例年年明けに書いているが、今年は今頃になってから書く。
★竹中亨 『ヴィルヘルム2世 ドイツ帝国と命運を共にした「国民皇帝」』
ヴィルヘルム2世という個人を通して、当時のドイツの社会がどのような状況だったかを見ることができる。
@ヴィルヘルムは国民の前で演説したり、写真などで国民の前に自らの存在を示すのを好んだ。これは連邦国家の側面と国家連合の側面を持っていたドイツが、国家連合から統一的な国民国家の方向へと進んでいく流れに乗じたものであると同時にそれを加速するものでもあった。統一当初は「ドイツ人」というアイデンティティはほとんどなく、むしろ各邦毎の「プロイセン人」「バイエルン人」といったものが主なアイデンティティのあり方だったが、ヴィルヘルムの治世にドイツ人アイデンティティが浸透していった。
A本書からの収穫の一つは当時のドイツをめぐる地政学的な配置がはっきりしてきたこと。統一前のドイツの地は政治的真空地帯であり、ロシア、イギリス、フランスなどにとって、ここが緩衝地帯となっていた。それに対し、ドイツ帝国はヨーロッパの国際関係の能動的な担い手となった。これによって緩衝地帯がなくなったため、東西どちらの側からもドイツは緊張関係におかれることになった。ドイツは西のイギリス、フランスと東のロシアに挟まれており、両側を敵に回すことは避けるべきだったが、結局、両者を敵に回してしまい世界大戦になってしまった。この構図を理解しておくことは重要。
B特に戦時中について、大衆外交の危うさが既に相当あったことが分かったことも収穫だった。社会がこのような状態だったから後年、ナチスが政権を奪ってしまう素地はすでに第一次大戦の頃には少なくともあったということだろう。
★野崎敏郎 『大学人ヴェーバーの軌跡――闘う社会科学者――』
@大学と関わる範囲でのウェーバー像のための基礎研究。ウェーバーがどのように考えていたのかということだけでなく、その背後にある当時のドイツの大学を巡る様々なアクターの行為の網の目の中に位置づける点が新しい(従来の研究に欠けていた点)。
A当時のドイツの大学問題を考える上で非常に重要なのは、大学の教師が官吏でもあり、各領邦国家の政府(文部行政)が人事権を持っていた(さらにプロイセン政府が各領邦国家に対して決定権はないが強い影響力を持っていた)という事実であるように思われる。この点は現在の日本の感覚からすると、学問や思想良心の自由という観点からも非常に問題がある制度であり、ウェーバーが大学に関わる以前から成立していた問題のある制度がウェーバー以後のナチス時代を用意する背景にもなったのではないかと思える。本書ではこのように言われているわけではないが、そのように読めた。
Bウェーバーのハイデルベルク招聘は当時のマンチェスター派と旧歴史学派に対抗する新歴史学派という図式として重要だった。また、当時の学問の専門分化の流れの中で自然科学系の学科が哲学部から抜けていく流れの中で、哲学部の再定義が必要となっていたという学問的な事情に合わせて、学部の再編成が進みつつあった時代であった。ドイツでは特に西南ドイツで他の地域に先んじており、ウェーバーはフライブルクでこれに関わる学部の再編に実績があり、ハイデルベルクでもそれ(国家学・官房学部門の改革・拡充)が期待されていた(実際に役割を果たした)。こうした中、プロイセン政府(アルトホフ)、ハイデルベルク大学哲学部、バーデン政府とのせめぎ合いの中でどこからも拒否されない妥協点としてウェーバーが選任された面がある(p96)。
Cウェーバーの精神疾患についてスペイン旅行の際にマラリアに感染した事実があることから、その影響が考えられる点を指摘しているのは興味深い。
D本書は、ウェーバーがハイデルベルク大学とどのようにかかわっていたのかについて、従来は正しく理解されていなかったとする。1903年にハイデルベルク大学を退職したかのように考えられてきたが、そのようなことはなく、正教授から正嘱託教授へと身分を変えて在籍し、大学に関わり続けていた。講義ができるようになった1917年には一時的にヴィーン大学で講義を行ったがハイデルベルク大学での地位は維持し続けており、最終的にミュンヘン大学に1919年4月に移籍したことにより、1919年6月に退職した(手続きの遅れにより重複期間あり)。
E本書の指摘で重要なことの一つに、ウェーバーにとっての大学での職務と政治との関わりがある。ウェーバーにとってフライブルク大学正教授は政治との関わりと両立できるものだった。ハイデルベルク大学正教授はそれが不可能であったため、政治からの撤退という意味がハイデルベルクにはあった。しかし、正嘱託教授であればそれは可能だった。ミュンヘン大学正教授への移籍には政治からの撤退という意味があった。
★井出英策 『幸福の増税論――財政は誰のために』
「勤労」という価値観が現在の日本の社会にとって鍵となっている。現在の日本は勤労国家であると捉え、それに対して、勤労国家を再生しようとするアプローチと格差是正アプローチがあるとする。前者のように
成長に依存するモデルは限界であり維持できないとする(p47)。(この点はピケティの議論などとも通じる認識であり妥当と思う。)
しかし、日本は先進国の中でも格差に関心が薄い国であり(p49)、自由・愛国心・人権といった価値観を分かち合えない社会であり(p52)、他人や政府に対する信頼が低い社会である(p50-51)という事実がある。このような中で弱者が弱者を叩くと言ったことが横行している(p59)。このような弱者への配慮が成り立たない社会にあって、「弱者の自由」「弱者への優しさ」を叫ぶリベラルに未来はあるか?根本的な問い(p66)を提出し、社会的弱者を見殺しにしないかたちでの新たな連帯をリベラルは構想できるかを問う(p68)。
第三章ではこれに対する著者の提案が始まる。人が共に生きる理由は、共通の目的である必要(ニーズ)を実現するためであるとする。この共通のニーズに基づいて社会的国家的な連帯の仕組みである財政を機能させる。貨幣経済の浸透により「くらしの場」と「はたらく場」が分離する。これにより自己責任の領域が拡大する。ここに「保障の場」(財政)を設けることで対応しようとする。社会のメンバーに共通するニーズを探し出し、そのために必要な財源を皆で負担しあう道(頼りあえる社会)。現在ある社会的サービスを普遍化して
「ベーシック・サービス」とする(p84)という考え方は非常に参考になった。また、リベラルは弱者救済を「正義」として語ってきたことを批判し、
必要のために助け合うという視点から考え直すという発想も参考になる。勤労国家(自己責任の社会)では経済成長への期待に関心が集中しがちであるという指摘はなるほどと思わされた。それに対して、頼りあえる社会では成長に依存せずとも安心して生きていけるようにすることで、成長への期待を無効化するという。
第四章では日本が租税抵抗が強い国であることの問題について論じる。頼りあえる社会を築くには十分な税収が必要であり、そのためには租税抵抗を緩和する方法に知恵を使うべきであるとする(p140)。
税と貯蓄は同じコインの裏表であるという指摘は盲点を突く良い指摘(p118)。課税すると消費が減るのではなく、貯蓄が減る。ベーシック・サービスを供給するために必要な税源をすべて消費増税により賄うと11%の増税(税率19%)が必要とする。この額は富裕層課税だけでは賄えないため(p128)、消費税との組み合わせが必要とする。
第五章では財政の転換に対する批判を検討する。消費税の逆進性を批判する議論に対しては、税制全体で累進的かどうか、さらには給付も含めた格差是正効果を考える必要があるとする。共産党などが主張する内部留保への課税という案については、これが二重課税であるという点と中小企業にかえって打撃を与えるとして退ける。租税抵抗の最も重要な問題は政府・政治への不信であり、これに対してはオランダのCPB(政府から独立して経済分析を行う機関)の事例などを挙げて、どうすれば期待通りに政府が行動するようになるかを考えるべきだとする(これもあまり指摘されないが妥当な見解)。また、ベーシック・インカムという提案に対しては、それが本当にまともなものとして機能するためには生活保護レベルの給付(12万円)程度必要であるが、増税の幅はベーシック・サービスよりはるかに高いこと、年金受給者の生活がそのレベルまで下がることなどの問題点を指摘するだけでなく、究極の自己責任社会に繋がるとして批判する(P184)。この最後の批判はベーシック・インカムの構想に対する極めて重要な批判であると思われる。
神野と金子の弟子だけあって、政策の構想の仕方が似ているように思う。大きなモデルを広げるが、細部は見えない点が多い。また、考え方は正しいが、この構想を実現するための具体的な道が見えない点が難点。実際の日本とはかけ離れた状態への移行が必要であるため、そのままの実現は容易ではい。まずは既存の制度を拡充することと増税とを適切に組み合わせることについて国民を理解させる必要があるように思うが、ある程度の権力基盤が必要になる。民進党のブレーンとなってようだが、旧民主党系ではなく、自民党や公明党、共産党のような組織政党のバックがあってこそ実現の可能性が出てくる政策と思われ、現在の政治勢力を前提とすると、公明党と共産党と立憲民主党あたりが手を組むことができれば、この方向に進むことも可能になるのかもしれない。
★樋口直人、吉永希久子、松谷満、倉橋耕平、ファビアン・シェーファー、山口智美 『ネット右翼とは何か』
ネット右翼と呼ばれる人々について、facebookのデータや選挙の投票行動などから実像に迫ろうとする。日本のネット右翼は必ずしも底辺の人々ではなく、
自営業や経営者やIT関係の仕事をしている人などが多いという指摘は参考になった。これらの人々に共通するのは、社会科学的な観点に基づいて思考することが少ない人々であり、かつ、社会の不安定さ、変化の速さから、不安や不満を感じやすいカテゴリーの人々であるように思われる。日本では社会保障が充実しておらず、仕事の環境も良くないために、不安や不満とともに仕事をせざるを得ない人々が多く存在するが、これらの人々はまさにこれに該当する。仕事の中でのストレスフルな人生経験はそれなりに積まれてくるが、それを一歩引いた視点から客観的に自身や社会を俯瞰するための枠組みというものはあまり持たない人々でもある。労働環境を含めた社会保障の充実と社会科学教育の充実が必要だということが、ここから導き出せるのではないか。実際、第2章では桜井誠の支持層の特徴は、@階層的な偏りなし、A心理的不安傾向、Bネット情報に依存(反マスメディア)、C右派(排外主義、文化的保守主義、反サヨク、歴史修正主義、改憲)だという。Aは、まさに自営業者や経営者、IT技術者などと関係がありそうであり、こうした人々がなりやすいから、結果として下層の人々を含めると階層的な偏りがなくなるのではないか。
第2章で、反韓・反中が世の中のスタンダードになっていることが、オンライン排外主義者を生みだし、右派論壇の言説の垂れ流しが、ネット右翼への感染に繋がる、というのはその通りだと思われる。
第4章で語られるメディア・リテラシーの右旋回(ネットにより情報を得ている自分たちは情報強者であり、マスメディアから情報を得ているサヨクは情弱であるという立場から解かれるメディア・リテラシー)はなるほどと思わされた。
第5章ではネット選挙が解禁されたためか、botによるネトウヨ的言説のネット上での拡散がかなり起きていることが示された。安倍晋三は、選挙の際にマスメディアでは「経済」を語り、支持者向けのSNSでは「右派的・保守的」なことを言う。これにより大衆の期待を取り付け、支持者からは支持を続ける。大衆には「建前であるが善良な面」を語り、ネトウヨ(ネット応援団)には彼らが欲する「悪しき言葉」を供給する。
支持者向けの裏の面をもっとマスメディアは表舞台に引きずり出すべきだろう。
★吉田徹 『感情の政治学』
@本書の特徴的な着眼点は、人は何故政治に関わろうとするのか?という点にある。それは論理や合理性では説明できないことに着目し、感情に関わるもの(恐怖、愛着、信頼など)があってこそ人は政治に関わろうとし、その上で論理的・合理的に考えたりする。
A本書の考え方でなるほどと思わされたのは、
政治が自己言及的なものであるという指摘である。
誰が参加するかに応じて「正しさ」が再定義されていく(p22)。
本書が批判するのは、方法論的個人主義、合理的選択論、新自由主義、功利主義といった思想であり、それらに根本的に欠けているものを掬い取ろうとしている。特に新自由主義が他人に対する不信を前提に組み立てようとしたとして批判している点は、最後に「信頼」が社会には不可欠であることを力説していることから見ても、新自由主義に毒された現代の日本社会の思想状況が主な敵と想定されているように思われる。
第6章の信頼に関する章は非常に興味深い。井出英策の財政思想とも共通するところが多いのも興味深かった。社会や民主主義が機能するためには信頼がなければならないが、人びとが信頼し合うことが先か、信頼できるような公平な制度、普遍的な福祉制度などが先かという問題については、
「善意の政治権力」が最初になければならないという。善意の政治権力により公平無私な制度が作られて政策が実施されていくことで人々の間に信頼が作りあげられていく。そうすることで再分配や福祉制度の充実へと繋がり、それがまた社会の信頼を高めるという好循環になり得る。
これを現代の日本に当てはめて考えたとき、
安倍政権がいかに「悪意の政治権力」であるかが際立つ。自分の権力を維持するために(メディアを統制したり、直接問われても答えないなど)国民に情報を知らせず、知ろうとしても誤魔化したり嘘をつく。そうして得た権力で、人びとが望まない政策を強行し、社会の分断を深めていく。また、福祉や政府による生活への支援を厚くするのではなく、いかに気づかれないように削るかを考えている。これがもたらす帰結は、単にその直接的な効果だけではなく、社会が社会として成り立たなくなっていくことへと向かっていることが見えてくる。
★手塚洋輔 『戦後行政の構造とディレンマ 予防接種行政の変遷』
戦後の予防接種行政の歴史を通して、「作為過誤」(接種の副作用による被害)と「不作為過誤」(接種しないことによる感染症による被害)のジレンマをめぐり、行政や社会の認識とそれに対する行政の対応がどのように変遷してきたかを説明する。
戦後まもなく(60年頃まで)は不作為過誤が前面に出て作為過誤は顕在化されなかった。ここでは作為過誤が「不可視化」される対応がとられた。60年代後半からは作為過誤(接種による被害)が顕在化したが不可避のものと認識された。そのため行政による補償という対応がとられた。これは責任を希釈化する方策であった。80年代になると作為過誤は回避可能なものと認識され、集団接種から個別接種、それに伴う保護者の同意に基づく接種というように行政側の役割とともに責任を縮小する「分散化」(責任が行政だけでなく医師や保護者にも分散されるの戦略がとられた。この結果、
行政の役割や位置づけが後退したため、予防接種においては他の国と比較して不十分な体制になっている。
★中川裕 『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』
漫画の解説でもあり、アイヌ文化の解説でもある。漫画の様々な場面に関する解説やその背景の説明などを通して、アイヌ文化への格好の入門書となっている。
アイヌの文化について博物館などの展示を見てもなかなかわからないことが多かったが、いくつか核となるような知識を得られたと思う。まず、カムイと人間(アイヌ)の関係についての理解が深まった。カムイは絶対神や超越神のようなものとは異なり、人間と同等の存在として考えられていること。カムイとは人間にとっての環境であること。環境と調和した生活をすることがアイヌの基本的な考え方であること。カムイは霊的・精神的な存在とされており、人間の世界に現れるには肉体的なものをまとわなければならず、例えば動物の姿をして現れる。人間は動物を殺して皮や肉や骨などを利用する。カムイに対しては土産を持ってきてくれたことに対して感謝する(儀式などもこのために行う)。カムイはその感謝され認められたことを受けながら神の世界へ帰る。こうした
ギブアンドテイクの関係が両者に成り立つようにすることでバランスを保っていくというのがアイヌの発想と思われる。さらにその背景としては、カムイとの物々交換によるこうした世界観はアイヌの人々が本州や樺太の人びととの交易を古くから行ってきたことが背景となっている。
13世紀頃にアイヌ文化が現れたのは鎌倉時代になり、東北地方にまで中央幕府の権力が及ぶようになったことによって、和人とアイヌとの関係性が変化したことが要因となっている。アイヌの文化はそれ以前の縄文文化との大きな違いは土器を使わないことである。土器を使わなくなったのは本州などから交易で得た大量の鉄を使い、鉄の鍋などを使うようになったからである。なるほどと思わされたポイント(p53、p56など)。しかし、江戸時代に入り
松前藩に商場知行制が敷かれるとアイヌにとっては自由貿易ができなくなり、松前藩側の言い値で取引せざるを得ない状況になっていった(p64)。これに対する不満が高まり、1669年にはシャクシャイン戦争が起きるが騙し打ちで敗れ、場所請負制が導入されると、商人たちは交易ではなくアイヌを漁場労働に駆り出すようになり、村は疲弊・荒廃した(p66)。1789年クナシリ・メナシ蜂起が起きたが敗れてしまう。このように
15-18世紀の武力制圧と経済的支配下に置かれる状況が続いてきたことが、明治になりアイヌを組み込む政策の基盤となっていた(p62)。このように、アイヌに関する歴史の概観について(ある意味では復習ではあるが)理解が深まった。

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