2010/10/3
夕方になると、最近はずっと早く暮れるようになってきた。
今日の小倉は曇りで、それでも雲の切れ目からは、太陽がほんの
少し顔を出していた。午後5時55分くらいから6時5分くらまでの間、
西の空は、オレンジに色づいていた。ほんの少し、太陽が明るく
輝いていた。
太陽は、すぐに沈んでしまった。もう、夏の夕暮れではないのだ。
秋の夕暮れの空気は、夏のそれと違って、やはり物悲しい。
昨日の夜、カクウチスタイルありありで、オーストラリア人の男性と
喋った。日本にやって来て3年で、ずっと東京の三軒茶屋に住んでいた
らしい。オーストラリアは、シドニーの近くからやって来たらしい。
オーストラリアでは、地方の公務員でデータベースを取り扱う仕事を
していたらしい。仕事が退屈だったから、日本へとやって来たらしい。
つい、この間、破産手続きをして、Gコミュニケーションに買収された
ジオスで務めているということだった。東京のいくつもの学校が廃校に
なった。そのため、九州の福岡に転勤になったようだ。京都町でつ勤務
しているらしい。
オーストラリアの音楽の話、カーラ・ミノーグ、イン・エクセス、
メン・アト・ワークなど。
メン・アト・ワークを知っていることをびっくりしていた。
メン・アト・ワーク、コリン・ヘイがボーカルのバンドだ。
日本人が英語を喋るようになるためには、そのオーストラリアの
ブライアンは、もっと小さい頃から英語を勉強するべきだと言っていた。
なるほど、小さい頃からだよね。
ブライアンは、最終電車を逃し、ありありで でを出て、小倉の街へと
消えていった。
父親が亡くなったのは、2002年の10月13日の午前2時5分のことだった。
秋になると、その頃のことを思い出す。

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