【2】憲法と国連活動の関係についての原則
第13段落〜第21段落…憲法と国連の活動の関係
第13段落から第15段落までは、現行の憲法解釈とその運用に対する批判が行われている。要点は次の箇所である。
◆「自民党政府(内閣法制局)は今も、国連の活動も日本の集団的自衛権の行使に当たると解釈し、したがって国連憲章第七章第四二条に基づく武力の行使(PKO、国連の認める多国籍軍等を含む)参加することは憲法九条に違反する、という解釈を続けています。では、それならなぜ、アフガンで「不朽の自由作戦」を主導する米軍を自衛隊が支援できるのでしょうか?」(第13段落)
◆「後方支援すなわち兵站線こそ、戦争の行方を決する最大の要素であり、その意味で後方支援は武力の行使と一体だというのは、正しい認識です。」(第15段落)
◆しかし、「後方支援は武力の行使ではない、戦争するわけではないから問題はない、と自民党政府は言う。正に、子どもにも通用しない詭弁を弄して、現実に海外派兵を行っている」(第15段落)
この批判は妥当なものだと思う。
私の見解では、内閣法制局の「国連の活動も日本の集団的自衛権の行使に当たると解釈し、したがって国連憲章第七章第四二条に基づく武力の行使(PKO、国連の認める多国籍軍等を含む)参加することは憲法九条に違反する」という解釈は妥当なものだと考える。ただ、詭弁を弄して海外派兵していることが問題なのだと考える。
しかし、小沢氏は、内閣法制局の解釈とは異なる理由で海外派兵を認めようとしている。ここが論理的には本書簡の最大のポイントとなる箇所であり、第16段落〜第19段落がそれにあたる。
以下、その箇所を見てみよう。
概要は次の箇所で述べられる。
「私は、日本国憲法の考え方からいって、米国であれどの国であれ、
その国の自衛権の行使に日本が軍を派遣して協力することは許されないと解釈しています。同時に、
国連の活動に積極的に参加することは、たとえそれが結果的に武力の行使を含むものであっても、何ら憲法に抵触しない、むしろ憲法の理念に合致するという考えに立っています。」(第16段落全文)
良く言えば、なかなか独創的なアイディアだと言える。それを可能にする論理は次の箇所であり、これこそ本書簡の論理の全体を支える核心部分である。
「つまり、個々の国家が行使する自衛権と、国際社会全体で平和、治安を守るための国連の活動とは、全く異質のものであり、次元が異なるのです。
国連の平和活動は国家の主権である自衛権を超えたものです。したがって、国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない、というのが私の憲法解釈です。」(第18段落)
正当化するのはきわめて難しい論理展開である。もっと端的に言えば、
明らかに間違った見解である。
国際連合=連合国United Nationsではなく、国家の上位機関としての「世界政府World government」であれば、小沢の論理になるだろうが、実際の国連憲章は各国の主権や憲法の上に立ち、それを超えたしたものではないのではないか?
そう思っていたら、いつも参考にさせてもらっている、津久井さんのブログに同じ趣旨のことが分かりやすく書かれていた。
◆
小沢論文は法的にはサカサマなのでおかしい
要点は、国連憲章第42条第3項には、「この協定は、安全保障理事会と加盟国群との間に締結され、且つ、
署名国によって各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない」と明記されていて、各国の憲法との整合性を保つように配慮されているということ。
つまり、各国の憲法が優先されて、
各国が憲法の枠内で「特別協定」を結び、それによって「国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させる」わけだ。
小沢氏の「国連の平和活動でならば武力を行使できる」という類の主張は、この点をクリアできない限り、法的に正当化されない。これは
小沢氏を擁護したい立場にとっては非常に痛いところだと思う。実際、私はこの箇所を読んで「さて、どうしようか?」と頭を抱えた。
まぁ、この辺は後で書く。そのまま本文の続きを読んでいく。
本文では続いて、第21段落から第22段落まで各論的な話が述べられる。
言われていることは3つある。
一つは、「
国連の決議でオーソライズされた国連の平和活動に日本が参加することは、ISAFであれ何であれ、何ら憲法に抵触しない」ということ。
もう一つは、「
武器の使用も、世界の常識に従うだけのことであり、特に法律制定の問題ではないと思います」と。
最後に、民主党は意見がまとまっていないという批判は当たらない、すでに意見をまとめてある、ということ。
なかなか率直な意見ではある。一点目と二点目は、明らかに上述の論理によって支えられている。その論理を認めたとしても、武器の使用を認める際に
「世界の常識」とは何なのかが非常に気になるところだ。この議論には、正直に言って、いい加減さを感じる。
国連の活動だったら何でもありなのか?という疑問が残る。この点については、以下を読み進める中で再度取り上げて批判するつもりだ。
【関連記事】
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詳解・小沢書簡(その1)
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詳解・小沢書簡(その2)
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