本物のゴッホの絵が見られるということもあってか、平日なのに普通の企画展の土日並みに人がいるのにまず驚いた。
展示の内容や形式も、ゴッホの絵とそこに影響している浮世絵が具体的に比較できるような形で展示されており、漫然と見ることになりにくような配慮がされていたと思う。
以下、見ていて思いついたことなどを箇条書き的にメモしておく。
●浮世絵で東海道五十三次などの風景が多く展示されていたが、
江戸時代末期の頃には日本の国内でも人の移動が活発化した時代だったのだろうか?(身分制度などもあったので、一般の農民などにはほとんどこうした自由はなかっただろうが、商人や武士などの身分ではどうだったのだろうか?)
各地の名所などを見せて紹介していくことは、多くの人が仕事なども含めて旅行する社会での方が、移動の少ない社会よりも大きな社会的な意味を持ちうる。
●ゴッホはパリで印象派や新印象派などの明るい色彩を取り入れたが、日本の美術からの影響も受けており、ゴッホ自身が雑誌や小説に基づいて作り上げた独自の日本観を持つに至ったという。
ゴッホは南仏のアルルに住むようになったが、そこを彼の「日本」と重ねた。そこで見える風景についてもゴッホは日本と重ねているようだが、彼のこの頃の風景画を見る限り、
「日本」というより「北海道」の景色に近い感じがした。
ちなみに、1888年に描かれた「花咲くアーモンドの木」が私には何となく梅に見えた。
●ゴッホの没後20年ほど経過してから多くの日本人がゴッホ巡礼をしたことも展示されていた。大正10年代に次々と日本人がゴッホのゆかりの地に行っていると見て取れた。第一次大戦後の日本の好況やヨーロッパ経済が世界経済に占める地位の相対的低下などにより
日本からヨーロッパに渡航しやすくなったことが反映している面もあるように思われる。
●精神を病んでいったゴッホは最後はジャポニズム的なものではなく、自然を描くことが多くなったようだ。確かに自然と向き合う方が対人的なストレスからは解放されそうだ。

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