2014/5/4

姉さん、事件です。  MOVIE

本日のDVDは
「アベンジャーズ」公開に先立つこと数か月前から
マーク・ラファロ出演映画として目をつけていたのにも関わらず
「今度旧作50円レンタルになったら借りよう」
と、後回しにするうちに早2年も経ってしまった

「ユー・キャン・カウント・オン・ミー」

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です。

アメリカ公開は2000年。

その翌年にはアカデミー主演女優賞と脚本賞に
ノミネートされている作品ですが、
当時、日本で名前が知られているのは
脇役のマシュー・ブロデリックぐらいでしたので
軽く劇場未公開ビデオスルーされました。

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今はサラ・ジェシカ・パーカーの旦那と云った方が説明が早いかも…。

邦題も
2002年公開の「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」
と間違えそうな何の捻りもないタイトルですが、
おそらく2000年前後には
原題をカタカタ表記した邦題が流行っていたのでしょう。
(現在は「原題のカタカナ表記+日本語の副題」が流行。)

日本語に訳すと
「私を当てにしていいよ。」
映画の内容をこれ以上ないくらい的確に表した
タイトルとなっています。

確かにこれを日本語で
映画のタイトルに作り変えるのは難しいですね。

ジャンルが「ラブロマンス」であれば
無難に
「恋の」「愛する」「私(ワタシ)」
「理由(ワケ)」「ルール」「の○日間」
「幸せの(しあわせの)」
等の単語と映画のキーワードを組み合わせておけば
それっぽいタイトルに仕上がるんですけど、
流石にそれは…。

奇を衒いすぎると
たちまち映画ファンの槍玉に上がってしまうし。

原題のカタカナ表記という無難な邦題に
逃げてしまうのも納得です。

人の目を引き付ける邦題をつける
難しさを考えると
配給会社の担当者様には頭が下がります。

この映画なんて
主演はローラ・リニー、マーク・ラファロという
キャスティングの地味手堅さや
タイトルから受ける印象そのままに
飾りのない実直なホームドラマですから
「製作費○○億円!!」
「構想○十年!!」
「豪華スター共演!!」
「全米初登場○位!!」
と云った話題先行で客が集まる日本では
これと云った需要が見込めないわけです。

一応アカデミー賞2部門ノミネートですが、
ノミネートだけでは手に取ってもらえません。

それだったら「ラジー賞最優秀賞」の方が
まだましというもの。

このような良質(アカデミーが実証)の作品なのに
レンタルDVD店の「ドラマ ヤ行」の棚に
ひっそり陳列するしかないようなDVDを
どれだけ多くの人の元に届けるかが
配給会社の腕の見せ所です。

 

内容もすこぶる明快で
シングルマザーとして孤軍奮闘中の姉の元に
定職にもつかずふらふらしている独身の弟が
久しぶりに訪れ数日間一緒に過ごすだけの
ストーリーです。

これが邦画だと、
よほどの人気俳優でも起用しないことには
まずシネコンで上映されることはないでしょう。

そうですね、例えば
…姉、吉永小百合、弟、笑福亭鶴瓶
とか?

せいぜい、ミニシアター系で
2週間限定で上映され
口コミ次第で順次地方公開と云ったところでしょうか?


まずはストーリーを順を追って紹介いたします。

サミー・プレスコット(ローラ・リニー)と
テリー・プレスコット(マーク・ラファロ)
の姉弟は幼い頃に両親を交通事故で亡くします。

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邦画ではないので事故の顛末については一切科白での説明がありません。

それから一気に時が流れ、
シングルマザーとなったサミーの元に
長らく音信不通だったテリーから手紙が届きます。

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弟からの手紙に顔がほころんでしまうサミー。流石、アカデミー賞ものの演技です。

「数日中に逢いに来るから家に泊めて」
と云う手紙の内容に胸躍らすサミーと
その息子で8歳のルディ(ローリー・カルキン)。

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マコーレー、キーランと同じ顔。カルキン家の血筋の濃さに驚かされます。

ところが、実際に逢ってみると
テリーの帰郷の目的が借金の申し込みだったことを知り
大いに落胆するサミー。

出せない額ではないけれど、
それだけに情けないったらありゃしない。

里帰りの交通手段が一番料金のかからない
長距離バスと云うのも泣かせます。

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アメリカのお金のない若者の象徴、穴の開いたTシャツを着用し現れる弟。

とは云え追い返すこともできず
家に連れ帰るや
何はともあれまず弟を風呂場に追いやります。

いったい何日ぶりの風呂なの?

弟のそんな姿、お姉ちゃん見たくなかったよ!

それでなくとも、
勤め先の銀行の支店長が
銀行の刷新に異様なまでに力を入れるブライアン
(マシュー・ブロデリック)に代わったことで
ここのところイライラが募るばかり。

何しろブライアンの奴ときたら
前任の支店長なら大目に見てくれていた
息子の送り迎えや学校からの急な呼び出しにも
いちいち口を出してきやがるのです。

シングルマザーの苦労を判れつうの!

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2000年、世間の目はまだまだシングルマザーに対して厳しいのです。

仕事に対して堅実な人物であるのは判るけれども
勤務態度について口論になるたびに
「辞めてもらってもいいんだよ?」
と云う切り札を使ってくるのは正直勘弁してよ、もう。

サミーは信心深く
女手一つで息子を育て
銀行では貸付主任にまで上り詰め
家の中のことも完璧と云う女性ですが

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家に届く郵便物等もきちんと整理保管されています。

全てにおいて四角四面と云うわけではありません。

今ほど喫煙に厳しくない時代ですので
子供がいないところでは煙草だって吸います。

同僚たちが仕事で使うパソコンの
フォントカラーを好き勝手にカスタマイズして
使用しているのも見逃しています。

生まれてから一度も実父に逢ったことのないルディが
学校の宿題で父親についての作文を書いていること知るや、
男友達のボブ(ジョン・テニー)に相談。

ついでにベッドイン。

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女性限定で胸から下へは落ちないシーツを着用済み。

その後、気を良くしてプロポーズしてきたボブを
一旦キープしつつ
ブライアンが妊娠中の奥さんと上手くいってないことを知るや

二人だけでディナー。
食後にカーセックス。



犬猿の仲だったブライアンともこれで休戦。
想定外に尻が軽いぞ、サミー!!

その後もどっちつかずの二股状態が続きます。

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そしてシーツは頑なに胸から下へは落ちません。

ベッドシーンが全て「事後」なのは
あくまでこの映画は
姉と弟、そしてその姉の息子の
ファミリー映画だからでしょうか?

そのかわり、成人男性の上半身ヌードだけは
ふんだんに出てきます。

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マーク・ラファロもストーリーとは関係ない入浴シーンで脱いでます。

上半身と云っても胸部だけですので
「胸毛サンプル集」みたいになっちゃってますけども。

悩めるシングルマザーの欲求不満解消の合間合間に
サミーとテリーは仲違いと仲直りを繰り返し。

幼くして両親を一度に亡くし
身近に大人のモデルケースがいなかった2人にとって
大人への道は平たんなものではなかったようです。

テリーの場合
ギクシャクしてしまう相手は姉だけとは限りません。
付き合っている彼女はいるけれども
彼女とも愛だけではどうにもいかず
ギクシャクした関係に陥っています。

定職に就けないのも他人と上手く付き合えない
この性格が災いしているのかもしれません。

一見、品行方正に見える一社会人のサミーも
若い頃はルディの父親の見てくれにコロッと騙され
結婚、妊娠、離婚を経験。

その体験が後を引いているのか
職場でも日曜には毎週通っている教会でも
人との距離を上手く取っており
人間関係で拗れることはありませんが、
深い関係になるのも望んでいません。

ですから、ボブからのプロポーズも保留です。

そんな姉弟ですので
つい些細なことでぶつかってしまいます。

そこで活躍するのは
サミーの一人息子であり
テリーの甥であるルディです。

叔父さんとのほんの数日間での暮らしのなかで
大工仕事
ビリーヤード
釣り
そして、実父の本当の姿と
さまざまな体験をするルディ。

すっかり叔父さんに懐いてしまいます。

内田樹氏のブログ
「それは子どもには先行世代に『対立する態度を取る同性の成人』が最低二人は必要だということである。
これは男女ともに変わらないと私は思う。
成熟のロールモデルというのは単独者によっては担われることができない。
タイプの違う二人のロールモデルがいないと人間は成熟できない。
これは私の経験的確信である。
この二人の同性の成人は『違うこと』を言う。
この二つの命題のあいだで葛藤することが成熟の必須条件なのである。
多くの人は単一の無矛盾的な行動規範を与えれば子どもはすくすくと成長すると考えているけれど、これはまったく愚かな考えであって、これこそ子どもを成熟させないための最も効率的な方法なのである。
成熟というのは簡単に言えば『自分がその問題の解き方を習っていない問題を解く能力』を身に付けることである。
成人の条件というのは『どうふるまってよいかわからないときに、どうふるまうかを知っている』ということである。
別に私はひねくれた逆説を弄しているわけではない。
『私はどうふるまってよいかわからない状況に陥っている』という事況そのものを論件として思考の対象にし、それについて記述し、それについて分析し、それについて他の人々と意見の交換をし、それについて有益な情報を引き出すことができるのが成人だと申し上げているのである。
だって、人生というのは『そういうこと』の連続だからである。
けれどもシンプルでクリアカットで無矛盾的な行動規範だけを与えられて育てられた子どもは『そういうこと』に対処できない。
『どうふるまってよいかわからない』ときに、『子ども』はフリーズしてしまう。
フリーズするかしないかはハードでタフな状況においては『生死の分かれ目』となる。
だから、子どもたちは矛盾と謎と葛藤のうちで成長しなければならないのである。
父と伯叔父は『私』に対してまったく違う態度で接し、まったく違う評価を与え、まったく違う生き方をリコメンドする。
この矛盾を止揚するフレームワークはひとつしかない。
それは『この二人の成人のふるまいはいずれも『私を成熟させる』という目的においてはじめて無矛盾的である』という回答に出会うことである。
だが、この父と伯叔父を統合する包括的フレームワークは父も伯叔父もどちらも与えてくれない。
子どもはこれを自力で発見しなければならない。」
と云った文章があります。

随分と長い引用文となってしまいましたが、
この映画を見てまず思い出したのが
内田樹先生のこの文章でした。

「成程なぁ。」
と、腑に落ちました。

ルディには父親はいませんが、
これまで一人で育ててくれた母親以外の
大人が同居したことで
これまで見えていなかったことは見えてきます。

ルディを演じるローリー・カルキン君が
表情豊かだった兄に比べ

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驚愕する表情だけで映画史に名前を刻んだ偉大なる兄。

感情の起伏の乏しいため

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今一つこの子の心情が伝わってきませんが、
たった数日でルディが体験したことは
一生忘れることのできないものばかりです。

子供の内にどういう大人に逢うか
というのはつくづく大事なことですね。

憑き物が落ちたかのような
爽やかなラストシーンも含め
お子様とご一緒に見ても安心できる映画です。

ベッドシーンはありますが、
見た目にはただ男の人と女の人が
ベッドで並んで寝ているだけですから。
シーツも胸からずれませんしね。

一緒にご覧になるお母様が
慌ててテレビのリモコンを操作する必要もありませんので
ご安心ください。




 





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