★以前、このブログは「政治ブログ」として活用してきたが、今後は各種イベントなどで学んだことや自分の中で疑問に思ったことなどの記録として活用しなおしていくことにしたい。
★北海道大学付属図書館で2011年度に展示されていたものが北図書館で再度公開されていた。ぜひ見たいと思っていたが前回はいけなかったので、再度公開してもらえてありがたかった。
★台湾の三大産業であった、製糖、樟脳、米といったものに札幌農学校の卒業生たちが官吏や企業の一員として多様なかかわりを持っていたということがわかり、興味を引かれた。
北海道と台湾は意外と似たところがある、というのが私の近年の観点だが、この展示によって
台湾と北海道の歴史的なつながり、関係性の一端が垣間見れて興味深かった。
★廣井勇に師事した十川嘉太郎という人は、基隆の築港に関わっていた。廣井勇は小樽港の築港にも深く関与していたが、台湾でも北大(札幌農学校)の卒業生が土木関係の仕事に従事していたことがわかった。台湾最初の近代的な橋である明治橋もこの人が建設したという。
今もこの橋は残っているのだろうか?
★横山壮次郎という人は、札幌農学校の卒業生の内でも最初に台湾に渡った人で、製糖業などにも深くかかわったそうだが、この人が
台湾での業績が高く評価されて奉天農事試験場長として招聘されたという記述は、
日本の植民地建築を設計した建築家にも同じパターンが見られたもので、非常に興味深かった。
日本にとって最初の植民地であった台湾の開発に従事した者の経験を、政府は朝鮮半島や中国東北部の植民地支配に反映させようとしていたということがわかる。
色部米作という人も台湾を離れた後は、サイパンに行き南洋興発株式会社専務取締役に就任しているというが、この会社は株式会社だが
日本政府との関係はあったのだろうか?
★台湾総督府が台湾の基幹産業として推進した樟脳の生産に関しては、
樟脳の産地拡大は原住民(先住民のことを現在の台湾では「原住民」と呼び、特に否定的な意味はないようなので、私はこの用語を使っている)にとっては狩猟場の横奪を意味し、原住民の抵抗の激化を招いたということに興味を引かれた。

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