ブログを書き始めて2年以上になるが、幸いなことに私のところにはそれほど酷い「迷惑コメント行為」は今までなかった。
私は日常的に結構な数のブログをチェックしているが、コメント欄は滅多に見ない。しかし、たまたま、最近、複数のブログでコメント欄を見る機会があった。それで
「迷惑コメント行為」が意外と跋扈しているという印象を受けた。
そういうこともあって、「迷惑コメント行為」についても、ひとつエントリーを上げてみることにしたい。
大きく分けて、2つの類型に分類できる。一つは
「単発型」であり、もうひとつは
「粘着型」である。
「単発型」は、
「通りすがり」に非友好的なコメントを残して立ち去るというタイプであり、このタイプは、ブログ自体に再訪することもあまりないようである。
その意味で、コメントの内容によるが
「削除する」だけでよい。何某かの価値を見出せるのであれば残すのも良い。(例えば、他のコメンテーターに向けて「やってはいけないことの見本」として示す、など。)
この行為は喩えるならば、
見ず知らずの(悪意ある)人間が、ブロガーの家の前をたまたま通ったときに、ブロガーの家に落書きをしてそのまま立ち去るようなものである。落書きを残して汚い家をさらすよりは、適度に
掃除をした方がいい。ただ、落書きに何某かの利用価値があると判断すれば、それを利用できることもある。
問題として大きいのは「粘着型」である。特定のブログに執拗にコメントをつけ続ける
「常連コメンテーター」がいたりするが、こうした者の中にこの類型が当てはまる者がいる。
もちろん、「常連さん」でも、ブロガーや他のコメンテーターたちと、
まともにコミュニケーションが成り立っているならば、別に「迷惑コメント行為」とは言えない。むしろ、そうした人がいて議論が盛り上がったり、新しい情報が付加されたりすることは、ブログにとって望ましいことだと思う。
しかし、
コミュニケーションがあまりよく成り立っていないにもかかわらず、執拗にコメントをつけ続ける行為というのは、ブロガーにとっても、ブログを読む他の読者にとっても、基本的に迷惑である。
これをさらに分類すると大まかに2つのタイプがあると思う。
つまり、
「執拗にエントリーと無関係のことを延々と述べ続けるタイプ」と
「執拗に反論を述べてくるタイプ」である。
このように分類したのは、具体的にどのような行為なのかを少しだけイメージしやすくするためである。(あまりに具体的な事例を指摘すると、他のブロガーさんに迷惑がかかる可能性があるので控えておく。)
このように分類しても、実は本質的には同じだと考えて良い。
彼らの基本的な動機は
「相手をして欲しい」のであり、また、
「自分の優越性を示したい」のであり、その動機に基づいて行為していると解釈すると、かなりよく彼らの行為を理解できるし、対処法も見えてくると私は考える。
逆に、そして、やや極端に言えば、
「リアル世界で誰からも相手にされていない」ことが動機の根底にあると解釈できる。また、「優越性を示したい」という要求は、誰にでもほぼ普遍的にあると考えられる。しかし、これらの人々の場合、
「他人を貶めることによって擬似的に自分の優越性を感じる」という屈折した心理状態にあると考えられる。つまり、欲求そのものにではなく、欲求充足の仕方や志向に問題があるのである。
このように理念型を構成してみると、
これらの執拗なコメンテーターはかなり病的であり、また、哀れな人々ということが浮かび上がる。
言うなれば、彼らは
ネット上のストーカーであり、どこかしら「騒音おばさん」にも似たところがあるかもしれない。繰り返す。
「迷惑コメント行為」をする人は
「ネット騒音おばさん」であり、
「ネットストーカー」である。
ただ、一度、この図式で「迷惑コメント行為」を見ると、大抵はこの類型に当てはまることがわかっていただけるのではなかろうか。(少なくとも、「迷惑コメント行為」を理解する際に役立つ一つのモデルではあると思う。)
例えば、意味不明のコメントをわめき散らす(?)行為も、「どうだ、自分はこんなにすごいことを言えるんだぞ」と言いたいのだろうし、また、それに対して誰かが反応を返そうものなら、(リアル世界では滅多に得られない)「構ってもらえたという満足感」を得ることができる。それに、ブロガーや他のコメンテーターからの反応を引き出すということは、ある意味では、自分(迷惑コメンテーター)が他人を動かすことでもある。そこから擬似的な自己効力感や支配の感情を得て、快を感じるワケだ。
また、執拗な反論者については、どうも私が見る限り、
彼らの反論はエントリーとあまり噛み合ってないことが多いと考えている。だから、私も反論を受けたときに、これまで複数回にわたって次のようなコメントを返したことがある。
このコメントに限らず、ブログのコメント欄に反論する者はテクストをまともに読めていないことがほとんどである。
これは毎回コピペしている一文なのだが、かなり良い所をついているのではないかと思っている。(恐らく、今後も使うことがあるだろう…。)
この場合、
反論者の目的は反論すること自体にあり、相手の議論をきちんと理解することなど全くというほど念頭にないのである。なぜなら、相手のことを理解することよりも、コメンテーター自身の欲求を「歪んだ仕方で」充足することがコメントをつける動機なのだから。
しかし、そうしたコメンテーターに対して再反論する側から言えば、大変迷惑なことである。反論する前に、誤解を解かなければそもそも話が始まらないのだから。
もちろん、ブログのコメントの中には真摯な反論や批判もないわけではないが、テクストを読めているコメンテーターの場合、それに対してブロガーや他のコメンテーターが誠実に回答した場合、続けて執拗にコメントをつけてくることは(普通は)ない。
ついでに付け加えると、こうした執拗な「迷惑コメント行為」を行う人々はしばしばブロガーに対して
「フェアではない」とか「卑怯だ」とか言うことが結構あるようだ。
これはブロガーから反応(回答)を引き出すための「餌」である。
彼らの動機(誰にも構われないので構って欲しいという欲求)を充足するための手段であり、また、それによって回答を引き出すことで「自分がブロガーを動かした」という仕方で
「支配の欲求」(歪んだ自己効力感)を充足するための手段である。
こうした
「餌」にいちいち引っかかってやる必要はない、とブロガー諸氏には助言したい。
長々とつまらないことを書いてきたが、では、
執拗な「粘着型」のコメントに対してはどう対処したらいいのだろうか?
答えは簡単である。
無視すれば良いのだ。コメントを承認制にしてあるなら、それ以前に
承認しなければ良い。これは「お前のコメントなど認めない」「お前なんか相手にしない」というメッセージにもなる。
私が示したような動機によって彼らが動いているのであれば、彼らは立ち去るほかない。彼らの欲求はそのような対応をするブログでは満たされようがないのだから。
念のために書くと、私は反論や批判について、すべてこのように対処しろと言っているわけではない。
反論や批判はそもそも元になるテクストの理解に基づいてなされるべきだと考えるので、執拗なコメンテーターからのものであっても、相手がブロガーのエントリーをよく理解した上で批判しているのであれば、受けて立つ必要はあると考える。(この「相手の意見を理解しようとする姿勢の有無」は、極めて重要なポイントである!)ただし、その場合でも労力には限りがあるのだから、無制限にとは行かない。
【関連エントリー】
◆
原田ウイルスと迷惑コメント 2008.1.30

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