1960年前半(微妙)生まれの男の、映画について、音楽について、旅について、本について、そして人生とやらについてのブルース。自作の詩のおまけ付き。書いているのは、「おさむ」というやつです。
since 6.16.2005
To travel is to live. -H.C.Andersen
2012/8/15
終戦記念日、朝には神戸にいた。実家の加古川に帰っていたので、鹿児島へと
向かう途中だった。僕は、いつも飛行機は使わないで、新幹線で帰る。
朝には、小倉のSPAIN BAR O の聖二君が、神戸にやって来るというので、案内
をすることにした。神戸のバルを巡るらしく、駅の北側と南京街の辺りを回った。
生田神社でお参りもした。
三宮の街を歩くのも久しぶりだった。たくさんの新しいお店が出来ていた。
元町で、お好み焼きを食べた後、近くのバルへと入った。僕がよく行っていた
タリスマンは、別の店になっていた。そのバルは、タリスマンの近くので、
カールスバーグをドラフトで出していた。悪くない。
その後、聖二君は、甲子園球場へと行った。関西へ来たのは、甲子園球場へと
行くのが目的のひとつだった。丁度、飯塚の試合が、今日あるところだった。
朝は曇りだった神戸も昼には、快晴になっていた。
神戸から、鹿児島中央までは、ずっと快晴だった。
関西は、前日の明け方に大雨が降り、川の氾濫などにより、大きな被害が出ていた。
高校野球の試合は、雨のため中止になっていた。
オリンピックは終わってしまったが、その余韻はまだ残っている。
女子の競歩20KMを見ていたことがある。
10KMのラップタイムが、42分33秒だったりした。
北九州市で、参加した10KMのランニングのタイムが、60分弱の55分とかだった。
競歩のプロのスピードがわかった。テレビで見ているより、ずっと早いのだ。
春に、北九州市の南区の平尾台のクロスカントリーに出た。
同じ安川電機が北九州市の会社ということで、中山健太郎さんが、
雨の中、挨拶に来ていた。ロンドン五輪で、日本人1位になった選手が、
中山健太郎だ。2時間11分16秒で、6位になった。
1982年12月17日生まれ、山口県豊浦郡菊川町出身。日本代表の3番目に選出され、
目立たない存在だった。脚光を浴びた藤原新選手とは、拓殖大学で同部屋に
なったこともあるらしい。
こつこつと頑張った人が(あの場にいる人は全員そうだろうが)少しは報われる
のは嬉しい。
こつこつとしたドラマは、派手でないながらも、美しい。
昨日の夜、NHKでドキュメンタリーが流れていた。
『戦場の軍法会議』というドキュメンタリーだった。戦場で行われた軍法会議
の正当性について考察するものだ。その当時の関係者は、90歳代だったり、
100歳を超えたりしている。67年前のこと、当時20代や30代の人たちだ。
ドキュメンタリーは、時間をかけてつくられていた。さすが、NHKだった。
何気なく、生きていられることに、やはり感謝しなければいけません。

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