◆11日の東日本大地震が起きたとき、私が住む地域はわずかに揺れを感じる程度だったが、震源地が私が住む地域からはかなり遠い三陸沖だと知ったとき、報道では津波の話題でほぼ一色だったように思う。
この時から私の念頭を離れることがなかった問題は、原発のリスクである。地震による原発のトラブルによる被ばくの問題は、私にとっては6年か7年くらい前から関心を引く問題になっていた。(例えば、5年前には
こうした記事などでこのブログでも言及している。)
案の定、地震後数日すると原発の話題がかなりの割合を占めて報道されるようになった。このテーマに関する政府の「大本営発表」を見て思うのは、そこには
「被害が小さいものとして装いたい」という願望が感じられ、それが被害を拡大しはしないか、という懸念である。
◆また、やや中期的でマクロな話になるが、私の想定するシナリオの1つでは、「日本の経済的な没落が決定的になる契機としての大地震による被害」というものがある。今回のような津波が東京を直接襲い、福島原発よりも危険だとされる浜岡原発が放射性物質を首都に大量に飛散させて首都機能がマヒさせてしまうといったシナリオである。(ちなみに、この記事を書いている20分前に静岡で震度6強の地震があった。)
◆それにしても、マスコミの報道の一極集中化も困ったものだ。国内と国外ではたとえ同じ事件が起こった場合でも影響の度合いが違うということもあるだろうが、例えば、
中東の民主化を求める(独裁に反対する)デモの話題などが一挙に吹っ飛んでしまったのは、やや残念なところがある。
それどころではない被害を受けた人が大勢いたり、知人や友人や親せきが巻き込まれているような人が大勢いるのは確かだし、関心をもつことで何とか助けたいと思う人が増えるのも確かなのだが、ほんとんど
すべての人たちの関心が一つのイシューに限定されるような傾向を作り出すことは好ましいことではない。

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