安倍晋三が総理になってからというもの、このブログにも随分、彼の名前でアクセスしてくる人が多くなった。多忙のためほとんど更新していなかったのに、安倍晋三が首相になった「おかげで」アクセス数は減らなかったのには少しばかり驚いた。
さて、本人が言うには、安倍晋三の内閣は「美しい国づくり内閣」なんだそうだ。
「美しい国」という言葉に胡散臭さを感じる人は多いだろうし、右派や保守の人でさえ「何をしようとしているのかわからない」と思っている人は多いだろう。
この
「美しい国」というキャッチコピー(?)は、いわゆる
「イスラーム原理主義」と同じ構造を持っている。
簡単に言ってしまうと、
到達するべき理想状態を抽象的に語り、その理想を提示した人間に従っていけば、あたかもその理想状態に到達できるかのような錯覚を抱かせるという点で同じなのである。
そして、始末の悪い事に、
実際のところ、その理想状態を示す具体的な内容や、そこへ到達するためのプロセスの具体的な提示はない(できない)。これも同じである。
確かに、小泉の「構造改革」という言葉にも、実は具体的な意味はなかった。その場の都合でどんな意味にでも変えることが出来てしまうものだった。中身がないからそれが可能だった。安倍晋三の「美しい国」はそれに輪をかけて中身がない。「構造改革」にはコアになるイメージが幾つかあった。「美しい国」にはそれすら希薄である。その意味では「構造改革」よりは求心力にはなりにくいとはいえるかもしれない。
こうした空疎な言葉や曖昧な言葉でお茶を濁しながら、陰で言論弾圧や言論統制をしつつ、人々にあまり目立たないところで密室政治が繰り広げられそうな気配が濃厚である。(これは「民主主義」を蔑ろにする行為である。「人気がある」人間が権力の行使者になることは、民主主義の考えではない。)
例えば、
検閲、それともクレーム対応? 検索結果における見慣れぬ表示 などは非常に興味深い論点を提示している。
時間がないので今日はここまでにしておく。

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