、ここからいよいよ本作の見どころ。
モーゼとラムセス2世にとって
互いの愛憎渦巻く戦いが幕を切って落とされた!!
と思うじゃないですか。

しかし、
リドリー・スコット監督と
スティーヴン・ザイリアン脚本が
「主人公とその友人が
友人の主人公に対する劣等感が原因で
敵対関係に陥る」なんて
日本の少年漫画で散々使い回された安直な人間ドラマを
メインに持ってくるわけがありません。

ヘブライ人奴隷に蜂起に必要な戦術を仕込み
ラムセス2世の軍隊と戦わせるというモーゼの案では
時間がかかりすぎるとあっさり却下する
ガキの使いならぬ神の使い。

「お前のやり方は手ぬるいんじゃ、ボケ!
そんなちんたらやって
解放までに何十年かかると思とるんや、このどアホが!
ワシら400年も虐げられたんじゃ。
一気にいてこましたらんかい!
ああ、もうお前には頼まん。
これからはワシが直に手ぇくだすからお前は黙って見とけやあ。」
と、十の災いを発動します。

神が責っ付くものだから、愛する家族と幸せな生活を捨てて
ほんの数時間言葉を交わしただけのヘブライ人のため
追放されるまでは古馴染みだったエジプト人と
戦っているモーゼにしてみれば神の云い分はあんまりです。

しかも、神は神だけあって
下す厄災もそりゃあ半端ではありません。

「ケツの穴に指突っ込んで奥歯がたがた言わせたろか」
などと凄んでいる関西のやくざさえも裸足で逃げ出すほどの
報復をケロッとした顔でやってのけます。

「出エジプト記」に記載された十の災いは以下の通り

@水を血に変える

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この辺からこの映画は一気に「動物大パニックもの」となっていきます。

A蛙を放つ

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屋外屋内構わず蛙が這い回ります。うっかり踏みつぶしたら大惨事。

B蚋(ぶよ)を放つ
C虻を放つ

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空気の21%は酸素ではなく虻もしくは蚋になってしまいました。

D疫病を流行らせる
E腫れ物を生じさせる
F雹を降らせる

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これまでと比べると7番目の雹なんてまだましなほうに見えます。

G蝗を放つ

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蝗は植物性のものは何でも食すそうです。後には何も残りません。

H暗闇でエジプトを覆う
I長子を皆殺しする

それらの厄災を
リドリー・スコット監督が最新CG技術を駆使し
それはもう非道極まりなくえげつなく描いております。

モーゼとラムセス2世のせせこましい人間ドラマに
時間をかけるより
この十の災いと紅海の海割れの描写に予算を費やした方が
観客の心を鷲掴みに出来るのは判りますが、
この十の災いには観客はおろかモーゼまでもがドン引きです。

さらにこの映画の凄いところは
ただの奇跡としてではなく
@〜Gの災いについては劇中で科学的な説明までなされ
紅海の海割れに関しては「引き潮」と云う
もっともらしい理由を持ってくるのです。

いやあ、もう至れり尽くせりですね。

I番目の災いで愛する息子を失ったラムセス2世は
すっかり降参して
40万人のヘブライ人奴隷の出国を命じます。

その際、何の罪もない子供たちの命を奪った
ヘブライの神のことを罵りますが、
ヘブライ人の子供は無事だったことを知り落胆します。

と、云ってもヘブライ人の子供たちが無事だったのは
前もってモーゼが見分けがつくよう
家屋の扉と桟に羊の血を塗るよう指示したからです。
モーゼがラムセス2世に
その方法をわざと教えなかったので
王の跡継ぎや
かつてのモーゼの仲間であった
エジプト軍の兵士の子供たちは亡くなったわけです。

完全に神の遣い走りと化しています、モーゼ。

ラムセス2世にしてみればモーゼに
かつては父親からの愛を奪われ
今度は愛する息子の命を奪われたわけです。

ラムセス2世の方も
モーゼだけでなく彼の家族も抹殺するよう命じてはいましたが、
モーゼの妻や子の所在はおろか
存在すら知らないので全く勝負になりません。

非人道的な神を後ろ盾にもったモーゼには
はなっから敵いっこないのです。

一言も主人公モーゼの存在に触れていない副題を
最初目にした時
「何故『神と王』なのか?」
と首をかしげたのですのが、
実際に戦うのはモーゼとラムセス2世ではなく
神と王だったのです。

OH! MY GOD!!!

勿論エジプトにも信仰するラーの神がいますが、
ラムセス2世が迂闊に
「私が神だ!!」
なんて大声で宣言しちゃうものだから
「そんなら自分のケツは自分で拭いたらんかい!」
と、臍を曲げてか一切エジプトの民を助けてくれません。

400年も我慢してきたヘブライの神が
このタイミングで天災を下したのも
元はというと、このラムセス2世の傲慢発言に
カチンと来たからかもしれません。

タイタンの戦い」にしろ
インモータルズ−神々の戦い−」にしろ
神様は人間が神にとってかわろうとするのを
何より嫌うものなのです。

神様だって人間に「私が神だ!」なんて云われようものなら
つい理性の箍が外れてしまうのです。

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神に向かって云ってはならないNGワード第一位。

そんなヘブライ神の大人げなさは十の災いに留まりません。

兄弟同然に育ったモーゼとラムセス2世が
決着を付けようとするたびになにかと横槍を入れてきて
決して2人に剣を交えさせようとはしないのです

ラスト、津波が押し寄せる紅海に残り
ラムセス2世を迎え撃つモーゼと
逃げ惑う軍を無視しモーゼに向かって
一心にチャリオットを走らせるラムセス2世。

あわや両者激突!
というところで神が放った津波によって
2人は剣を交わすこともなくそのまま泣き別れ。

どこまで2人の邪魔をしよんねん、神!!
(そして、リドリー・スコット監督(*)

よもや神が割ったのは海ではなく
男2人の関係だったとは…。

この会えそうで会えない
戦えそうで戦えないもやもや感。

かように本作のモーゼは
神の意向や預言に振り回されっぱなしです。

モーゼが生みの親から引き離され
エジプト人に育てられるきっかけになったのも
彼が生まれた時奴隷の指導者となるという預言が流れたため。
そのエジプトから追放されたのも
ヒッタイトの戦いの前に女教皇が公表した預言のため。

口頭による預言や
自分をリーダーに指名しておきながら
あっさりそれを反故し、自ら制裁を下すような
神の声に人生を翻弄され続けたせいか
すっかり言葉というものに不信感を抱くこととなったモーゼは
「十戒」を口伝えや口約束ではなく石にしっかり刻みつけ書き残すと
その石版を死ぬまで肌身離さないような性格
となってしまったのでした。

いくら神の暴挙をなすすべなく見ているだけだったモーゼも
その経験から「契約書の必要性」に気づいたわけです。

あんな圧倒的な災いを見せられたら
このぐらいしか神に抵抗できませんよね、モーゼも。

映画の性質上もありリドリー・スコット監督が
スペクタルの方にばかり力を注いだために
すっかり人間ドラマの方がお留守になってしまいましたが、
おかげで妄想の余地がたっぷり残されているので
脳内補完して2度映画を楽しむことができる方には
もってこいの映画ではないかと思います。


(*)
リドリー・スコット監督は
兄弟同然の関係でありながら
神の力で引き裂かれ二度と会えなくなった
モーゼとラムセスの物語を
死によって二度と会うことのない
弟に捧げているのですね。
と思うと感慨深いです。


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