◆首相がすぐに政権を投げ出してしまうことが批判される。かなりの程度、人物ないし人格的なところで「無責任」だとされる。
◆しかし、
このように政権を投げ出さざるを得ないのは、いわゆる「ねじれ国会」という権力構造に起因するものである。
◆もちろん、よりミクロなレベルを掘り下げれば民主党と自民党の駆け引きという面はあるが、小泉の5年間で、支持基盤を破壊され、組織の内部の権力関係も崩れてしまい、組織もガタガタになっている自民党が、今後5年間もの間、
野党が強い参議院に対して真正面から対峙するだけの権力はないと見るべきだろう。
◆そのように見ると、「無責任」という道徳的な言葉によって首相個人を非難することは、やや的外れな感がある。
◆むしろ、
そうした「無責任」な状態をこれ以上続けないためには、自民党に下野してもらうことが理に適っているということが、もっと
メディアを通して語られなければならない。
◆それなのに、この当たり前の理屈がマスメディアではあまり聞こえてこない。
政権批判をする人間は、この点を突かなければならない。ここを突いてマスメディアでこの当たり前の論理がまかり通るようになれば、次の選挙は自民党にとって不利になる。
◆自民党が勝てば今後も「ねじれ国会」が続くことになるからだ。もしこのようになれば、多くの人が道徳的に「無責任だ」と感じる状況を長引かせることになるのであり、その意味では、
有権者は非常に「無責任」な選択をすることになるのである。
◆私は民主党を支持しない。民主党は政策もそれほどよくないと思っている。しかし、
自民党は下野したほうが良い。それが自民党のためにも、有権者達のためにも理に適っていると思われる。
◆余談だが、自民党の総裁候補者達が今頃になって
中選挙区制に戻すことを言い始めた。この点では民主党より良いとさえ私は思う。しかし、それは下野してからでも言い続けられることだし、小規模政党からの支持も得られる政策だろうから、民主党以外の政党で結束すれば現行制度を覆しうる話なのである。だから、極めて重要な論点ではあるが、自民党が政権を持ち続けることを正当化するほどのものではない。
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★福田の
「辞任+沈黙+速攻で総裁選」という3点セットは、かなりの程度まで計算された行為だと私は見る。総裁選はそれなりに重要だとしても、誰が首相になろうと「ねじれ国会」の状況は選挙をするまで変わらない。
★(上の論理は「大連立や政界再編がなければ」の話ではあるが、
今は、権力が一部の人間に集中している状況なので、そうした動きには今は誰も出られない。以前よりも政界の権力構造は
スケールフリー・ネットワークに近いものになっていると私は見る。)
★
「政治を動かすには自民党には下野してもらうしかない」という当然の論理がもっと当たり前のものとして受け入れられているならば、あれほど総裁選がクローズアップされることはなかったはずだ。
★その意味ではマスメディアの中では未だに自民党に対する信頼というか、
自民党こそ政権政党だという先入観というか、そういう固定観念のようなものを感じるし、それは有権者にもあるのだろう。
★あまりに忙しくてニュースなんか見てられないんだが、ちらちらと見えてくるメディアの報道から思いつくことを箇条書き風に書いてみた。

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