「"Kansai Walker" " Yes. I can" walk 1」
06年9月10日にジムでアキレス腱を切ってほぼ3ヶ月。
1ヶ月半くらいのギブス生活とその後の装具生活を脱して
約1週間。出張や研修などをなんとかこなしていった。
ごく普通に歩けることの素晴らしさを実感している。
パラオリンピックの日本の短距離のある女性スプリンターの選手の紹介があった。
高校から運動を続けながら(アスリートとしては、国体に出るなど
かなり活躍していた女性だったと思う)、建設会社に就職して、工事現
場で事故に遭い、脚を切断せざるを得なくなった女性についての紹介だった。
アキレス腱の断裂は、基本的には数ヶ月はかかるが、手術をするにし
ても、保存療法(自然治癒、最近はこちらの方が主流らしい)で治すにしても、
ちゃんとゴール(治癒する期間)が見えるものだ。それでも、仕事のこと
やプライベートのことなど様々なことを考え、暗澹たる気持ちになったもの
だ。ましてや、残りの生涯をずっとその状態で過ごさなければならない人
がたくさんいることを考えると、その人たちの気持ちが部分的にせよ、
わかるようになった。
だから、ごく普通に歩けることは、ありがたいことなのだ。
会社関係の飲み会があり、家へと帰る前に、天王寺、難波へと行った。
その日は遅くなったので、難波の御堂筋ホテルというところ宿泊した。
天然温泉があるホテルだった。難波のこんな都心でも、どこまでも掘って
いけば、温泉にあたるのだろう。「ぼてぢゅう難波温泉」というらしく、
各部屋にもその温泉が流れるようになっているようだった。
単純泉(箱根や伊豆の温泉も単純温泉が多かった。盛岡や新潟や秋田
に行くと、硫黄分が含まれる温泉が増えるような気がする)だった。
大浴場は広く、なんとなくお湯がやわらかい感じがした。
難波で勤務していた時によく行っていたRock Bar Merry Makerは休み
だった。
ホテルのテレビで『中田英寿 ドイツへの道』という番組流れていた。
Sunny Side Up(中田英寿のサッカー以外の活動をマネージメントする会社だ)
制作のものだった。2007年のものだ。
02年6月18日の宮城スタジアムでの日本代表対トルコ代表の試合から始まり
ジーコ監督になって初めての試合の02年10月16日の国立競技場でのジャマイカ
戦、そして時間が流れ、06年5月18日の福島県Jビレッジでの合宿初日、
06年5月27日のボンでの合宿初日、06年5月30日のドイツレバークセン
でのドイツとの試合、06年6月12日、カイザースラウテルンでのオーストラリア戦
、06年6月18日のニュルンベルクでのクロアチア戦、06年6月22日のドルムント
でのブラジル戦へと続く。途中に、中田英寿自身の過去のインタビューを交え
ながら、構成されていた。中田選手が、日本代表での自分のポジショニング
と日本代表について語っていた。ブラジル戦が終了し、3敗で、予選敗退が
決定し、ピッチに寝転ぶ中田選手に、ブラジル代表だったアドリアーノ
(中田選手とは、パルマでチームメイトだったのだ)が声をかけるシーン
が印象的だった。ブラジルはポルトガル語なので、アドリアーノと中田
選手は、イタリア語で声を掛けたのだろう。イタリア語とスペイン語と
ポルトガル語は親戚みたいなものなので、それぞれの言うことはわかる
らしい。ジーコ監督と中田選手もイタリア語で話をしていたらしい
(ジーコ監督もセリエA でプレーをしていたことがある)。
GO NORTH
梅田の地下街でインディアンカレーを食べた。
インディアンカレーは、口当たりは甘いが、あとから辛くなる
カレーだ。大阪に数店舗と東京に1店舗だけある。
関西のカレー好きの間では、結構有名なお店だ。
個人的には、横浜のアルペンジローに次いで、2番目くらいの
カレーだ。但し、1回だけでは、なかなか味の本質を感覚的に
捕らえることができないので、数回通う必要があると思う。
同じフロアーの成城石井(関東資本です。成城石井を関西の
色々なところで見かけるようになったのは驚きです。阪急電車
の夙川駅の構内で店舗展開をしていたりします)のワインの試飲
(グラス400円とか500円とか800円で好きなワインを飲ませてくれ
るカウンター)コーナーへと行って、カレーの辛さを白ワインで
洗い流そうと思ったが、まだ開いてなかった。午後3時からという
ことだった。そうか、まだ昼日中だったのだ。
GO WEST
阪急電車に乗って西宮北口へと向かう。『阪急電車』という本は、
阪急宝塚線を舞台にした小説だ。なかなか、おもしろかった。
スターバックスの BOOK FOR TWO(古本を回収して、その古本を
販売した収益で、目の不自由な人たちに点字の本をつくるという
キャンペーン)というキャンペーンで、小倉のスターバックスに
持参した23冊の本の中に、その『阪急電車』も入っていた。
電車の中で、産経新聞を読んだ。イスラエルが、パレスチナ自治
区ガザ地区への爆撃が1面に載っていた。原理主組織ハマスを
狙っての爆撃ということだ。300人近くが死亡したらしい。
OBAMA PRESIDENT-ELECT は、どう対応をするのだろう。
中東でのイスラエルとアメリカとフランスの関係は複雑だ。
フランスもイラクに核開発の援助をしながら、イスラエルにも
援助をしていた。1979年のイラン革命で、パーレビ国王が追放
され、さらに中東での各国間での環境が変わった。
阪急電車の中で、他にも新聞を読んでいた男の人はたくさん
いたが、ほとんどが、競馬新聞だった。有馬記念だ。
競馬はやったことがないけれど、はまり込んだら、きっと
抜け出れなくなるかもしれない。中には、馬が好きだという
人も多い。大学生時の友人は、馬が走る姿を見にいくと言っていた。
馬券は買わないらしい。
まあ、JRA は多額の利益を出いそうだし、あれだけメジャーな
タレントを使ってテレビでコマーシャルをしているのだから、それ
だけ社会的にも認知されているということなのだろう。
小倉競馬場、行ってみようかな(今、住んでいるところからモノレール
で2駅のところに競馬場がある。一駅先には競輪場がある。その競輪場
で11月にダライ・ラマが講演に来ていた)と思った。
有馬記念は、千葉の中山競馬場で行われる(大阪の有馬ではありません、
念のために)。
サイバー・エージェントの藤田社長が、1500万円の賞金を獲得した
らしい。有馬記念で。
西宮北口で降りる。
阪急西宮ガーデンは、268店舗が入る西日本最大のショッピング
モールらしい。西宮球場の跡地に出来たものだ。
西宮球場には、2度くらいしか行ったことがない。小学校2年生から
大学4年生(関西では、4回生といいますね)までの間でのことだ。
西宮球場は、阪急ブレーブスの本拠地だった。
2回のうち、1回は、高校生の時だった。アメリカから大リーグの
オールスターがやって来た時のことだった。スティーブ・ガービー
やニークロやピート・ローズ(超人ハルクを思い出す)やデーブ・
パーカーなどがいた。
そのメジャーリーガーの相手が、全日本選抜だった。
ロッテの村田投手が、フォークボールで、三振をいくつもとった
のを覚えている。
平日だったの、友人3人と6時間目の化学の時間を抜け出して、
西宮球場に駆けつけた(ごめんなさい、化学の伊藤先生)。
阪急デパートに、イズミヤが入り、東京でも馴染みのブランド
が軒を並べる。フードコートもあり、佐世保バーガーなんかも
入っている。
TOHO シネマも入っている。少し小型の横浜のランドマークプラザ
のようだった。果たして、収益を上げ続けることが出来るのだろうか。
といっても、テナントビジネスは、家賃収入が固定で入ってくるので、
最終的な収益は、それぞれの店子の問題になるのだけれど。
西武セゾングループのパルコがあれだけ大きくなったのも、
「箱」を提供したからだ。魅力的なインショップがたくさん入れば、
集客力はアップする。
西宮球場は、競輪場も兼ねていた。
阪急西宮ガーデンズの場所に、西宮球場があったとは、全く
想像もできなかった。

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