1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2014/3/29
仕事で徳之島へと行った。
僕の仕事は、子供向けの学習のフランチャイズの教室のバックアップ業務で、
教室をつくるためのプロモーション活動をしたり、講師になった人への
研修をしたり、電話を通じてのカウンセリングをしたり、外国人講師の生徒さん
たちの英語でのインタビューテストのアレンジメントや監督官をしたり、
教材の手配をしたり、講師募集、生徒募集の広告の手配をしたり、学校前で
チラシを配ったり、クレーム処理をしたり、まあ、なんでも屋さんですね。
徳之島に7年ぶりくらいに教室が出来、その教室を訪問し、研修をして、4月
からの教室運営のプランを一緒に考えたりした。
徳之島へとは日帰りで行く。朝、5時に起きて、鹿児島中央から空港への直通バス、、
6時10分のバスに乗る。バスは、6時10分が始発で、15分、20分と5分
刻みで出発する。朝、東京や大阪や奄美やその他の地区に出発するための
飛行機に間に合わせるためだろう。
辺りはまだ、暗く、桜島の方向の空の上に、右へと開いた薄い、薄い三日月が
浮かんでいた。
ローソンで、毎日新聞と日経新聞を買い、バスの中で読む。空港に近づくにつれ
て、進行方向の右側が、少し明るくなってきた。
バスの車内は、満員だが、とても静かだ。ほとんどの人が、むしりとられた睡眠
を取り返そうとしているからだ。
7時40分発の日本エアーコミュートシステムのプロペラ機で、徳之島へと向かった。
進行方向に向かって、左側の窓側だったので、薄らと春霞がかかった桜島や、
半島の先にいる開聞岳を見ることができた。凛とした感じで、きれいな円を
描いてていた。そして、屋久島がすぐに見えてきた。
徳之島へと行くのは、4回目くらいだったが、初めて天気がよかった。
それまでは、曇りや小雨の天気だった。徳之島は、奄美大島を超えて、沖永良部島
のひとつ手前に位置している。沖永良部の先の与論島、そこまでが、鹿児島県だ。
与論島が、鹿児島県だということを知ったのは、鹿児島へと来てからことだった。
知覧の記念館に特攻隊たちの写真や手紙があって、その解説文の中だったと
思う、戦闘機に乗った若者たちは、開聞岳を後ろに見ながら、それで自分が
本当に日本から離れてしまったということを実感するとあった。
まさに、同様の飛行ルートをなぞっている感じだった。
研修の後に、クジラ岬へと連れてもらった。
クジラを見ることができる場所らしい。そこには、お洒落なカフェがあって、
徳之島コーヒーという、自分たちでつくったコーヒー豆からつくったコーヒー
を出していた。店内には、キッズコーナーもあって、子どもたちが遊べるスペース
もあった。さすが、出生率が日本1の場所だ。子どもを大事にする風土があるのだ
ろう。
クジラを見ることはできなかったが、なかなかいいコーヒータイムを楽しむことが
出来た。広い視界の先には、青い海が広がっていた。
ニライカナイ、それが、そのカフェの名前だった。
沖縄や奄美地方で、理想郷という意味らしい。他界のことだ。
鹿児島中央への飛行機は、徳之島、17時25分発だった。

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