「"Kansai Walker" " Yes. I can" walk 2」
(続き)
12月28日。
GO WEST
(PET SHOP BOYS ではない)
北緯34度14分、東経135度12分。
神戸。
僕が、小学生と中学生と高校生と大学生を過ごした西宮は、
神戸と大阪の中間に位置して、西にかの有名な芦屋市(村上春樹
は芦屋出身だ)、東に尼崎市に挟まれている。
大学以外はずっと地元の公立学校に通っていたので、神戸や大阪へ
行くのは、ちょっとしたイベントだった。といっても、電車で
15分くらいの距離だけれど(関西がものすごく短い距離でコンパクト
にまとまっているということを実感したのは、横浜に長く住んでの
ことだった)。
中学生の頃、何人かの友人で月に1度くらい、映画を神戸三宮へと
見に行くのが、その頃の贅沢なイベントだった。映画を見た後、
トワロードを南下して、マクドナルドでフィレオフィッシュ(その
頃のタルタルソースは、絶対、今よりおいしかった)を食べ、フレンチ
フライを食べながら、西へと向かい、元町の大丸の屋上でゲームを
して過ごした。勿論、コンピューターゲームなどない頃だ。
ピンボールなどが主体だった(そのうち、『1973年のピンボール』
のピンボールってボーリングかなんかですかという人が出てくると
思う。村上春樹が、ノーベル文学賞を受賞する頃のことだ)。
そんな友人のうちのひとり、栗林君は、2浪をした後、大阪大学へと
入学し、柔道の練習中に脳の血管が切れて、亡くなってしまった。
僕がまだ20代前半くらいのことだ。葬儀の日、久しぶりに中学時代の
友人(僕が通っていた大社中学の生徒は、県立北高校か、市立西宮
高校に分かれていた。僕は、市立西宮高校だった)と会った。
遺影の微笑む栗林君の姿を見て、ずっと泣きっぱなしだった。
今頃、天国でちゃんと年を重ねているのだろうか。
元町の立喰本舗へと寄る。明石や淡路島で獲れたあなごを
食べるためだ。立ち飲みは、小倉では「角うち・カクウチ」
と呼ぶが、関西では聞いたこともない。最近は、イタリアン
を出す立ち飲み屋さんも増えて、立ち飲み屋さんもきれいに
なったお店が多い。バックには、80年代のポップスが流れて
いた。U2が流れ、カルチャー・クラブが流れ、ストリート・
オブ・ファイヤーのテーマが流れていた。勿論、ダイアン・
レインは歌っていない。
本神戸肉 森谷商店 とある、お肉屋さんの前には、いつも
のとおり、行列ができていた。店頭でコロッケを売っている
のだ。いつも行列ができているが、それほどおいしいとは
思わない。きっと、そのお店の名前と口コミの誤解と行列
のせいだと思う。
そのお肉屋さんの近くにあるJAM JAMに入る。
地下1Fへと降りていく。ジャズ喫茶だ。
物凄く、広いスペースに、大きなスピーカーが置いてある。
神戸では、高架下にある茶房(JAVA)にもよく行っていた。
そちらは、ずっとこじんまりしている。
スピーカーなどに詳しいわけではないけれど、横浜に住んでいた
時から、よく桜木町の野毛の「ちぐさ」(もうなくなってしまった。
ジャズ喫茶ファンの間では、メッカのような場所だ)や「ダウン・
ビート」や「ドルフィー」や「ファースト」に行っていた。
「ちぐさ」で、キース・ジャレットの「ケルンコンサート」を聴く
のが好きだった。
西宮北口にも「コーナー・ポケット」というジャズ喫茶がある。
JBLパラゴンでレコードやCDを流している。その存在を知った
のは、小倉へと転勤になる数ヶ月前だった。数回、通って、
そこでも、キース・ジャレットの「ケルンコンサート」をかけて
もらった。音がクリアーだった。
JAM JAM で偶然、映画のチラシを見つけた。インディペンデント映画の
ジョン・カサベティス監督の娘さんの監督作品だった。
『ブロークン・イングリッシュ』、ゾエ・カサベティス。
お兄さんは、ニック・カサベティスで、『シーズ・ソー・ラブリー』
(ショーン・ペンがはまり役でした)の監督だ。
早速、JAM JAMのトイレでその映画を上映しているシネ・リーブル神戸
に電話をしてみたら、時間がちょうど合ったので、映画観へと向かった。
30代のニューヨークに住む独身女性の物語だった。『THE SEX AND THE CITY』
のanother woman's story in New York という感じで、おもしろかった。
フランシス・フォード・コッポラの娘のソフィア・コッポラとは友人らしい。
映画館を出た後、大丸5Fのメンズコーナーで、バーゲンで安くなった
ネクタイを買った(特に、品揃えがものすごく多いというわけでは、
ないけれど、そこに行けば、結構、気に入ったネクタイを見つける
ことができた)。そのデパートの屋上で、僕たちがピンボールマシーン
で遊んでいたのが30年以上も前だということが、ちょっと不思議だった。
GO BACK TO WEST
梅田の「たこ梅」でおでんを食べる。
店舗は違うけれど、開高健もよく寄っていた店らしい。福島の「花くじら」
の次くらいにおいしいおでんを出すお店だ。平日も祝日も、いつも混み合っている。
小倉でのおでんのお気に入りのお店は「お多幸」というところだ。
銀座がオリジナルらしい。そこで出てくる熱燗は、西宮の辰馬酒造のものだった(僕が通っていた、大社小学校にその酒造所の息子が通っていた。お父さんは、
西宮市長だったこともあると思う。1995年に阪神大震災が起こるずっと前の
ことで、日清食品のカップヌードルやソニーのウォークマンが出始めた
頃のことだった)。
日本でイタリア料理店を経営するあるシェフが、あるイタリア人のシェフを
おでん屋さんに連れて行ったらしい。
そこで、そのイタリア人のシェフは言ったそうだ。
「こんなにうまいものがあるのに、なぜ、わざわざイタリア料理をつくる
んだ」
その日本人のシェフは、「そうだね」と言いながら、ただ笑うしかなかった
らしい。
ということで、本年もブログを読んでいただき、ありがとうございます。
暖かくして、よいお年をお迎えください。来年もよろしくお願いします。
ということで、誰でもできるクリック募金
http://www.dff.jp/
追伸)本年最後に読んだ本。『起こることはすべて正しい』勝間 和代
『情熱大陸』に出演する前は、ただのがちがちのプラグマティスト
かと思ったら、ちゃんと、よりよい社会をつるためにという目標を
持って、Chabo (Chabo に登録されている本が売れると、その本の
印税の20%が世界中の難民や被災民の教育支援や自立支援に使われる
というもの)などを運営したりもして、きっと、来年もガンガンと
活躍する人です。

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