去年は強烈なインパクトを受ける本との出会いはあまり多くなかった。読んだ本の数も少ないので、もう少しいろいろと読まないといけないように思う。
★ダン・アリエリーの行動経済学に関する文庫本はなかなか良かった。
『予想どおりに不合理』、『不合理だからうまくいく』、『ずる』
行動経済学は伝統的経済学の合理的経済人モデルを、単に理論的にではなく実証的に批判する。
最初の本で示されている数々の実験のうち、価格が0ということの持つ意味の大きさと社会規範と市場規範の相反的性格についてのものは特に印象深い。また、メール中毒(スマホ依存症)が心理学でいう変率強化スケジュールで説明できることや小さな不正(現金が絡まない間接的なもの)は超自我(良心)が働きにくく、不正が行われやすくなることなど、日常的な人間の行動パターンについて鋭い洞察や指摘に富んでおり、読んでいて飽きない。また、
信用は公共財であり、社会の信用を損ねることがもたらす様々なデメリットを理解すべきだという指摘は、新自由主義ないし市場至上主義のような考え方がもたらす無責任な混乱に対する批判として非常に深い含蓄があると思う。
2作目では、前作が消費者としての行動を扱っていたのに対し、仕事と家庭という場での行動をテーマとして、非合理性の肯定的な側面にスポットを当てる。高額報酬の有害さ(結果を意識させたり緊張させることで実行を妨げる)や、ささやかな意味づけが仕事のモチベーションにとって極めて重要だという指摘が重要。また、順応を利用して満足度を上げることができるという指摘も興味深い。嫌なことは一気にやり、好きなことは中断しながらやることで満足度が高い状態を維持しやすくなる。また、感情に基づいて行った決定は長期の影響力があるため、突発的に感情に任せて行動してはいけないことが示されている。
3作目は、不正は合理的なモデルSMORCでは説明できず、不合理な力が重要な役割を果たしていることを示し、それを説明する仮説として
「つじつま合わせ係数」の仮説を提示している。正直な自分という自己イメージを持ちたいという欲求と、ごまかしから利益を得たいという欲求を、自己正当化によってバランスさせる。この自己正当化がしやすいほど不正がよく行なわれる、といった考え方である。本書の研究で特に興味深かった点は、創造性、いろいろなものを接続する能力が高いほど、そのような心理状態であるほど、自己正当化の能力が高まり、不正を助長するという指摘。また、自己イメージに働きかける方法で不正をかなり抑止できるという指摘も、ありふれた解決策とは異なっており、参考になった。
★天野郁夫『大学の誕生(上・下)』
学問をする者の自律的共同体であるはずの大学が、日本では帝国の大学となってしまい、それに抵抗・対抗する私立の高等教育機関が群生し、次第に力をつけてきた過程(大正7年大学令まで)が描かれている。
明治・大正の頃から高等教育システムの基本的な構造は現代まで多くのものが引き継がれていることがわかり興味深かった。例えば、学校間の序列も既に明治末から大正までの期間に形成されていた。帝国大学、官立専門学校、私立専門学校という序列が現在の難関国立大学、国立大学、私立大学という序列とそのまま重複しており、大学の卒業者の進路も大正時代と現代で学校ごとの色があまり変わっていないことなど。
個別の大学について興味を惹かれたものを挙げておく。京都帝大は東京帝大から来ていた教師たちが、新天地で新機軸を打ち出していったという。リベラルな校風に繋がる歴史として興味深い。これに関連するものとしては、立命館(京都法政学校)が京都帝大法科大学の副産物であるとされているのも興味深い。そして、札幌農学校の帝大への昇格の道程(他のグランゼコールと異なり、東京帝大に吸収されずに独自の位置を持ち、それなりの研究水準を維持しながらも、総合大学主義や財政的な問題などにより阻まれてきたこととその解決プロセス)も興味深いものがあった。
★トマ・ピケティ『21世紀の資本』
昨年読んだ本の中で、私の
世界観をある程度変えるだけのインパクトがあったのは、この本だけかもしれない。
ピケティの主要な問題意識は、
世襲による最富裕層による経済的・政治的支配が事実化していることに対して、これを排し、民主的な富のコントロールを取り戻すべきであるということにある。そのために富の情報の共有が必要であり、
グローバル累進資本税はそのための理想的な方法であることを示す。全部説明すると長くなるので面白かったり重要だったりする内容をピックアップしてみる。
・第一基本法則α(資本所得/所得)=r×βは、αが大きいということは、それだけ資本が経済に果たす役割が大きな社会だということを暗示している。
・第二基本法則β=s/gは動学法則であり、長期的なβの収束値を示すもの。
成長がない世界では蓄積された富が重要性を持つことを示しており、20世紀は例外的に高成長だったが、21世紀は低成長に戻るので、資本が復活することが予見されている。
・経済成長に関して追記すると、経済成長は人口増による部分と1人当たり産出の成長による部分に分解して理解すべきであり、人口の変動が経済成長のかなりの部分を占めている。そして、人口増加率が高いと相続財産の重要性が低くなるため格差が小さくなる。また、経済成長率は
年率1-1.5%でも30年スパンで考えると大きな変化であり、これ以上の成長が恒常的に続くことはない。
・
富のトップ1%は経済的・政治的展望を構築する立場であり、極めて重要な社会層である。(この点は私としては収穫。)トップ10%のうち上位1%は資本所得(不労所得)が優位で(このため所得税ではなく富裕税が有効となる!)、下位9%は労働所得が優位で資産は補助的なものという違いがある。「9%」の労働所得はスーパー経営者の出現と関係している。スーパー経営者の所得は限界生産性や技術と教育の競合の理論では説明できず、所得税の累進性を低めたことにより説明できる。
・本書全体をとおして、
比率を用いることで時代を超えて比較することができるということがはっきりとわかり参考になった。つまり、額面で比較するとインフレなどの影響を考えなければならないが、資本/所得の比率などを使えば、そうしたことは基本的に不要となり、所得は概ね普通の人の生活水準を示し、それに対して資本が何年分あるかを示すことでその時代に相対的に富がどれだけ大きかったかを示すことができ、これを比較することで富の集中度がある程度見えてくるというわけだ。
★将基面貴巳『言論抑圧』
本書は、マイクロヒストリーの手法により矢内原事件を詳細かつ多面的に描き出し、当時争点となっていた思想的問題をあぶりだす。矢内原事件を思想史的に見る場合、マクロでみると学問の自由や大学の自治の問題が見え、ミクロで見ると愛国心の問題が見えてくる。これらは現代にも通じる問題であり、考察する価値があるとされる。
私が本書から得た大きな収穫は主に3つあった。
ひとつは、本書では、矢内原事件において、総長の権限が大学自治侵害の有効な通路となったことが指摘されていたが、これは
強いリーダーシップによりリーダーの独断専行が可能な組織では、リーダー一人さえ説得・屈服させてしまえば、外からコントロールできてしまうという危険があることを示唆しており、昨今の社会が危険な方向に向かっていることを強く認識させた。
2つ目は、
矢内原の愛国心は「国が掲げるべき理想を愛すること」であり、現在や当時の右派の「国を案ずる心情」「国体思想へのコミットメント」とも、戦後リベラル派の愛国心を危険として忌避する傾向とも異なる第三の視点として重要であることが示される。この点は本書の最もおもしろい論点であった。
ちなみに、矢内原の愛国心は、リベラリズムの中立性の原理と相性が悪く、サンデル流の
「共通善」の考え方とは親和的である。
3点目は、マイクロヒストリーの手法はルーマン的な社会システム論と相性がよさそうだということ。ミクロで見た個々のコミュニケーションがどのように生成・連鎖していったのかを追う。
★中野晃一『右傾化する日本政治』
本書は、日本がどのように右傾化しているかを見えやすくしてくれる。
本書が指摘する最近30年の右傾化の特徴は、@社会主導ではなく政治エリート主導、A波状に進展、B新右派転換。これらにより右傾化が見えにくくなっているという。
本書の提示している枠組みは、現実を見る際の座標軸を定めるには役に立つが、新右派に対してどのように対抗していけばよいか、ということは示せていない。このため、私としては、日本会議など
右派の運動の強味を左派が学ぶことも重要ではないかと思うに至った。
★坪田信貴『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話』
高校2年の夏休みから勉強を始めた偏差値30のギャルが慶応に合格するまでのストーリー。
成績が悪く、知識もなかったが、
素直さが伸びる素地になっていたというのはポイントだと思う。教育や指導をする側が本当に主体を立てていくプロセスが描かれており、これはなかなかまねできないと思う。
第四章に具体的な勉強の方法が書かれているが、私自身の受験勉強の方法や考え方とかなり共通であるように思えた。
成功することを知っていることが大事というメンタルの重要性を指摘しているところは特に共感した。その他の細かなテクニックに近い部分でも、辞書に4種類のマークをつけるやり方など、いろいろと参考になった点があった。

0