地方自治や行政の研究者、田村秀氏の著書『データの罠』の書評を
ウェブサイトにアップした。
近年、タウンミーティングの組織ぐるみの「やらせ」のように、世論を誘導しようとする情報がメディアなどを通して氾濫している。
そうした中で本書は「まず結論ありき」で持論の正当性を主張する学者や政治家、評論家、マスコミに対して「ノー」を突きつけている。
ついでに、タウンミーティングの「やらせ」について一言言うと、13日の記者会見で塩崎恭久官房長官は、
議論活性化のために質問を依頼するだけなら問題はないとの認識を示したようだが、これは明らかにおかしい。
質問者に金が払われているならなおさらだが、金が払われていないとしても、内閣府から
「個人を名指しで」発言してくれ、と言われたときに、誰が政府が進めようとしていることに対する否定的な発言をするだろうか?
そうした発言は極めてしにくい、と考えるのが自然であろう。
(喩えるならばこうなる。自分の会社の隣の課の課長から、その人が推進しようとしているプロジェクトに対して社内でコメントして欲しい、と本人から直接頼まれたとき、平社員のあなたは、その隣の課の課長の意見を否定するだろうか?)
しかも、この「やらせ」問題を大した問題ではない、などとするバカな政治家(
二階俊博国会対策委員長)まで出てくる始末。
タウンミーティングというのは、基本的に政府と有権者の距離を縮め、議会制デモクラシー以外のチャネルで、民意を吸い上げるとともに、政府が自らの政策の説明責任を果たすのが本来の趣旨だと私は考える。
(政府がどのように定義しているかはここでは措く。)
つまり、より直接デモクラシーに近い形で民意を吸い上げる仕組みであるべきものだ。
本来、そうした回路であるものを、政府自身の説明によるのではなく、一般人を装った賛同者の意見をタウンミーティングの場で流すことによって、その場に参加した人々に「やはり政府の言うように考えている人が多いんだ」と思わせることになる。そして、
多くの人が政府の意見に賛成なんだと思ってしまえば、よほど明確に反対意見を持っている人でない限り、反対する心理的負荷は大きくなる。こうやって世論を誘導しようとしているわけである。
また、賛成する発言者が多ければ、タウンミーティングの場に政府の政策に反対する者がいても、それだけ彼の発言のチャンスは減るのであり、こうやって
間接的に反対者の口封じをすることにもなる。
以上のように、本来は多様な形態でデモクラシーを実践することで、より民主的な政策運営をすべきなのに、人びとの意見を誘導したり反対者の口を封じることによって、
一見するとデモクラシーを行っているように見せかけながら、実質的には非民主的な政治を行っていることになる。これが大した問題ではない、というのか?
タウンミーティングでそうしたことが行われているとわかった以上、それ以外の場でも類似の情報操作が行われていると考えても不思議ではなかろう。だから、小泉政権以後の自民党の下では、
あらゆる場面で情報操作に気をつけなければならない、ということを、「有権者かつ視聴者」である私たちは、この「やらせ」問題から学ばなければならない。
そして、『データの罠』は、そうした問題意識を持ち始めたばかりの初心者にピッタリの本なのである。

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