2006/4/30
その白塗りのおばあさんが、戦後の日本で将校相手の娼婦だということを
知ったのは、確か、山崎 洋子さんの『天使はブルースを唄う』という本の中のでことだったと思う。横須賀が仕事のベースで、そこからいつの間にか横浜へと移っていたようだ。横須賀をベースにしていた頃は、メリーさんではなく、皇后陛下と呼ばれていたらしい。(ドキュメンタリー映画『ヨコハマメリー』で語られることだ)
僕が目にしたのは、1990年くらいからのことでメリーさんが横浜の街から消える1995年までのメリーさんだ。
顔を白塗りにし、白いドレスに身を包んでいた。
『ヨコハマメリー』横浜ニューテアトルで上映されている。5月12日までの上映だ。今日もきっと賑わっていることだろう。
この映画は、中村 高寛という1975年生まれの監督のデビュー作だ。
映画は、メリーさんだけではなく、その当時からの横浜の空気、風俗の記憶を記録していくという側面も持っていた。
「根岸屋」は、24時間営業の飲み屋さんで、昭和20年に開店、昭和55年8月に閉店になっている。そこは、パンフレットによると、「米兵やパンパン、やくざ、愚連隊、警察が出入りし、24時間のオールナイト営業を続けてきたもので、戦後横浜の名物のひとつだった。黒澤 明監督の『天国と地獄』の舞台にもなった」という場所だったらしい。
メリーさんが歩いていることもあった松坂屋の前は、最近に近いところでは、ゆずのストリートライブの場所だった。
シャンソン歌手の永登 元次郎さんは、癌で亡くなったが、この映画の中心的な役割を果たしていく。メリーさんに経済的援助をしていたようだ。
若い頃には、川崎堀の内で男娼をしていたこともあるらしい。そのことが、メリーさんに傾倒していくひとつの理由だったようだ。2人は、よく当時の森永ラブ(その後、バーガーキング、現在は居酒屋さん)で話をしていたらしい。
1995年、メリーさんは横浜から消え、帰郷した。
ラストのシーンでは、元次郎さんが、老人ホームで、白塗りではない「メリーさん」を観客の一人として、マイ・ウェイを唄うシーンがある。
永登 元次郎さんは、2004年に亡くなり、メリーさんも、2005年1月17日に85歳で亡くなった。
(続く)

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