2006/1/15
土曜日の夜から日曜日に日付が変わる頃、まだ「史」さんのところにいた。鯛の刺身にするためにおろしたやつを焼いてもらった。脂がのっていておいしかった。いつもは、エビスの瓶をたのむが、瓶がなかったので、生ビールにした。生ビールは、アサヒだった。(アサヒビールの売り上げは以前、首位だが、キリンが猛烈に追い上げているらしい)
キネマでは、カールスバーグ(デンマークです)、girasoleでは、バスペールエール(イギリスですね)と決めている。
史さんは、お店を始めて7年がたったといっていた。結構、初期から通っていた。野毛で生まれ育ち、昔は、鎌倉街道沿いの公立高校に通い、福富町を通りながら家へと戻っていたらしい。野毛は、戦後闇市のメッカで結構ハードな場所だったらしい。柳 美里も、ゴールドなんとかという小説で京急の高架下を舞台にして小説を書いていた。
野毛は、人通りはそれほどでもないが、飲み屋さん、食べ物屋さんは山ほどある。若者向けのバーも結構、オープンしている。勿論、ちぐさを始め、ダウン・ビートなどのジャズ喫茶もあり、ドルフィーやル・タン・ぺルデュ(デカルトからとっている?)などのジャズのライブを行うバーもある。キャバクラやソープランドの風俗店もあったりするし、カラオケ屋やインターネットカフェもある。勿論、おいしい中華料理の店もある。
これだけ店が居並び、しかも、人通りが少ないところで、ビジネスを成立させるためには、常連客をいかに引き付けておくかということが課題になる。史さんのそれは、こだわりの料理とその飄々とした人柄のせいだ。
地元ということもあり、結構、昔の同級生がやって来ると言っていた。
もう、3人のお子さんのうち、長女は看護関係に就職して、次女は大学生で、3男が中学生ということだった。あの店に行き始めた時には、当然、もっと若かった。史さんの見かけは変わらない。年を重ねても見かけの変わらない人は存在する。
日付が変わるあたりの時間の空は、雲に覆われていた。雲の隙間から丁度、天井くらいの位置に丸い月が浮かんでいるのが見えた。
そこからキネマに向かっていった。
(続く)

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