今回のエントリーはあえて読みやすさを犠牲にしたままアップする。書き直したり、文面を整えるのは面倒くさい(そんなヒマがない)ので。ま、あくまでも「自分用のメモ」として記録しておくことにする。
イージス艦の事故の時とチベットの事件に対するネトウヨの対応の違いといったらないね。苦笑してしまうな。俄然勢いづいている感じで、反戦平和論者に対して中国を非難しないのかと注文までつける始末だ。
しかし、私としては彼ら(チベット問題を書けと他人に強要するようなヤツ)に対しては
「そんなにチベット問題が重大だったら、ブログなんか書いてないで、直接チベットの人を助けに行けよ」と言いたくなるね。
「何を語るか」ではなく、「何をするか」によって、その人が何者であるかが決まるのだから。
むしろ、反戦平和論者に注文をつける人間の動機は、
チベットの人々を助けることではなく、「中国」という抽象観念に対して非難の言葉を投げかけること(それと、意見の違う人に対して攻撃したいということ)でしかないのだろう。私にはそう見えるし、私が見た限りでは、そうだと言える根拠も多い。
ついでに言うと、チベット問題の重要性は、少なくとも日本国籍保有者にとっては私は他の大事件と比較すると、相対的にはそれほど大きくないと思う。
イラクでは開戦から3年で約151,000人のイラク人が犠牲になったそうだ(WHO)。それと比べると規模が小さすぎる。その意味でも「イラク > チベット」である。また、イラク戦争には日本政府が兵站を担う形で加担してしまった。これは主権者としての責任が伴う。チベットはそうではない。この点でも「イラク > チベット」。
イージス艦の衝突事件や米兵による婦女暴行に関する事件については、前者は自分が主権者でありその下僕であるところの自衛官が人を殺したのだから、主権者としての私に関係が深い。だから、犠牲者の数が少なくても、チベット問題よりクローズアップされるべき理由がある。殺したイージス艦にも私の税金が使われているという形でも、殺人に寄与している。
米兵による婦女暴行事件はマスコミ的にはすっかり忘れられているが、日本のエリア内に住んでいる多くの人に関わる事柄であり、日本国籍保有者は、犯罪をよく起こす米軍との関係をどうすべきかを決める責任の一端を担っているので、知る必要もあり、どうあるべきか考える義務もある。チベットはそうではない。
以上のことから、スーダンとかコソボとかそういったところの問題と同列くらいには意味がある。(細かいことを言えば同列でもないだろうが。)地理的に近いことは、影響が及びやすい傾向があるので、その点で関心がよりもたれるべきだとはいえる。
もし、外交問題として(日本政府を中国政府より優位にするという目的から)捉えるならば、今回の事件は、中国政府を非難する際の材料になることは確かだが、
今、日本政府が中国政府を非難して何か得るものがあるのかと言えば、特にない。(中国の国際社会における地位を低下させることはできるだろうが、日本は中国との関係が最も悪い国であり続けなければならず、そのことは中国のプレゼンスが高まれば高まるほどその関係の悪さは日本政府にとって不利に作用する。)逆に、
コイズミのせいで関係が悪化しすぎたから、叩きたくても叩けない。(関係を破壊するのは一瞬でできるが、改善するのは瞬時にはできないから関係は良い状態の方が「低エントロピー」である。)日本政府の外交ネットワーク上の位置が中国政府より優位にあるとは思えないからだ。むしろ、近年のヘボ外交――「
向米一辺倒」とでも名づけておくか?昔の中国の「向ソ一辺倒」に倣って。もう一つは、「
靖国派的な自慰的ナショナリズム」を外に向けて発信した――のせいで、逆にアメリカ以外との関係は悪化傾向にあり、その上、ここ1〜2年でアメリカの方針も変わり日本より中国を重視し始めているから、日本の外交上の立場は極めて弱くなっている。
(日本政府はノードとしての次数は高いか低いか?日本政府とリンクされたノード(外国政府)から日本政府というノードを見た場合、重み付けが高いか低いか?重み付けが高いノードはどれくらいあるか?中国政府、アメリカ政府と日本政府を並べてみて、リンクの重複の仕方はどうなっているか?例えば、中国もアメリカもアクセスできない国と独占的に深い関係を結んでいるか?そういうものがあれば優位に立つ条件になりうる。よもや中国やアメリカは世界の外交ネットワークの枢要な位置を占めるハブになっていたりなんてことはあるまいな?特に中国政府はどうか?中国がハブとして機能しているなら、それに対抗するのはかなり大変、というか限りなく困難だ。などなど、複雑ネットワークの理論で外交を考えると、いろいろなことが見えてくるのだが、分からん人にはスマソって感じだ。)
中国政府に対して日本政府の方がネットワーク上の位置が絶対的に有利ならば、非難するのは適当である。それは強力な圧力になるだろう。しかし、今はそうした布置にはなっていない。
批判や非難は時宜を得たときにやらないと意味がない。そうしないヤツは、馬鹿と呼ばれるべきである。
政治は道徳ではない。(ちなみに、日本政府が採用すべき方向性は、中国政府に対して直接の非難は少なめにしつつ、軽くジャブをかます。人権や人道の問題で非難するのは、他の国を使って間接的に行なうという方向であろう。)
私は、中国政府を擁護するわけでもなければ、チベット問題を軽視するわけでもない。あくまでも大問題の中で特別飛びぬけて重要とは言えない、むしろ、そうしたものの中では、取り扱うべき優先順位は低いというだけだ。
余談だが、私の見るところでは、
チベットは当面のところは独立するのは無理だと思っている。今はチベットの経済社会的環境が極めて急速に変化している時期であり、いわばその変化のひずみが爆発したのではないかと見る。そして、直接反抗した勢力は鎮圧され、その他の不満をもつ人々も結局は懐柔されていく傾向を示すだろう。
中国共産党が壊滅的打撃を受けるのはもっと先のことで、恐らく、20年から
30年くらい先だろうと見る。その根拠は、ある程度の経済的な生活水準を達成した上で低成長の局面に入るために政治的に不安定化すると思われるからである。経済が停滞局面に入るのは、30年後までには人口構成が現在の日本のようになるからである。
その際、政治の民主化は今も少しずつ実験はされているが、台湾や韓国ほどにはうまくいかないだろう。この点では人口が多いことは不利に働くと思われるからだ。デモクラシーを体制の中に取り込めていれば、低成長でも体制内の権力転換が追及されるが、デモクラシーを体制に組み込めなければ、逆に体制そのものを否定する勢力が台頭する余地を与えることになる。(なお、デモクラシーの制度でなくとも、人々の不満に敏感で強権的でない手法でそれに対処できる体制ならよい。)
チベットが独立するとしたら、その頃ではないか。その際に問題になるのは、単に中国だけでなくインドなどの近隣諸国の中でチベットが占める
地政学的な位置づけであって、チベット自治区の社会情勢は、多くある変数のうちの一つでしかないと考えるべきである。
さらに言えば、中国政府にとっては、新疆の方が危険を孕んでいるように私には思われる。なぜならば、一度暴発したら、中心性を欠くネットワークと戦わなければならないからである。

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